「ただいまー……あれ?」
扉を開け放てば、いつもなら直ぐ様出迎えてくれる花の様な笑顔はない。
靴を脱いで敷居を跨いだ頃、控えめな足音が床を鳴らして近付いてきた。
「…おかえりなさい、レンさん」
日だまり色は何処か影を差していて。
いつもと様子が違うと。容易にそう感じ取ることが出来た。
ふいに、白く細い指が、外気で冷えたレンの手を握り、胸の前まで誘う。ゆっくり、輪郭をなぞるように指先が滑った。
「どうしたの、ハニー?」
春歌は何も答えなかった。寂しげな瞳がレンを一瞥するだけだった。
今度は指先がきゅっ、とレンの手を握り込む。そのまま、非力な力で腕を引いた。それに導かれるまま辿り着いた先は、リビング。
春歌は、目の前の逞しい身体を押して、ソファーへと座らせた。そして自らも乗り上げる。レンが息を僅かに詰めたが、知らないふり。投げ出された彼の足を跨ぐようにして膝立ちになった。頭の位置が彼女の方が少し高い。両手は広い肩に片方ずつ置かれる。
潤んだ瞳がレンを見下ろして。ふっ、と、その瞳が瞼の向こうに消えた。
「春歌…?…、んっ」
触れるだけのキス。その後唇を優しく食むように、何度も、角度を変えて。
レンはそれをただ享受するだけだった。
(何か、あったんだろうな…)
頭の片隅でそんな事を思いつつも、思考は段々、春歌のキスに持っていかれる。
甘い吐息が唇を掠めた後、前歯を割り入って小さな舌が浸入してくる。強引さで怯えを隠すように。ねっとりと絡められた。
「レン、さん……んっ…ぁ…」
「…、…はぁ…春歌…」
華奢な肩を大きな手が押して。唇がようやく離れる。名残を惜しむかのように、銀色が刹那二人を繋いだ。
「どうしたの…?積極的なのは嬉しいけど…」
――そんな哀しい顔でキスして欲しくないな。
はらり、はらりと落ちる涙。親指で目尻を拭ってやる。が。止まることを知らなかった。
やがて、甘い色の髪が揺れてレンに体重が預けられた。甘えるように胸に擦り寄ってくる春歌の髪をゆっくり撫でながら、次の言葉を待つ。
そして、暫くしてから。
「ごめ…なさ…っ。いきなり、こんな…」
小さな謝罪が鼓膜を揺らした。
じわり、じわりと。レンの衣服が涙で湿っていく。
髪を撫でる手は止めずに、もう片方の手でゆるく、細い腰を抱いた。
「わ、たし…わかって、るんです…っ!レンさんが私を………あ、愛して、くれていること……でも、」
時折掠れて、詰まって、それでも。春歌は必死に言葉を紡ぐ。小さな手はレンの胸元でシャツを握り込んでいた。震えるそれを見て、ずきんと軋むレンの胸。
「で、も。………」
「でも、何?」
「………」
「全部、話して。お願い」
春歌の髪に、リップ音を残して触れた。
「……レンさん、」
「ん?」
「今日、レンさんの…ドラマ、観ました…」
午後九時放送の、今話題のラブロマンス。今日は神宮寺レンの初主演ドラマの放送日だった。
(ああ、そうか、)
「相手の女優さん、背が高くて、美人で…、…キス、も、……絵になってるな、…なんて思っ、て」
レンは悟った。
「そう、思ったら…私、みたいなのが…レンさんの隣にいるの、変、だなって…」
(哀しませてるのは、)
「私、色っぽくなんかないし、積極的でもなくて…あんな風にレンさんにつり合う、余裕ある大人の女性になりたかった……!」
(…俺、か)
でも私には無理でした、と啜り泣き、震える背中を優しく擦ってやる。こういう宥め方をしたら、また、子供扱いだと春歌は泣くだろうか。そんな不安を抱えながら。
「…ねえ、春歌。俺はそのままの君がすきだよ」
「……っ」
「でも君が大人になりたいっていうなら、俺が大人にしてあげる。だから、」
――そんなに無理して、ひとりで背伸びしなくていいんだ。
レンの腕の中で人知れず、春歌の目が見開かれる。日だまり色には似合わない雫が一層滴り落ちた。
「う、…ひ、っく……レ…さ…っ」
「俺の方こそ謝らせて。仕事とは言え、君以外とキスをしたこと。不安にさせて、泣かせて、ごめん」
「そ、んな…」
俯いたまま、春歌は頭を振る。
キスに嫉妬したのは事実だ。しかし、謝らせたかった訳ではない。困らせたかった訳ではないのだ。
春歌は申し訳なく思った。
「でも、これだけは言わせて。俺が、神宮寺レンとして、キスだとか、そういうのをするのはこの先ずっと、君だけだから」
春歌がゆっくり、顔を上げる。赤く濡れた目尻が白い肌を彩っていた。
レンは微笑んで、
「愛してる」
ゆっくりキスをした。
「落ち着いた?」
「は、はい…」
「……」
「あの、あんまり見ないでください…泣いた、後で…顔、ぐちゃぐちゃですし」
「ああ、隠さないで。どんなハニーも可愛いよ」
「〜〜!」
「ははっ。真っ赤だね。…ねえ、もう一回キス、してくれない?」
「、え!」
「いつも俺からしてたから気付かなかったけど、上手になったね。驚いたよ」
「あ…ぅ…」
「ほら、早く。ね?」
「わっ、私!ご飯の準備しなくちゃ…」
「後ででいいよ。…それとも、ハニーがお腹空いちゃった?」
「は、はい!お腹空きました!ですから…」
「そう…それじゃあ、」
「放して、くれますか?」
「存分に、俺を、食べて?」
「!!!」
一万打フリーリクエスト作品。/るなさん。
レン×春。春ちゃんを甘やかすレン様。
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