ふ、と。
瞼が持ち上がり、虚ろな日だまり色が顔を覗かせた。








You belong with me. 6











「一ノ瀬くん、何かあった?」


メイクアップルーム。
何度もトキヤのメイクを担当している、篠原が声をかけた。


「……判りますか?」

「ええ」


手の甲でパウダーを整えながら、さも当然のように続ける。


「肌の調子、悪いじゃない。隈も酷いわ。貴方にしては珍しい」


トキヤは苦い顔をした。

春歌が家を出てから、数日。トキヤはだいぶ参っていた。今回以上彼女に会えないことだって、何度もあった。だが、今回は訳が違う。睡眠はおろか食事もまともに喉を通らなくなってしまった。



「……ええ、少し悩みがありまして」

「恋の悩みかしら」


一拍も置かずに確信を突かれ、内心慌てる。だが、表情を、感情を隠すのは得意だ。さも何もないように、いつも通りのアイドルとしての一ノ瀬トキヤの顔で回避すればいい。それだけ。


「まさか。違いますよ。…仕事のことで、少々――」

「…図星みたいね」


心を全て読まれているような、そんな感覚に陥る。貼り付けた顔が崩れ、思わず驚愕の表情が溢れた。それも少しの間のこと。後には眉が下がり、物憂い表情になる。


「……私はそんなに判り易いでしょうか」

「いいえ。すごく上手く隠していると思うわ」


それなのに何故貴女は。そう思ったがトキヤはそれ以上聞かなかった。この人に聞いてものらりくらりと逃げられる。そういう、巧い人だ。
続けて、


「ああ、大丈夫よ。一ノ瀬トキヤに恋人が、だなんて野暮な話はしないわ。誰にも」


そう言って、上品に笑った。

ふわり。ベースを塗り込んだ肌にフェイスブラシが柔らかく走る。彼も、彼女も、黙ったままだった。荒れ出した肌、隈が鏡の向こうで消えていく。トキヤの眼が、それを施す篠原を一瞥する。


「…聞かないんですか」

「…聞いて欲しいの?」

「……いえ、」


長い前髪を押さえていたピンが外される。鏡の中の自分は、いつも通りの一ノ瀬トキヤだった。
有難うございました。お礼を言えば返事が帰ってくる。
部屋を出ようとしたところで、「一ノ瀬くん」声がする。振り向いたトキヤは、篠原と目が合うことはなかった。
篠原の視線は下に落ち、その先の手がひとつ、ひとつ。メイク道具をボックスに収めている。


「…あなたにとって、彼女は?」

「……かけがえのない存在です」


かちゃん。瓶が擦れる音がする。


「…そう。貴方の想い、ちゃんと届くといいわね。……立ち止まっては駄目よ」


――取り返しがつかなくなることだって、あるんだから。

そう言った篠原の表情は窺えなかった。ただ、何となく感じたことがある。この人は、昔大事な人をなくしたのだろう、と。
返事はしなかった。ただ、深く頭を下げた。扉を開いて部屋を出て、再び扉が塞ぐ直前。ぱたん、と、メイクボックスを閉じる音がした。













局の廊下に出たトキヤは、人気のない休憩所の椅子に腰を下ろした。徐に携帯を取り出し、ある番号を呼び出す。耳に流れたのはコール音。一回、二回…。何度鳴らせど繋がることはなかった。
終話ボタンを押して、ため息をひとつ。

ふいに、息を詰めるような音が耳を掠める。その方向に首を回せば、濃紺の眼に映ったのは、


「…音也」


一十木音也だった。


「…、随分久しぶりだね。今から仕事?」

「ええ、まあ。」

「そっか……、」


トキヤが座る場所から、少し距離を取って腰を下ろした。
じっ、と赤い視線が痛いほど濃紺を差す。


「……何か言いたそうですね」


音也が肩をびくりと揺らす。


「えっ!あ…、そんな風に見えた?」

「昔から解りやすい男だとは思っていましたが、変わりませんね」


トキヤは呆れたように微笑する。
つられたように音也も苦笑を溢し、下に視線をさ迷わせた後、意を決したように。


「トキヤ、さ…何かあった?………七海と」


刹那、音が消えたような気がした。空気が凍ったような感覚。本当に一瞬のことだ。
同時に。トキヤの顔から表情が消える。


「……何故、そう思うんですか」

「な、んか…トキヤ元気ないし、少し窶れた?……調子崩すとか珍しいから、七海のことかな、って」


其れを聞いたトキヤは、片手で両方のこめかみを押さえるように頭を抱える。暫くしてそれが外れた時には、酷く哀しげな表情が浮かべられていた。


「貴方にまで悟られるとは思いませんでした」


今一度、何があったの、と問う音也に簡潔に伝えた。春歌に、別れようと云われたんです。
音也の目が見開く。咽の奥で一瞬、息が詰まった。


「それで、どうするの…?まさか別れたりは…」

「……はじめは、彼女を手離さないと躍起になっていました。ですが今は……春歌の幸せを優先して、身を退く方がいいのではと思うようにもなりました」

「!でも、それじゃあ――」


続きの言葉を遮るように。


「私は、春歌の笑顔がだいすきなんです」

「……!」

「それなのに…私がそれを奪うのは酷く滑稽だとは思いませんか」

「トキヤ…」

「私では、春歌を泣かせることしか出来ません」


音也は焦った様子で立ち上がり、何かを紡ごうと口を開くが、また閉じる。嫌に咽が渇いて仕方がない。一度唾を呑み込み、奥歯を噛んで、意を決したように、もう一度。


「あのさ、…っ俺――」


「あ、いたいた。一ノ瀬さん!」


振り向けば二人の方に駆けてくるスタッフの姿があった。


「探しましたよー。そろそろスタジオ、入ってもらえますか?」

「…ああ、すみません。今行きます」


立ち上がるトキヤに、音也の咽から滑り出した言葉がするりと、帰っていく。


「何か言いかけましたが…」

「ああ…うん。何でも、ないや」

「…そうですか。…少々喋り過ぎたようです。先程のことは、忘れてください」


視線を一瞬だけ、下にさ迷わせて。その後はさも、何もなかったかのように。では、これで。そう言って背を向ける。
去り行く背中を見ながら、音也は再び腰を下ろした。溢れ出たのは、ため息。
いっそ吐き出せたら楽だっただろう。音也の心には重すぎるほどの、ひとつの真実。















がちゃり。部屋の扉が開けられて、部屋の主の眼が眼鏡の向こうで持ち上がる。それが捕えた人物を見て、ため息をついた。


「何だお前か神宮寺…。ったく、ノックぐらいしやがれ」

「ああ、悪いね、リューヤさん」


悪びれた様子もなく笑顔を溢すレンに、またもやため息。
龍也にとって、レンはかつての教え子だ。こういう対応には慣れているとはいえ、少々呆れる。


「で、どうしたんだ?お前がこんなところに来るなんて珍しいじゃねえか」


シャイニング事務所の一室。事務室だ。
レンは周りに視線を配る。龍也以外は誰もいないようだった。


「都合がいい」

「は?」

「リューヤさん。少し頼みがあるんだ。…それ、借りたいんだけど」


レンの人指し指があるものを指し示す。
それを追った龍也は、訳が解らないといったような顔をした。
当然だ。


「何だよ、お前だって持ってるだろうが」

「…お姫様は随分警戒心が強いみたいでね。頼むよ」

「お姫様?」

「ああ。イッチーの大切な、お姫様」






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