シャイニング事務所でのことだ。
「翔、くんっ!」
名前を呼ばれて振り返ってみれば、見知った顔があった。
「おう。久しぶりだな!」
「お久しぶりです…良かった、会えて…」
安堵したように春歌は息を吐いた。
彼女は自分を待っていたのだろうか。翔は首を傾げて、不思議そうに彼女を見た。
「どうした?何かあったか?」
「いえ。…あの、翔くんにお願いがあって…」
「…お願い?」
鞄を探った小さな手が姿を見せた時に、リン、と小さく鈴の音が鳴る。
それを一度ぐっ、と握り締め、ゆっくりと開く。そしてそれを、
「すみません。これを、…トキヤくんに渡してもらえませんか」
翔に差し出した。
「鍵…?何だ、トキヤ忘れていったのか」
「……私、少し出掛けることになってしまって…その、お願い、出来ますか?
「ああ、いいぜ。ちゃんと渡しとく」
また、小さく鈴の音が鳴って。鍵は春歌の手から、翔の手へ。
「…よろしく、お願いしますね」
彼女は、笑った。
You belong with me. 4
「今思えば、どっかツラそうに笑ってた気がすんだよな…」
トキヤのマンションを後にした二人は、エレベーターに乗り込んでいた。
ゆっくりゆっくり、下っていく。
翔は思い出していた。あの、春歌に鍵を渡された時を。
腑に落ちない笑顔を溢した彼女は小振りなキャリーケースを引き摺って足早に、背中を向けて行った。
その後直ぐにレンに会って、トキヤが今さっきタクシーで自宅に戻っていったことを知らされた。
追いかければ間に合う。そう思ってレンを引き摺り赤いスポーツカーを走らせるに至ったわけだが…。
まさか、こんなことになろうとは、頭の隅にも置いていなかった。
「…なあ、レン」
「なんだい?」
「お前、…戻って来ると思ってるのか?」
二人の蒼眼が交わる。
それを反らしたのはレンの方。目を軽く閉じて、息をひとつ漏らして言った。
「……思ってないよ」
「だったら何で…――トキヤにあんなこと言ったんだよ」
「…じゃあ、何て言えば良かったっていうんだ。『レディがここまでするんだからもう帰るつもりはないのかもね』?あんな状態のイッチーにそんな追い討ちをかけるような真似、出来るわけがない。
…おチビちゃんだっとそうだろう?その顔、俺と同じことを考えてたって、そういう表情だ」
翔は目線を反らして奥歯を噛む。
あの春歌が、ここまで事を起こしたのだ。メモ書き。荷物を纏めて消える。挙げ句の果てには鍵までを間接的に突き返してきた。
今思えば。鍵と同時に、翔は強い意思をも受け取った気がしたのだ。
もう戻らない、と。
「でも…俺は……」
チン。
軽い音が鳴って、エレベーターが一階を伝えた。
エントランスを抜けて車に向かって歩を進める。その際二人は黙ったままだった。
助手席に乗り込んだ翔がバタンと扉を閉めると同時に、レンがエンジンをかけた。
「それでも俺は、さ…」
翔はシートベルトに手をかけ、自らを縫い付ける。
「信じたいんだよな。
…十年近く見てきたんだ。こんな簡単に…たった一月ちょっとのロケごときで、アイツらが壊れるはずがない、って」
「……」
「…その顔、俺と同じことを考えてたって、そういう表情、だろ?」
レンは一瞬目を見開いて、やがて細める。
翔はニヤリと笑った。
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