※本編から。熱だしたトキヤさん。もしも、



確かに目の前で熱に浮かされていたのは一ノ瀬トキヤだった、はずだ。
ただ、譫言のように紡ぐのは間違いなく、HAYATO、その人で。

困惑した春歌をよそに、彼はぐいとその細く白い腕を掴んで寝台に引き摺り込み、両手首をあっさり縫い付ける。
二人分の重みでスプリングが軋んだ。

天井を背景に、眼前いっぱいに広がる整った顔立ち。
ああ、綺麗。などと今の状況に不釣り合いな感情が湧いてきたのも束の間、春歌の太股を挟むように跨がった彼の熱を帯びた眼と、視線が交差した。


「一ノ瀬、さん…?」


そう呼んでみても返事は返って来ず、ただ熱い息が降ってくる。

ふいに熱い息と共に濃紺の髪を持った頭が降ってきて。普段人を魅了する歌を紡ぐ唇が春歌の耳に触れた。
途端に細い身体がびくりと跳ねて、上擦った声が上がる。


「一ノ瀬、さん…っ」


返事の代わりに、唇から這い出た赤い舌が耳殻を捕えた。

更なる困惑の渦が春歌を呑み込む。
どうしてこんなことになっているのか。直接聴覚を犯す水音。自分から上がる、甲高い声。


「やだっ…ぁ、」


羞恥にかられ、身動ぎして何とか逃れようと試みるがそれも叶わない。力は歴然だった。それでも彼女は小さな抵抗を示した。


「―――春歌」


吐息に溶けてしまいそうな声が確かに自分の名前を呼んだ事に気付き抵抗が止まった。

トキヤが耳から唇を名残惜しそうに離し、春歌を見下ろす。


「お願いですから、逃げないで」


少し下がった眉、熱い視線に、抵抗を忘れた春歌の身体は弛緩する。
それを手首から感じたであろうトキヤは優しく笑った。


「ん。いい子、ですね」


濃紺が首筋に降りてきて、音を立てて食む。
その時だった。
トキヤの肘ががくんと折れて、春歌の身体にのし掛かった。

手首の拘束が緩み、それを見て右手が抜け出し彼の肩を叩いてみる。返事はなかった。ただ耳元に寝息がかかるだけ。

横に見える顔はいつもより幼く見えて、彼女は柔らかく笑った。
小さな右手がその髪を撫でる。

先程崩れたトキヤの腕がゆっくり動いて春風を閉じ込める。
それを彼女は静かに享受した。




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