(それはとても、大きなことだったのです)




「……か………い、っせ、は…………ううっ」


背が丸くなって下を向いてしまう。誰に見られているわけでもないのに、ご丁寧に両手で顔まで覆っていた。
熱くて仕方がない。それは顔か、手か――否、両方であろう。更に正しく言えば、既に全身が熱持っていた。
春歌は息を吐く。少し気持ちを落ちつけたかった。気晴らしにと電源を入れた大型のテレビには一ノ瀬トキヤが映っていて、思わず肩が跳ねる。


『では、歌っていただきましょう。一ノ瀬トキヤで――』


音楽番組だった。先日収録したという話を聞いてはいたが、うっかりしていた。
放送日を忘れるなんてことは滅多にない。例外と言えば自分の仕事が切羽詰まってしまった時だが、今は余裕がある。今日は――いや、最近は別の意味で少々余裕がない訳だが。
先程の映像は丁度、トークを終えた後のワンカット。すぐに引きの画面になり、女性アナウンサーが曲名を告げた後にはカメラはすっかりステージに切り替わって、前奏。春歌はソファーに深く座り直した。普段の彼が好んで着るではない、少々露出度の高い衣装だった。覗く肌は白くも逞しい。響く低音、伸びる高音。きらきら光る照明よりも、ずっと、ずっと――


(……輝いてる)


それは紛れもなく数多輝くアイドルと言う名の星々の、頂点。

彼が自分の恋人であることに罪悪感を覚えた事も正直、あった。世間には秘密の恋人関係――…それが変わったのは、ついこの前の事だ。
一ノ瀬トキヤの婚約報告。それは、世間を大きく騒がせた。

――婚姻届に二人の名前を綴り。
――あの、ハートリングを刻んだ丘で、左手の薬指に贈られた、一生の愛を誓う証。

ちらりとそれに目をやって、春歌の頬は再び赤く染まる。きらきら、きらきら。外から注ぐ光で輝いていた。

あの日書いた婚姻届けは、まだ提出してはいない。先に控えた挙式の日に提出しようと二人で決めた。その為今は大事に、大事に引き出しにしまってある。


「……一ノ瀬、春歌…かあ」


テレビに視線を奪われたまま、自然と口から出た、それ。一人きりのこの部屋では誰に届く事もない筈だったのだが、


「おや、漸く言えましたね」


背後からの声に肩が跳ねて、勢いよく振り返った。其処には、トキヤの姿。春歌は思わず立ち上がり、テレビと彼とを交互に見てしまったがなるほど、これは収録であるからして彼が此処に居ても何ら不思議ではない。思えば容易い事。それに気付かないほど動揺してしまった。その証拠の二つ目に、彼を呼ぶ、トキヤくん、の言葉も見事に裏返ってしまっている。
そんな春歌の様子にトキヤはくつくつと笑った。


「ただいま、春歌」

「おっ、おかえりなさい…っ」


春歌はあまりの両頬の熱さを手に吸い取らせるように押さえた。同時にこんなに赤い顔を見せたくないとも思っての事だが、春歌の小さい手では隠れはしない。


「……やっと、言えましたね、『一ノ瀬春歌』と」

「…聞いてたんですかっ」

「ええ、丁度」

嬉しいです、と。決してテレビでは見せない顔で――春歌の前でしか見せない笑顔で、言った。

トキヤは数歩で春歌との距離を詰めて、


「っひゃあ!」


華奢な身体を抱き締めた。
右手でするりと柔らかな春色の髪を撫でて、こめかみに、頬に、キスの雨を降らせる。


「トキヤくん…っ」

「もうすぐ一ノ瀬春歌になるのですから、慣れておいてくれないと困りますね」

「ん…っ、ぁ」

「練習、しましょうか。ほら。もう一度」


何度、何度練習したか。
毎度毎度照れてしまってきちんと紡げなかった。
だが、今日は。自然と出た未来の自分の名前。
もう一度再現しようと思っても、情欲を煽るようなキスをあちこちにされては更にハードルは上がる。


「……い、ち…せ、はる、か」


それでも必死に紡いではみたものの「不合格です」と妖艶な笑みを浮かべたトキヤの唇が春歌のそれを奪った。

暫く小さな水音が鳴る。時折鼻から抜ける様な二人の息遣いが交差して。
終わりは、春歌の膝から力が抜けた時。その身体が床に崩れる事はない。トキヤの両腕が抱き止めた。そのまま横抱きにして、先程まで春歌がテレビを観ていたソファーに腰を下ろした。
トキヤは、それこそ熟れた林檎の様な頬を両手で包む。じんわりと熱が馴染んでいった。


「照れながら言う姿も愛らしいですが……外で名乗る度そんな顔をされては心配です」


もう一度、と。続けて耳元で囁いた。おまけに耳にやんわりと歯を立てる。

甘い
甘い
躾の時間の、はじまり。


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