「ここと、ここ。少しテンポが悪いから直した方がいいね。それから――…」


細く、白い人差し指が楽譜を軽く叩く。とん、とん。指定された箇所を漏れないように春歌は赤いインクを滑らせた。軈て、「うん、そんな感じかな」その言葉を合図にペンを置く。
昔より、ずっと。指摘される部分は減った。その事実が嬉しくて、胸の辺りが少しこそばゆい。


「ありがとうございます美風先輩!勉強になりますっ」


ソファーに腰掛けたまま上半身を捻って、隣に座る藍の方に頭を垂れる。


「……どういたしまして」


藍は何処か照れたような口調で小さく呟いて、目の前の頭を撫でた。頭から耳を越えて、頬まで。手を滑らせたところで気付く。暫しの沈黙に顔を上げた春歌がその顔を不思議そうに覗き込んだ。未だ春歌の左頬に居座る藍の手に、そっと手を重ねてみる。


「どうかしまし――っ、ひゃあ!」


重ねたその手を強く引かれて、そのまま藍の薄い胸へとぶつかる。


「…体温、少し高いね?」

「ああああの!…っ、近…!」


兎に角距離を取ろうと試みるが、細い割りに力のある両腕に抱き締められ叶わない。


「熱があるようには見えないし…もしかして、」


――眠い?

そう問えば、肯定の返事が返ってくる。返事と言っても直接言葉にはならない返事だ。
春歌はどうにも判りやすい。


「眠くなるとあたたかくなるって…子供みたいだ」

「す、すみません…」

「?どうして謝るの。…取り敢えず、いいよ、もう。今日はここまでにしよう」

「…!あ、の!大丈夫です!まだ――」

「睡眠欲に駆られた状態で続けても非効率的。特に急ぎでもないし、無理する必要はないよ」

「……はい」


人を見抜く力はあるほうだと、藍は自負する。しかし、それにしても本当に判りやすい。藍は思う。目に見て取れるほどに落ち込んでいる。
急ぎの作業なわけでもない、睡魔を抑え込んでまでやらなければならないことではない。それなのに何故ここまで落ち込んでいるのか――春歌が音楽を愛しているから。直向きな情熱が彼女を駆り立てている。そういう考えに至った。だが、感じる違和感。もしかして、と、ずっと思っていた。


(もしかして、ボクが感じるこの感情と似たものを、キミも?)


春歌の見えない頭上で僅かに頭を振って払う。余計な事は一蹴すべきだと結論付けた。


「ほら、行くよ。ベッドルームは…あっちだね」


小さなあたたかい手を手を引いて少々早足に、寝室の扉を開け放つ。


「じゃあね、おやすみ」

「…っ、あの!」

「……何?」

「あの、明日もお時間いただけないでしょうか…!」


必死に紡いだ本音だった。
彼と音楽を奏でたいという気持ち、そして――少しでも一緒にいたいという、気持ちを込めて。目を丸くした藍は軈てそれを居心地悪そうに細めた。自分が今感じている感情に困惑しているようであった。


「……いいよ」




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