焦がれて、募って。
今はただ、懐かしいあの頃の香りが終始香るような気が、した。




――都内某ホテル。

広大な一室に彷徨する人々は、見知った顔が多い。それもそのはず、行われているのはシャイニング事務所大忘年会である。社長のとんでも登場に、今期仮所属になったアイドルたちの余興からはじまり、今はすっかり立食パーティーといった姿だ。
暖色の照明は言葉通りあたたかみを帯びていて、それに誘われるように視線を上げれば、煌びやかなシャンデリアが天井を彩っていた。思わず目を細める。彼にとってみれば見慣れたものであるから、その視線は物珍しいものを見るような目ではない。というより、彼の瞳に映るシャンデリアは、正に映っているだけの代物だ。きらきら、きらきら輝くそれに、別のものを重ねていた。宝石のような輝きを見せる、蜜色の瞳。
自然と口元が彼女の名前を紡いだ。まるで、彼女を探すように。

レンは、今日何度目になるか、会場を見渡した。だが追いかけるべき背中はやはり、何処にも見当たらない。その姿はまるで母を探す迷い子のようだった。
スマートフォンのバックライトを点灯させる。変わったことは何もない。あの日、どうせなら自分に連絡をしてくれれば良かったのにと理不尽な文句が漏れそうになった。

――とん。
肩を叩かれる。振り向けば白いスーツに身を包んだ友人がいた。


「こんなところにいましたか」

「……イッチー…」


振り向き様にグラスの中身がゆらり、揺れる。


「辺りを見渡して、誰かをお探しですか?」

「……」


悪戯に笑うトキヤに、どうにも素直な気持ちが口を突いては出なかった。


「…ああ、そういえば、」


一息置いて、


「先程七海くんと会いましてね」

「っ、何処で?!」


気付いたら声を荒げていた。目の前のトキヤは驚いたように見開いた目を細めて見透かすような笑みを浮かべている。周りにいた人間は驚いて振り向き、暫く此方を見ていたが軈て何事もなかったように散っていった。
次の言葉を耳にした瞬間、足がその方向に向いた。







「……あ、」


言葉が上手く出なかった。自分らしくない。レンは嘲笑を溢す。ただ、その声にならない声を捉えた人物がいた。他の誰でもない、目の前の、


「……神宮寺、さん…!」


七海春歌だ。

最後の記憶より幾分大人びた様にどくりと胸が鳴る。すう、と息を吸って、いつも通りを心掛け、スマートに。久しぶりだね、レディ。そう言ってみせた。


「お久しぶりです、神宮寺さん」


神宮寺さん、と。彼女が自分の名前を――名字ではあるが――呼ぶだけで、特別なものな気がした。
ふわりと微笑む笑顔は、あの頃のまま。

言いたい事だって沢山あったのに、何だか上手く言葉にならず、ただ春歌をじっと見たまま沈黙してしまった。あるいは無垢な日だまり色の瞳に吸い込まれてしまっていたのかもしれない。軈て空色の瞳の中の春歌が、困惑の色が見え隠れする笑顔を浮かべた。


「私、神宮寺さんと会いたかったです。話がしたかった……ずっと。……でも今日会えるってわかったら、何を話したらいいか……判らなくなってしまいました」


さあ、と。人気のないバルコニーに優しい風が駆けていく。
レンは思わず春歌の腕を掴んだ。この風に溶けてまた、自分の前から消えてしまうのではないかというありもしない錯覚が襲っていた。直ぐに我に返り、ごめん、と短く謝罪を口にして手を離す。ほんの、数秒。掴んだ腕はあまりにも細かった。


「全部」

「……え?」

「俺は、君の思っていることが聞きたい。何でもいい。どんなことでも、全部」


――喩え自分を批難する言葉だとしても。

最後の思いは胸に止めた。

視線が交じりあっていた。沈黙の向こうではパーティ会場の盛り上がり。その大きいはずの音が意識から消えていく――まるで、二人だけの世界。


「……私、神宮寺さんに甘えていました」


春歌が静かに口火を切った。


「私は、神宮寺さんとデビューがしたくて……でも、アメリカ行きの話も自分からはっきり断れなくて。だから引き止めて欲しかった。自分じゃ結論付けられないから、あなたに押し付けたんです」


ごめんなさい。そう言って春歌は腰を折った。
レンは何を言わなかった。言えなかった。心中がざわめいて仕方がない。自分と、彼女は、同じ事象をこんなにも違う風に捉えていたのか、と。


「私の夢を大事にしてくれていたんだ、って気付きました。背中を押してくれたんだ、って気付きました。でも遅かった。神宮寺さんに見放されたんだって泣いていた時期が、長すぎました」

「……レディ…」

「ごめんなさい、ありがとうございます」


その言葉を発した春歌の瞳は、潤んでいた。今にも溢れそうな涙を見ていられなかった。抱き締めたい衝動に駆られた。

俺も君とデビューがしたかった。そう、伝えたいのに言葉が上手く出てこない。この沈黙を彼女はどう受け取っただろうか。

春歌は手に持っていた小さな紙袋をレンの方に差し出した。反射的に受け取ったレンは中を覗き込んでみる。ケースに入れられた一枚の、ディスク。


「あの時の曲です。それは、神宮寺さんのために作ったものだから、貰って欲しいです。……だめ、ですか?」


卒業オーディションで歌って欲しいと頻りに言われ、不本意ながらも突っぱねたあの曲だと判るのに時間は要らなかった。








――その夜。

パーティから帰宅し、着替えるでもなくオーディオの前に立つ。紙袋からディスクを取り出しセットすれば、機械に吸い込まれて行った。そして流れ出す音楽。どくり。胸が鳴った。あの時聞いた曲と同じ曲、だが、雰囲気が違う。レンは気付いた。春歌がアメリカに渡ってからも、何度も、何度も手直しを加えていたことに。
胸が痛いくらい早鐘を打つ。こんなにも音楽に惹き込まれたのはいつ以来だろうか――言うまでもない、早乙女学園在学時、この曲の片鱗を聴いたあの時以来だ。

レンは手早くスマートフォンの電話帳から七海春歌のデータを呼び出して、ひとつ、息を吐いた。
何度も電話を待った。来るはずのない、電話を。何度も電話を掛けようと思った。しかし電話番号が変わっていないか不安で結局通話ボタンは押せないままだった。今、その不安は、ない。
レンの耳に呼び出し音が届く。やけに長く思えた。


『――はい。七海、です…』

「っ、あ……遅くにごめんね。俺、だけど、」


少し上擦った声にレンは自嘲した。
スマートになんかいかない。それでもいい。伝えたい言葉が山程ある。
さっき伝えられなかった、俺も君とデビューがしたかった、とか、あの時はごめん、だとか。ずっと巣食っていた胸を焦がすような、何処か甘酸っぱい気持ちも、出来ることなら。





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