額から嫌な汗が滲んだ。
ぺたりと床に腰を下ろして凝視するのは、トキヤが持ち帰って来た紙袋の中身である。結果的に彼の私物をこうして勝手に見てしまっているが、漁っただとか、そういう訳ではない。先程、通り道に置かれていた為、幸か不幸か、うっかり倒してしまったのだ。紙袋から溢れたそれを戻そうと手に取ったところで、固まってしまった。

見間違いようがない。薄桃色のそれは、紛れもなく、


(ナースキャップ…ですよね…)


ちらりと紙袋を一瞥する。同系色のものが見えた気がした。恐る恐る手にすればそれは案の定、ナース服。まさか、まさかとは思うがこれを自分に着せようとしているのではないだろうか。…いや、それしか考えられない。それこそまさかトキヤ自身が袖を通す訳ではないであろうし、彼には思い当たる節がある。暫く前の話になるが、メイド服を持ち帰って来た男だ。二度目があってもおかしくはない。
持ち帰って来るだけなら、いいのだ。ただ、当然のようにそれだけでは終わらない。その晩は眠れなかった記憶と、次の日立ち上がる事が出来なかった記憶が鮮明に残っていた。
だから。トキヤが風呂に入っている今。何処かにこれをしまい込んでしまおうと考えた。最初から彼はこれを持ち帰っては来なかった。そういうシナリオをでっち上げる。春歌は嘘を付くのが苦手であるが、何とかなる…否、何とかする。それが今宵、そして明日の自分の身を案じる事に繋がるのだ。

ただ、固まっていた時間と、思考を巡らせていた時間が長かった。
不意に背後から何かを感じた。風呂上がりの身体にまとわりついた湯気と、香り。


「お気に召しましたか?」

「……ト、キヤ、くん…」

「やはり君にはピンクが似合うと思いまして」

「…〜っ!トキヤくん!!」


勢いよく立ち上がって後ろの男に睨みをきかせる。あまり迫力は感じられないが、トキヤは驚いたように僅かに目を見開いた。
腕に抱くようにナース服とキャップを隠して、息を吸い込んだ。


「この前!言いましたよね?こういうのはもうやめて欲しいって…!解りましたって言ってくれたじゃないですか!」


そう。確かに言った。メイド服を着せられて一晩中ぐちゃぐちゃにされた後の朝、確かに言った筈だ。トキヤも「ああ、その事ですか」と納得したようであったが、次に発した言葉に春歌は唖然とする事となる。


「だから、やめたじゃないですか…メイド服は」


どうやら互いの解釈が違っていたらしい。"こういうの"と言うのは春歌にとってはコスプレ服の類い全般であったが、トキヤにとっては、それはメイド服に限定して解釈されていた。


「私はこういう服も全部含めてのお話をしたんですっ!」


引いてはいけない。いつも折れてしまう気の弱さを懸命に押し込めて意思表示をした。

睨み合う事数十秒。すっと伸びてきたしなやかな、然し乍らしかと男の手をしたそれ。春歌は怯えた様子で身体を揺らし、一歩後退ってトキヤの手を回避した。現時点、彼の手に捕まる訳にはいかない。今度こそきちんとした約束を聞くまでは。
一方のトキヤはその反応にぴくりと眉を動かし、その眉根には深い皺が刻まれた。


「……全く、何が気に入らないのですか」


逃げて良かったと、春歌は安堵する。あの手に触れられたなら。恐らくは前回の二の舞であっただろう。


「トキヤくんのそういうところです!…もうっ、知りません!」


春歌には珍しい声の大きさでそう言い放って、服を抱えたまま部屋を飛び出した。自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、応じない。足早に玄関まで向かって片足を靴に捩じ込んだところで、左の上腕を捕まれる。

苛々、していた。
それが行動にあからさまに、出た。

思い切り振り払ってしまったのだ。その際振り向いた形になり、顔を上げれば。これまでに見た事のないような表情がそこにはあった。驚いた表情が、悲しみに染まった。
何か、言うべきだったのかもしれない。流石に謝罪をすべきだったのかもしれない。ただその時。急に言葉が出てこなかった。その表情を目の当たりにした春歌の方も、驚き、悲しみに溢れてしまったからだ。
咽が、急に狭くなる。そのまま春歌は扉を開け放った。滑り込んできた秋風が頬を撫で、冷たくなった心を更に冷やした、気がした。


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