地盤が緩くなった気がするのだ。
まるで雲の上でも歩行しているかのように足元が覚束無い。そういう、感覚。

不意に思い出す。触れる距離で感じた熱だとか、香りだとか。今にも泣き出しそうな密色の瞳、だとか。それが脳裏を掠める度に、何故だか胸がちくりと傷んで、形のいい眉を歪める結果を招く。
藍は足を止める。事務所の廊下の真ん中。幸い人通りは少なく、誰かの歩行を妨げる事はなかった。


「あーいあいっ!」


突然に背中に感じた衝撃に息を詰める。首に回ってきた腕を容易くほどいて振り向けば、子供のように無邪気な笑みがあった。


「ちょっと…やめてよね、急に」

「あははっ。ごめんごめん」


あいあいに会うの久しぶりだから、ぼくってば嬉しくなっちゃってさ。嶺二は両手を軽く挙げて離れる。それから。
全く。そう言って呆れたように息を吐く藍の顔をあちこちから覗き込んだ嶺二は、ひとり納得したように頷いた。


「……何?」

「んー?…いや、べっつにー?」


へらりと笑って、ひらりと回避する。何となく嫌な予感が藍の脳を過った。だが、訊かずにはいられない。

そう仕組んだのは、彼だ。


「言いなよ。気になるから」

「……そう?じゃあ、言っちゃおうかな」


――今日は少し、寂しそうだね。

藍は、少し驚いた表情を見せた。


「……寂しそう?」


そう訊けば肯定の返事が返ってきた。

寂しそう
寂しそう
寂しそう

そんな表情なんて、した覚えがない。


「…後輩ちゃんが一緒じゃないから?」

「…!」

「…なーんか、変わったよね。昔は四六時中すましたお人形さんみたいだったけど、今は…人間らしくなった?そんな顔までしちゃってさ」


嶺二は藍に真っ直ぐな視線を向けた。すいと目を細めて、緩く口角を上げる様は、無邪気なんてものじゃない。何かを企む悪戯っ子のような…いや、それよりも大分、年相応に大人びたものだ。思わず背中がぞくりとする。何かを、見透かされているような感覚に僅かながら息が苦しい。


「…そんなこと、ないと思うけど」

「甘いねあいあい。れいちゃんの目は誤魔化せないぞ〜」


ふにゃりと、いつもの嶺二が笑う。その笑顔に、調子を狂わされたような気がして。藍はあからさまに不機嫌そうな顔をする。そんな表情を見て、嶺二は内心、ああ、やっぱり。そう思って、笑った。


「…変わったの、後輩ちゃんが来てから、だね」


ね、あいあい?
彼は大人な笑みと共に、大きな爆弾を投下した。



(今にも機能が停止しそうなくらい、目眩がした)




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