2.




その男は、雑ビルの小さな窓から上半身だけ身を乗り出してジタバタと何とか抜けだそうとしていた。

「そ、そこの人〜!助けてください〜!!」

留三郎は一瞬、事態が飲みこめずにぽかんとした。
空き巣かとも思ったが、どう見てもこの男はそんな風には見えなかった。

白いモコモコのダウンに赤いノルディックのイヤーマフをした泥棒がどこに居るだろうか。

「たーすーけーてー!!」
「お、おう!」

慌てて近寄ると、男はよっぽど心細かったのか瞳にじんわり涙を浮かべていた。
よくよく見ると、男というよりも青年というべきか。柔らかそうな亜麻色の髪に大きな優しい瞳をしていた。

(あれ…こいつ、どこかで)
「すいませんー!早く!」
「あ、ああ。引っ張るぞ!」

助ける立場なのに何故か最速された留三郎は、青年の手を掴むと力いっぱい引っ張った。

「あだ!いたたたた!」
「ちょっと我慢しろよ。それにしても、アンタ手ぇ冷たいな」
「だって、3時間ぐらい誰も通らないから…」
「3時間!?」
「だから早くー!!」
「こっちも引っ張ってるんだよ、だいたいアンタもこもこし過ぎなんだ」

青年の着ている白いダウンがどうにも、もこもこし過ぎで狭い窓に明らかにひっかかっている。
こんなクマのぬいぐるみの話があったなと思いながら留三郎は引っ張り続ける。

「っ、ちょっと力入れるぞ!」
「何でもいいから抜いてー!!」
「いよっと!!」
「!!」

壁に足をかけて渾身の力で青年の腕を引っ張る。

「うああああ!」
「ぐっ!」

突然腹に、重たい衝撃を喰らって留三郎は呻いた。その反動で、そのまま床に尻もちをつく。

「ったたた…」
「痛ってー……!?」

クリスマスに橇から見る雪のようだと思った。

あまりにも近くに瞳があった。
胸がどくりと鼓動を打つ。

青年は尻もちをついた留三郎の上にのしかかるようにして落ちてきた。

一秒だろうか。一分だろうか。
見つめあって、慌てて青年は留三郎の上から下りた。

「ご、ごめんなさい!僕…」
「いいよ、困った時はお互い様だ。それより怪我は?」
「長時間あの体勢だったせいで腰が痛いけど、それ以外は……ってああ!!」

きょろきょろと自分に異常がないか確かめている様子を見て、小動物みたいだなコイツと思っていると、青年が突然叫んだ。

「どうした!?どこか怪我でもしたのか」
「お気に入りのダウンが…汚れちゃった。それに窓も壊しちゃった…」

確かに、白いダウンにくっきりと窓に嵌まっていた形の汚れがついている。
その窓の方はというと、元々あまり頑丈ではなかったのだろう、窓枠が見るからにぐらついていた。

「すぐにクリーニングに出せば大丈夫じゃないか?」
「今月、出費が多くてそれどころじゃないよ。それにこの窓枠も弁償しろって言われるし、きっとまたバイト、クビだぁ…」

へなへなと力なく座りこんだ青年が気の毒になって留三郎は手を差し出した。

「俺が工具持ってりゃ良かったんだが」
「大工さんなの?」
「まあ、似たようなもんというか何というか」

まさかサンタ見習いやってますとも言えず、留三郎は先程から気になってたことを訊いた。

「っていうか、アンタなんであんな窓に嵌まってたんだ?」
「ああ、うんと…その前に!助けて貰ったお礼言ってなかったね。ありがとうございました!本当に助かりました…って、いつの間にかタメ口になっちゃってたけど」
「気にすんな、同い年ぐらいだろ。で、なんで窓なんかに」

白いダウンの青年は盛大にため息を吐くと、いつもの事なんだけどと前置きしてから、ぽつりぽつりと話し始めた。

「僕、この店でバイトしてるんだけど最後一人になった時、外からカギ閉められちゃって…」
「普通そういうのって、店長とかが閉めるんじゃないのか?」
「その店長に気付かれないまま、閉められちゃったんだよ!何だか店側からも鍵開かないしさ!しょうがないから窓から出ようとしたら…」
「あのザマか」

もう諦めましたという風に青年は頷いた。

「よくあるんだ…ちょっと僕、いやかなり不運体質で乗ってた電車が遅れたりとか、何故か道路に空いてた穴に落ちたりとか、階段から落ちたりとか、今回みたいなこととか、財布落としたりとか」
「おいおい、大丈夫かよ?財布、あるのか?」
「あっ!財布!!」

ダウンのポケットをごそごそとやると、青年はほっとした顔で財布を取り出した。

「…あった!」
「良かったな」
「本当にありがとう。君が来てくれなかったら、凍死してたとこだったよ。お礼をしたいんだけど、次のバイトに行かなきゃいけないんだ」
「気にすんなって。でも、本当に大丈夫か」
「大丈夫、ありがとう」

青年は何度も頭を下げながら去って行った。留三郎も、それに手を振って応える。
完全に姿が見えなくなったところで、ふと一つの事実に気がついた。

(そういえば、アイツ、俺のことが視えていたのか)

サンタクロースは見習いと言えども、人間界では魔法を使わなければその姿が視えないのだ。
例外は、ほんの小さな子供である事、本当にサンタクロースを信じている事、あともう一つだけなのだが……。

「ん?」

廊下の片隅で何かが光った気がして足を止める。一枚のカードが落ちていた。

「健康保険証…アイツのか」

窓から出た時の衝撃で零れ落ちたのだろうか。どうやら、本当に彼は不運らしい。

「善法寺伊作、か」

保険証に記載された住所、それは留三郎にとっても馴染み深い場所の近くだった。

(明日、行ってみっか)

あの雪のような綺麗な瞳。
それを思い出すと何だか放っておけないような気持ちになる。

(何だこれ…)

その気持ちに戸惑いながら、とりあえずは帰るべく、その保険証を大事に仕舞いこんだのだった。





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