05


緊急警報がけたたましく鳴っている。
慌ただしく兵士が行きかう緊張の中、八左ヱ門と兵助は二人、船の上に居た。
これが本土へと向かう最後の船だ。
緊迫した空気とは裏腹に、海辺には薄紅の桜の花弁が散っていた。

「っ、どういうことですか!立花先輩!」
「どうもこうも無い。久々知、竹谷、貴様らは病人だ。病人は役に立たない。だから本土に送り返すまでだ」
「そんな、オレたちは戦えます!」

甲板から桟橋に向かって八左ヱ門が吠える。
向こうには戦闘準備をしている留三郎と文次郎が見えた。

「さあな、私はおせっかいに頼まれただけだ」
「おせっかい…留兄ちゃんか!でも!!」
「竹谷!久々知!!」

仙蔵には珍しく大きな声が海辺に響き渡る。

「これは上官命令である!!」
「―っ、了解、致しました」
「了解、致しました」

二人が悔しそうに敬礼をする。
それを見た仙蔵は、口角を上げた。

「おせっかいから伝言だ。『生きろ』だそうだ」
「「―っ、はい!!」」

やがて船は海辺を離れていく。
甲板の上から二人は、大きく振られる手を見た。





振った手を下ろすと仙蔵に声を掛けられた。

「お前の後輩馬鹿も、ここまで来ると筋金入りだな」
「仙蔵、無理を頼んで悪かったな」
「かまわん。久々知は私が連れて来たしな」

海辺にほど近い塹壕―前線には留三郎と文次郎が居た。

「まったく、お優しいことだな」
「ああ?潮江、お前喧嘩売ってるのか」
「いいや、喧嘩を売る相手はこれからいくらでもやって来るからな」

そこへ、飛行服を来た小平太と長次が駆けてくる。

「お前ら、どうした」
「私たちもこれから出撃だからな」
「…挨拶に来た」

これで五人が揃った。
ただ、伊作だけが欠けている。

「いさっくんは?」
「医療テントにこもって、準備している」
「…相変わらずだ」

長次が笑うと、誰ともなしに握った拳を突き出した。突き合わせた拳に、桜の花弁が一片落ちる。

「またな!」
「ああ…」
「また、生きて…」
「絶対に」
「また、生きて会おう!」

そうして五人は各自の持ち場へと向かっていった。





最前線の惨状は目を覆いたくなるほどのものだった。
敵味方が入り混じり、寄せる波に腹を仰向けにして浮かんでいる者もいる。
銃撃の飛び交う最中、留三郎と文次郎は背中合わせで前線を守っていた。

「はっ、まさかお前と背中合わせで戦う日が来るとはな」
「そうか、俺は結構覚えがあるぜ、っと」

文次郎が攻め、留三郎が守る。留三郎が攻め、文次郎が守る。そんな背中合わせの攻撃に、文次郎はどこか昂ぶりと既視感を覚えていた。

「なあ、前にもこうしてお前と戦ったことがあったか」
「さあな、自分で思い出しやがれ!」

留三郎の放った銃弾がまた敵兵を倒した。
しかし、いくら砂浜に掘った落とし穴といったゲリラ兵器があれど、すでにこの場は限界に近付いていた。

「畜生、こんないい天気で桜だって咲いてるっていうのによ」
「全くだ。ここも、もうすぐ限界だな」
「ああ、そろそろ合図が」

丁度その時、一筋の狼煙が上がる。
それはこの塹壕からの撤退の合図だった。
敵を塹壕まで誘い込み、全員が地下へ撤退すると同時に、発破で塹壕を壊し生き埋めにする作戦だ。

「おい、ぐずぐずすると巻き込まれるぞ」
「分かっている。ん、アイツ合図に気付いていないのか」

文次郎の視線の先には一人の若い兵士が居た。どうやら、足が完全に震えてしまっているらしく、撤退の合図にも気が付いてないようだ。

「チッ、行ってくる」
「おい急げよ」
「分かっている、バカタレ!」

走る文次郎の背後を警戒する。すでに敵兵の誘導が始まっており、予断を許さない状態だ。周囲に人影はないが、その時、留三郎に何か囁くものがあった。

振り返ると、青空に似つかわしくない何かが文次郎に目がけて飛んでくる。
それを認めた瞬間、留三郎は文次郎に向かって走り出していた。


「文次郎、危ねぇ!!」


―爆発は一瞬だった。

一瞬意識がとんだ文次郎は、自分に覆いかぶさる何かに気付いて起き上がろうとして、その手が生温いもので、濡れていることに気がついた。

「…食満?」

そして、覆いかぶさっている者に気付く。

「お、おい!留三郎!!」
「うるせー馬鹿もんじ、騒ぐな…」

憎まれ口をたたくが、その声が弱々しい。額から、腹から流れる赤いものが、どんどん土に染み込まれていく。

「バカタレ!何で俺を助けたりなんかした」
「知らねえよ…身体が勝手に動いてたんだ。でも、あの頃みたいには動けねぇな…。やべ…目が霞む…。な、お前、いさに伝えてくんねぇ」

文次郎は無言で留三郎を担いだ。
担がれた痛みに眉を寄せる留三郎に、押し殺した声で言う。

「俺が伊作の処まで連れて行く。だから自分で言いやがれ」
「もんじろ……」

土埃の中文次郎が走る。痛みに朦朧としながら、地下道へと担ぎこまれた瞬間、塹壕が崩壊した。





伊作は今、作業をしていた。
死ぬことが確実な者と、生きる可能性がある者を分別する作業だ。
死ぬ、生きる、死ぬ、生きる。心を殺して札を付けていく。呻き声も、この世を呪う声も泣き声も、全てを殺してただ作業をしていく。

「…さく!伊作!!」

そんな中、伊作を呼び戻す声が聴こえた。

「文次郎、そんなに慌てて…留三郎!?」

運び込まれた留三郎はひと目見ただけで『死ぬことが確実な者』だと分かった。
所々焼け焦げた軍服から赤い皮膚が覗いている。とりあえず、空いているベッドに寝かせるように指示を出す。

「待って、今治療を…!!」
「いさ…いい…」

もう無理なのだと云う様に留三郎が首を振る。
 
ほとり、ほとりと流れ出る留三郎の赤いものに、ほとり、ほとりと、伊作から落ちる透明な雫が混じる。

「そんな、やっと逢えたと思ったのに…
どうしてお前はいつも先に行ってしまうんだ!」
「いさ…なく、な……」

留三郎の腕がピクリと動く。
いや、違う。腕を上げようとしているのだが、もうそれすらも叶わないのだ。
それに気付いた伊作が両手で留三郎の手を包みこんで、透明な筋のついた自分の頬まで持っていった。
伊作の頬が赤く濡れる。

「い、さ…す…き…」
「と、め…?留三郎!!」





それからの事を伊作はよく覚えていない。
気付いた時には、生きる者と死ぬ者を分け、そして生き残る可能性のある者に手当を施していた。

「伊作、出てこれるか」
「仙蔵…」

夜も遅くになって仙蔵が伊作を訪れた。
伊作はただ、無機質に患者の対応をしていた。

「うん、少しなら…」
「そうか」

テントから出ると、暗闇の中に文次郎が独り立っていた。

「伊作…済まん!!」
「文次郎…?」

伊作の姿を認めると、文次郎はその額を地面にこすりつけた。

「どうしたの、文次郎。立ってよ」
「いいや…立てねぇ。俺は今日、留三郎に庇われたお陰で、生きている。ヤツに庇われた時、思い出したんだ。…学園での記憶を」
「文次郎…」
「あの時だってそうだ。アレは本当は俺が行くはずの忍務だった。だが、就職先の城から急な呼び出しがあって、留三郎が代わりに行くことになったんだ。本当は、あの時も俺が死ぬはずだった…。だが俺は生きながらえている!」
「止めろよ…そんな話。立て、立てよ!文次郎!!」

文次郎の肩を激しく揺さぶる。
だが文次郎は、されるがままになっていた。

「止めてやれ、伊作」
「仙蔵」
「ソイツのしたい様にさせてやれ」

文次郎は未だ額を土につけたままだ。

「お前宛てに預かり物がある。検閲逃れをしろなどというから腹いせに何発かくれてたったわ」


『―留三郎、貴様、学園での記憶を持っているのだろう』

あの時、そう言った仙蔵に留三郎は笑ってみせた。

『ははっ、さすが仙蔵。バレちまってたか』
『この痴れ者。伊作から時折送られてくる手紙の様子で、だいたいの見当はついておったわ』
『えーっ、じゃあ留は知ってて知らんぷりしてたってことか!』
『…そうなるな』
『どうしてだ!』

真っ直ぐな小平太の問いに留三郎は困ったように笑う。

『俺も明日をも知れない身だ…。それなのに伊作に告げたら、もしもの時、伊作は悲しむだろう』
『この痴れ者!』
『留の馬鹿!』
『…阿呆』
『いだっ!お前ら、何するんだよ!!』

仙蔵、小平太、長次から一発ずつ喰らうとさすがの留三郎も立っては居られなかった。
それを仙蔵が見下ろす。

『お前は馬鹿か。お前の伊作に対する気持ちなど我々でも、とうに知っておるわ。さっき偉そうに後輩に何と言った』
『後で悔いるから、後悔…か』
『解っているではないか。解っているのなら、今すぐその足で伊作の処へ行って来い』
『ああ…なぁ、馬鹿ついでにひとつ頼まれごとをしてくれないか』



そうして仙蔵は懐から折りたたまれた紙を伊作に差し出した。
勢いのある、しかし丁寧なその字は伊作の見慣れたものだった。
紙にはこう書いてある。

『遺書』

「お前宛てだ」

震える手で伊作はそれを受け取った。
文面を瞳が追うごとに、みるみるうちに雫がたまっていく。

『善法寺 伊作殿

お前は今何処でこの手紙を読んでいるだろうか。
願わくばこの手紙がお前の元へ届くことなく、破り捨てられていればいいとばかり願う。

伊作。お前に謝りたいことがある。

お前に初めて出逢うのは、いつも桜の木の下でだったな。

そうだ、お前が俺に知らせずに黙っていた様に、俺にもあの学園に居た頃の記憶がある。それも物心つく頃には鮮明にあった。
それをお前に知らせなかったのは、知ってしまえば、この穏やかな時間が終わってしまうかもしれないという俺の臆病心と、知ってしまえばいずれ来る別れが更につらくなるだろうという気持ちからだ。

お前は知らないだろうな。お前が隣りに居ない時間を俺がどんな気持ちで過ごしたかを。どれほど俺が後悔の念を抱いて生きてきたかを。
お前は知らないだろうな。あの桜の木の下で、再び出逢った時、俺がどれだけの喜びを抱いていたかを。

そう、あの時学園で告げられた、お前の気持ちに応えられるという喜びを。

伊作、済まない。

お前に黙って学園を出て行ったことを。
お前の気持ちに応えられずに死んでしまったことを。

そして、先にいくことを。

昔、お前は言ったな「留三郎はいつだって、僕の先にいくね」と。

そうだ、少しだけ先にいくだけなんだ。
だからお前は遅れてくればいい。

ただ、できるだけ遅く来て欲しい。

穴に嵌ってもいい、木から落ちてもいい。
どこに躓いてもいいから、できるだけ時間をかけて、生きて、お前の役目を終えてから来て欲しい。

勝手ながらこれが俺の願いだ。

もうすぐ夜が明ける。出撃の前にこれだけは伝えておきたかった。

伊作、愛している。

外では桜が満開だ。
願わくば、またふたりで桜を見られることを信じて。
そうしたら、もう一度お前に言うよ。

皇歴 二六××年 某月某日
食満 留三郎 記す』

握られた手紙はもうすでに、ぐしゃぐしゃになっていた。大粒の涙が手紙に吸い込まれていく。
伊作は泣いた。声をあげて泣いた。

ただ、桜の花だけは出逢った時の様に薄紅の花を暗闇に、満開に咲かせていた。



―それから数カ月後、戦争が終わった。





私立大川学園中高部は、周囲を森と山に囲まれた陸の孤島にある。
全寮制のその校舎は、今を盛りと咲く花々と霞のようにぼんやりとした薄紅の桜に囲まれて、正に春を迎えようとしていた。

「はあぁ、今年も逢えなかったな…」
「伊作、そのようにぼんやりとしていては綾部の掘った穴に落ちるぞ」
「大丈夫だよ、とりあえず今日は一回も不運な目にあっていない」
「どうだか」

伊作は今年、高等部3年生(大川学園では6年生と云う)に上がった。
学園の皆は記憶の鮮明さに落差はあれど忍術学園で過ごした頃の記憶を持っていた。
今年はついに1年生に、かつての一年は組が揃い『あの頃』と変わらぬ穏やかな学園生活が始まろうとしていた。
今日はそれを祝い、学園の裏山で6年生で花見をしようというのだ。

―そう、留三郎ひとりを除いて。

「とめー、とめさぶろーあいたいー」

まるで導かれるように皆が集った大川学園。だが、留三郎ひとりの姿だけが無かった。
遅れてくるだろう。今年こそ来るだろう、そう待ち続けた伊作もついに6年生になってしまった。

「伊作、待ち人が居る。呆けているなら先に行くぞ」
「えー、待ってる人ってどうせ文次郎たちでしょ」

のろのろ歩く伊作を無視して仙蔵が先を行こうとする。
山頂では文次郎と長次と小平太が先に花見の準備(小平太が準備をするかは疑問だが)をしているはずだ。

「ほう、言っていなかったか。先日、アメリカのあるハイスクールが学園と姉妹校になることが決定してな。文次郎が剣道部で親善試合を行ったところ、その内のひとりが帰国子女として、うちの学年に転入してくるという。手続きがあって今日の転入には間に合わなかったが、花見には参加できるそうだ」
「うわー、説明的な台詞をありがとう。でも折角みんなで集まるのに、そのひとを何でわざわざ…って、仙蔵もう居ないし」

ゆっくり歩く伊作を見捨てて仙蔵は、涼しい顔で山頂へ向かってしまったらしい。
花に留まる蝶を見て、伊作は思う。

(竹谷たちは逢えたっていうのに)

八左ヱ門と兵助の仲睦まじい姿を見ると、時々言い様の無い切なさと寂しさが込み上げてくるのだ。

そんなことを考えながら足を進めると、ふいに地面が無くなった。そして、身に覚えのある浮遊感。

「!っ…綾部め」
「おい、大丈夫か?」
「え…?」

春の空を丸くぽっかりと切りとったような青、そこに伊作を心配する顔が現れた。

手を差し伸べられる。大きな手だ。

呆然とする伊作に苦笑すると、彼はその手を引いてあっという間に伊作を引き上げ、そしてその腕の中に収めた。
―かつてそうした様に。

「と、めさぶろう?」
「ああ、いさ待たせてごめんな」
「ど、どうして…」

呟く伊作の頭にさっきの仙蔵の言葉がよぎる。『帰国子女として、うちの学年に転入してくる―』

「―っ、仙蔵たち知っていて」
「何だ、仙蔵のヤツに担がれたか」
「何だじゃないよ、僕がどんな気持ちで…!」

ぽかぽかと留三郎の胸を拳で殴る。
留三郎は、それを甘んじて受け入れていた。

ほろり、ほろり、伊作の涙が零れる。
ほとり、ほとり、桜は静かに降り積もっていた。

春の木漏れ日の中で見るそれは、世界中の綺麗なものを集めたものに見えて、留三郎は目を細めて笑った。伊作が好きな、太陽のような笑顔だった。

「…もう一度、お前に言う。そう約束した」
「うん…」
「伊作、愛している。もう離れない」

返事の代わりに伊作は留三郎に跳びついてくちびるを重ねた。留三郎は力強く伊作を抱きしめた。

―春。出逢った頃と同じ様に、桜の花は舞い続けていた。




(※注)
 ※陸士 陸軍士官学校のこと。
 ※海士 海軍士官学校のこと。
 ※恩賜の短剣。士官学校卒業において特に成績優秀な者に下賜された短剣。

Image song
♪凛/と/し/て/咲/く/花/の/ご/と/く
♪宵/月/桜
♪千/本/桜
♪花/は/桜/君/は/美/し

Image music
♪L/u/v L/e/t/t/e/r
♪M/i/n/a/m/o

【2012.2.2 mixiに掲載】
【2012.2.15 転載】




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