ままならぬ、


・初の夏休み前の土井きりを捏造。
・過去捏造。
・山田家に夢見てる。
・50巻と19期スペシャル以前に書いたもの。














雨はまだ止む様子を見せない。
小さな額に張り付いた前髪を、除けてやりながら
半助は目を細めた。




きり丸が帰宅したのは、つい一刻ほど前。
真夜中である。

夕さりつ方より降り出した雨は、ついに宵過ぎても止むことはなかった。

忍者は天候を読む。

降るだろうと思っていた雨に半助が気付いたのは、蔀の隙間から
注いでいた燃えるような光が急に暗くなったからだった。
今帰るか、今帰るだろうと何度も戸の方を見やり、迎えに行くべきか
入れ違いになってはと腰を下ろすを繰り返した。

『今日は雨が降るからな。早目に切り上げてこいよ』

そう言って、賃仕事に送り出したのだ。
いつきり丸が帰宅してもいい様に、雑炊の用意をし
気をまぎらわせるため、箱いっぱいの造花作りの内職を始めた。


ふ、と『このまま帰って来ないのでは』と考えが頭をよぎる。


この夏を一緒に過ごし始めた半助の家に、きり丸はどこかよそよそしい。
その原因は半助もよく知るところだった。かつて、自分も経験したことのある
気持ちだからだ。

軽く頭を振って、半助は乾いた手ぬぐいを大量に用意した。
この雨は、しばらく止むことはないだろう―。


小さな姿が、その戸の前に現れたのは子の刻を少し過ぎてのことだった。


               


戸を開けるべきか、開けざるべきか。
逡巡する気配に、半助は問答無用で戸を開けてやった。
扉から漏れた光に、小さな影はしばし立ちすくんでいた。

「くおら!早目に切り上げて来いと言っただろう」
「ど、土井先生…まだ起きてたんすか」
「当たり前だ、お前が帰ってこないのに寝られるわけがないだろう」

まだ暗がりに立っているきり丸を見ると、その着物は水を含んでたっぷりと
濡れている。豊かな髪からは、雫が滴り落ちていた。
もうひと言、ふた言、説教を述べてやろうと思った半助は、そのきり丸の表情を見て
口を開くのを止めた。


―十歳のこどもらしからぬ、疲れた表情をしている。


ただ、瞳に光があるのだけが救いだった。
何かあったのか―訊こうとして、これもまた口を閉じた。

「早く入りなさい」
「へ?」
「早く入りなさい…そこにそのまま立っていたら、濡れてしまうだろう」

しかし、きり丸は、きょとんとした顔でそのまま濡れるそこに立っていた。
動こうとしないきり丸の細い腕をひっぱって、家に上げてやる。

「せ、先生。濡れちゃいますよ!」
「ばかもん!お前が濡れてるんだ!!ほれ、こどもが変な遠慮なんかするな」
「だって」
「だってもさってもない。…お前が暮らす家だろう」

大量の手ぬぐいでがしがしと、頭を拭いてやりながら「おかえり」と言うと
本当に小さな声で「…ただいま」と返された。
微笑んで半助は、きり丸を囲炉裏端の傍に敷いた、円座に座らせてやる。
そこは、この家で一番あたたかな場所だった。

「このお湯を使いなさい。本当は風呂に入れてやりたいんだが
今時分からだと、大家さんの家に貰い湯ってわけにもいかんからな」
「はあ…」
「身体を拭いたら、すぐに寝巻に着替えて、これを食べなさい。雑炊を作っといたから」

普段の気概はどこへやら。
きり丸は『もったいない!』とも『そんな贅沢をして!!』とも言わずに
静かに着替え、もくもくと飯を食べていた。

食べ終えたきり丸を、半助は問答無用で布団に放り込んだ。
今日の朝、きり丸が売り払おうとしたのを止めたばかりの代物だ。

「やっぱり布団があって良かったな。
ほら、もう寝ろ。夏とはいえ、風邪をひくから」
「…すんません」
「ばか、そこは『ありがとう』だ。…おやすみ、きり丸」
「おやすみなさい…土井先生」

きり丸が布団に入ったのを見届けると、半助は文机に肘をついて
本を読みだした。ちょうど、きり丸に背を向けるようにして。
書物に向き合っても、その内容はてんで頭の中に入ってこなかった。

きり丸の、あのきょとんとした表情に見覚えがある。

―慣れていないのだ。

誰かと居ることに。守られるということに。
そしてそれは、そのまま半助にもあてはまることだった。
背後のちいさな気配に戸惑う。
この家に「ふたり」で居ることに―。


ほら、背中からすすり泣きがひとつ。


二人では、器用に泣くことさえできない。
近すぎる互いの気配に、なかなか寝付くことさえできないのだ。
学園に入学した当初のきり丸が、そうだった。
多くの生徒が、家恋しさに泣く頃、他人の気配を警戒して
外で寝ていたことさえあった。
最も、それは最近改善されたと思っていたのだが…。

押し殺した泣き声は、まだ止まない。

(早く眠ってしまえばいいんだ―)

そう、思う。眠りは浄化する。
痛みも、歯がゆさも。

やがて泣き声が止んだ頃、半助は改めてきり丸に向き直った。

(ちいさいな)

毎年、新入生が入園する度に思うことではあるが
自分で自分を養ってきた、きり丸は他の生徒よりも細い。
そのきり丸が、大人用の半助の布団に横たわっているのだから
さらにその身体が小さく見えた。
半助に背を向けている、あきらかに狸寝入りと見てとれる
その頭をひとつ、撫でてやる。
きり丸の肩がぴくりと震え、なだらかな頬からぽろりと雫がひとつ
流れたが、半助は気付かないふりをしてつぶやいた。


「なァ、私はお前が心配なんだよ」


その声は、声を発した半助自身が驚くほどに穏やかだった。

「夕飯時に帰ってこなければ、腹へってないかとか
雨が降っていれば、風邪ひくんじゃないかとか
夜、帰ってこなければ危険な目に逢っているんじゃあないかと思うんだよ」

それこそ、何度も迎えに行こうかと腰を浮かしてしまうくらいにね。
半助は、茶化して言う。

「―これは、ひとりごとなんだが。
私たちは教師と生徒だ。親子ではない。決して親子にはなれない」


『親子にはなれないんですよ』

半助の脳裏に、安藤教師の言葉が響く。
夏休み中、きり丸を自身の家に引き取ると決めた半助に年嵩の同僚が
放ったひと言だった。

父は亡い。母も亡い。

きり丸よりは年齢が上だったが、それでも元服前に戦で親を亡くした
半助に、己ときり丸を重ね合わせて同情しているだけだろうと安藤教師は言った。

それでも引き取ると譲らぬ半助に、安藤教師は
『まあ、せいぜいがんばることですな』と、くどくどと説教をたれたものだ。

このひとも、人の親だ。

伝蔵は、何も言わずに半助ときり丸を送り出した。


「お前は勝手に心配して、と思うかもしれないな。
でもまあ、この家に暮らす間くらいはいいだろう。
飯の時間には帰ってこい。風邪をひくような真似をするんじゃない。
あまり危険なバイトを引き受けるな」


―あまり急いで大人になるな。

これは口に出さずに呟いた。

「心配させろよ。心配されとけよ。この家に居るくらいの間はな」

半助の言葉は、まるで温かいお茶を飲んだ時のようにきり丸の中にすとん、と落ち着いた。
薄目を開けてみる。背を向けているために、当然半助の顔は見えない。
だが、壁際に無造作に置いた箱が見えた。
箱いっぱいの造花が入っている。
朝、バイトに出掛ける際には無かったものなので、きり丸が留守の間に半助が仕上げたのだろう。
それは、遠目にもきちんとした仕上がりをしていた。
大の男が、子供の帰りを待ちながらそわそわと造花を作る姿を想像すると、どこか笑えてくる。

笑えてくるのに、泣けてくるのは何故だろう?

「―これ、ひとりごとなんすけど」


ぽつり、ときり丸が呟く。

「今日、雨が降る前に夕陽がすげー真っ赤で、すげーきれいで
でも、オレ、すげー怖くて」

燃えてるみたいで。
本当に燃えているわけではないのに、真っ赤な夕陽はきり丸に、炎の記憶を呼び起させた。

走っても、走っても夕陽は追いかけてきた。

「そしたら雨が降ってきて、夕陽がかくれてよかったなって
思ったのに…なんだか動けなくなっちゃって」

本当のところは疲れたのだ。
今日のアルバイトは散々で、初めて行った子守り先の子どもは、ひどく我儘だった。
殴る、蹴る、文句を言う、暴れまわる。
それだけならきり丸も我慢しただろう。それが仕事だからだ。
散々、我が儘を尽くした揚句、子どもは勝手に転んだ。
転んで泣きわめいた子供を、起こそうとしたところに母親が帰って来た。
そして、泣きわめいた子供を見るや否や、母親はきり丸を突き飛ばして、我が子を抱き上げた。

きり丸は呆然としたが、それもまだ我慢できた。
それよりも酷い仕打ちなど幾らでも受けたことがある。

だが、きり丸を酷く傷つけたのは甘えたように母にすがりつく子供の勝ち誇った瞳と、次のひと言だった。

『これだから、親の居ない子は』

言いたいことを全て飲み込んで、きり丸はそれでも予定の報酬より
大分少ない、ビタ銭三枚を受け取って夕陽の中を走って行った。

夕陽から逃げた、その小さな身体に雨はしとしとと降り注いだ。
走って、歩いて、疲れて大きな木の下に逃げ込んだ。
いつまでそこに居たのだろう?
右手にビタ銭三枚を握りしめて座りこんでいる自分に気がついた。

ふいに遣る瀬無い衝動が、きり丸の身体に走り、右手を振り上げる。

振り上げた右手が止まる。

ビタ銭三枚も捨てられない自分がそこに居た。
やがて、きり丸はのろのろと立ちあがると、暗闇と雨の中を歩き出した。
あの人は、こんな自分を待っててくれるだろうか?


「だからオレ、土井先生んちにまだ灯りがついてた時、嬉しくて
でもオレが入っちゃいけない気がして」

扉の外で躊躇していたら、大きな手に引き入れられた。
『おかえりなさい』と言われた。『ただいま』と言った。
それはまるで…。

「オレ、嬉しかったんですよ…」

今まできり丸の話を、ただ黙って聞いていた半助の手が、再び小さな頭を撫でた。

「これもひとりごとなんだが―それじゃあ、私はこれからも
お前を心配してあげないとな」

心配して『あげる』だなんて。これだから、大人はずるい。
心配させるなと言わないのに、心配して『あげる』だなんて。
これだから大人はずるい。
『あげる』と言われたら、どケチとしては断れないではないか。

「でも、あんまり心配してあげ過ぎると私の胃がもたないからな…」


布団の中で、くすくすと笑ってきり丸は、今度こそ目を閉じた。
眠りの世界へ、きり丸は柔らかく誘われた。



                


ふ、と半助は目を覚ました。
どうやらきり丸の様子を見ながら、胡坐のまま寝てしまったらしい。

雨はまだ止む様子を見せない。
小さな額に張り付いた前髪を、除けてやりながら
半助は目を細めた。熱が出た様子は無さそうだ。

傷だらけでちいさな手が、これまた傷だらけの半助の手を握り締めていた。

それが記憶の中の光景と重なった。
そうだ、こんな風に手を握られていた―。


           


忍術学園に勤める前の幾つかの季節を、伝蔵の家で世話になったことがある。
まだ、子供と言って差し支えないか、子供を抜け出す位の時期だが
その頃すでに、半助は忍として働いていた。
しかも、名は伏せていたが非情で、しかし腕の良い忍者として知られていた。

忍務中に受けた傷がもとで、伝蔵に助けられた。
半助を家に連れ帰った伝蔵は、妻とともに何くれとなく世話を焼いた。
まだ十二歳だった利吉は、不思議と半助によく懐いていた。

そんなある日、半助は熱を出して寝込む羽目になった。

雪の降る中、山田家の周りに忍んでいた者を始末しに出かけたのが原因だった。
首尾よく忍を倒し、痕跡を残さず始末したのは良いが与えられた自室に戻って早々、半助はぶっ倒れた。


次に目を覚ました時、片手は大きな手に、もう片方の手は小さな手に握られていた。


『―半助、起きたか』
『…これは?』

『これ』とは、半助の寝る布団の脇で毛布に包まれた小さな生き物―利吉だった。

『お前さんのことが心配で、ずっと看てると言い張ってたが
とうとう寝てしまったわ。どれ、もう熱は無いな』

半助の額に、大きな手があてられた。
振り払うことは簡単だったが、どうしても振り払えない温かさだった。
そういえば、熱が出ていたとは云え、傍らに気配があったのに、眠ってしまった自分に気付く。

『ん、どうした半助』
『は、はァ、どうもご心配を―』

お掛けして、と言う前に伝蔵に笑われた。

『なあに、子供は心配されとればいいのよ、アンタ』


それ以来、どうしても伝蔵に頭の上がらない半助だった。


           


気付けば自分が同じことを言っているとは、笑える話じゃないか。
半助は、手をつないだまま、きり丸の寝ている布団にもぐりこんだ。

かまうものか。
もとはと言えば自分の布団だ。

子供の体温は温かい。
眠りに落ちる間際、半助はこれまた、伝蔵の言葉を思い出していた。
利吉の元服の夜の話だ。


『いやあ、利吉くんも立派になって。忍としても名を上げてきているし
山田先生も、さぞ誇らしいことでしょうね』
『まァ、どうにかこうにか五体満足で育ってくれましてね
その点はアタシの手柄じゃなくてアレの手柄なんですが』

アレ、というのは山田夫人のことだ。
半助の注いだ酒を、伝蔵は美味そうに飲み干した。

『でもまあ、これで利吉くんも一人前。
山田先生もご心配が解かれたでしょう』
『まさか、子供なんてのは勝手に大人になった様なツラして
くれちゃってね。半助、アンタ親なんてのは一生心配のし通しだ』

口調が教師のそれから変化している。
明らかに伝蔵は酔っていたが、その瞳は暗に『お前のことも、心配だ』と語っていた。


『まァ、アンタ、子供なんてのはね、いや親なんてのは』


「ままならないものだなぁ…」


繋いだ手の体温。朧げな両親の顔。
あの時の伝蔵の言葉。

今なら解る気がする。
いや、一生かけても解らないのかもしれない。


雨はまだ、止まない。でも、明日になれば―。


【2012.2.3. mixiより転載 加筆修正】




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