馬の蹄が地面を踏み鳴らす重く低い音がなる。首無しの彼の手中にある、馬の首すら容易に斬り落とせるような剣の切っ先は真っ直ぐ……ホーキンス船長の首を指している。

「下がれ、ナーシャ」

船長の言葉に、あたしの意識はどうにか手放さずに済んだ、けれど


「………ッ!!」


──身体が、動かない


体の芯がブルブル震えて、その震えが四肢にまで染みわたっていく。歯がカチカチ鳴って、息が、上手くできない。ヒュ、と喉が鳴った。
コワイ。コワイ、怖い怖い怖いなんだあれ!

僅かに溜まった涙で歪んだ視界が一気に変わる。同時に、腰を抱かれる感触と、歪んだ視界でもよく映える、彼の眩い金髪。

「……っ、せ、ん、ちょう」
「気をしっかり保て」

ぐい、と力の入らないあたしの身体を、船長が自分の背後に下げた。少しよろけたけれど、なんとか踏みとどまって転ぶことは無かったが……。この短い間に臨戦態勢を既に整えた船長の背後で、あたしも水晶玉を両手で抱える。けれど、あんな得体の知れなくて、コワイの極みを貫き通している異質な存在に、果たして水晶如きが通じるだろうか?まだ、何もかも判りやしないのに、恐怖からか想像する未来は暗いモノしか視えない。まだ占ってもいないのに。

突如、空気がビリビリと重く、まるであたし達を刺し貫くかのような物に変調した。目の前の首無しの彼が、此方に大きすぎる敵意を向けている。海賊に身を置いて、闘いと言うものを実感してまだ日は浅くとも、確かに、分かってしまう程の敵意。勿論あたしなんかより先に船長はそれに気付き抜いた刀を首無しの彼に向ける。理解したくない怪異を遮るように立つ船長の背中からも、押し負けぬほどの威圧を僅かながらに感じた。

『……、………!!』

突如、首無しの彼が跨る、体躯の大きな黒馬が天を仰ぎみる様に嘶いた。また痛い程に伝わる、表情も声も使えぬ彼が発する感情は──怒り?
前足をドスン、と地に付けると同時に、馬が此方に駆けだす。此方に近づくと同時に振り上げる首無しの彼の剣。容赦の無い一薙ぎに、休息から慌てて体制を整えたクルー達が「船長!」と彼を案じる叫びを上げた。

───ギイィィン……!

「……この力、霊体ではないらしいな」

つい目を瞑ってしまう程の激しい金属音、そして聞こえてきた冷静な船長の声。どころか分析までしているのだからこの人本当にすごい。首は無くとも、馬に跨る怪異は船長に負けず劣らずの体格をしている。しかし船長、ほんの少し足を開き構えた程度で、あの一薙ぎを平然と受け止めてしまう。僅かながら首無し騎士、驚いた様に見える。たじろぐように身を引いたかと思えば、片手で振り下ろした剣に、馬の手綱を握っていた手を添える。ギリリ、と交差している剣同士が火花を散らす。
ざり、船長の片脚が地面を抉った。押されている……!?

「やっ、や、やめろこのやろーーーっ!!」

このままただ怯えて守られているだけだなんて、なんだか嫌だ。けれど突然の恐怖の接近に、水晶玉の形を整える余裕も無く……ブン投げた。そう、ただ、ブン投げたのだ。綺麗な球体のままの、水晶を。もうどこにでも当たればいい、といい加減な軌跡を描いた相棒は、見事、黒馬の顔に命中した。ヒィィン、と甲高い鳴き声を上げた馬は、突然の痛みに先程同様天を仰ぐ。手綱を離していた首無し騎士の身体がぐらり、揺れる。剣を押す力が一気に霧散し、船長の刀がその隙を逃すまいと、騎士の鎧を一閃した。ぱっくりと、鎧に刀の跡が開く。「やった…!?」と口走るが「いや、」という船長の声と、あたしを制する彼の腕が油断を許さなかった。

パニックを起こす馬も、じたばたその場で暴れまわるが、再び手綱を握った首無し騎士がそれを制し、すぐさま落ち着きを取り戻した。いや、待ってよ、あんなざっくり、ぱっくり胴体に傷が出来ているのに……とも思ったけれど、よくよく考えてみればまず彼には首が無い。その時点で人としての致命傷与えた所でお察しではないか!船長に指示を仰ごうと口を開いたその時


……見られてる。

………ものすっごい見られてる。


頭の無い彼の視線を、妙に感じる。
馬上から我々を見下ろす首無し騎士、もしもその頭が健在なものだったのなら、間違いなく……あたしを、見つめている。突き刺さる視線に、背筋が凍るようで、また、動けなくなる。

すると突如、湿気を孕んだ霧が濃くなる。
まるで首無し騎士がそれを纏うかのように、彼を中心に深まっていく霧。
視界は一気に霞んで、体躯の大きいあの馬さえも姿を隠した。

一変した風景に、船長もまた警戒を強める。しかし馬の蹄の音が、あちこちから聞こえて、居場所を掴めない。下手に動いて、あの剣が今度こそ此方を捕えてしまったら……そう考えるとその場から動けなかった。


『…………、』
「ッ、え?」


すると突如、白く霞んだ世界が晴れ渡る。
厳密には、違った。あたしの身体が、強い力に引き上げられて、霧を割ったのだ。
気付いた時には、あたしの視界が遥かに高い所にあって、あたしの前に立っていた筈の船長が、いつのまにかあたしを見上げていて。



なんで、あたし、馬の上に乗ってるの?

この鎧に覆われた冷たい腕は、なんであたしを抱き上げてるの?





「ナーシャ!!」

武器を抜き、周りのクルー達と此方に駆けてくる特攻隊長の声が聞こえた時にはもう遅く
あたしは、突如として駆け出した黒馬……その馬上の首無し騎士に、攫われた。

此方に伸ばしてくれた、船長の手が、脳裏に焼き付いて離れない。


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