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正直、廃城の最上階までの長ったらしい階段を上る時くらいは、このぐわんぐわんする体制を何とかしてほしかった。そう思うのは甘えだろうか。怪我して助けに来てもらって良いご身分だと?そう言われてしまえば口を紡ぐほかないナーシャさんである。でも、船長の肩に担がれぶらんぶらんしながらの光景で思い出したけど、あたしが最初に此処に連れ去られた時も、首無し……ヘシアンの肩に担がれていたな、だなんて変な所でデジャブを実感する。そんな所で怨霊?とのご縁など頂戴したくないので、そんなトンチキな考えとっとと捨ててやるべく首を横に振ったら、思いのほか傷に響いて「い゛っ」だなんて声を漏らしてしまった。

「すまん、痛むか」
「あっ……いや、大丈夫です」

あたしの声を聞いて足を止めた船長。もう少しだから耐えてくれと告げ、また階段を上る。ふと、船長と言葉のやり取りとすると、どうでもいい些細な思考に押し流されていたさっきまでの感情が、徐々に蘇ってきて、顔に熱が集中してしまう。

そう、あたしは、非常時ゆえ仕方ないとはいえど……
ホーキンス船長と、唇を重ねてしまったのだ。

いやいや、決してそんな、男女のそういう感情があっての事じゃない。それは自分の中で重々理解している。それに船長……船長だって平然としてる様子だし、ましてや"魔術師"なんて呼ばれる彼は、あたしが今まで出会ってきた人の中でずば抜けて浮世離れしてると言うか!いやでも、待てよ?あたしもそれなりに船長と一緒に過ごして、意外と色んな面を見てきた気がする。能面の彼だってふっと笑ったりするし、結構船員……仲間想いな所もある。彼特有の行動ではあるのだろうけど、仲間の死相を確認する事を怠らないし。あたしに懸賞金が掛けられた時も宴の用意を取り計らってくれた。それに、それに……

「戻ったぞ」

ホーキンス船長自身の声に、ホーキンス船長に満ち満ちていた脳内がパッと晴れ渡る。それと同時に、どうしてこんなに彼の事ばかりを考えてしまうのか、人工呼吸で大袈裟なと、妙に冷静な思考も降ってきて、己を恥じ入るばかりだ。顔を上げるといつの間にか、ヘシアンにより大穴を空けられた部屋に至っていて、船長の声に中に居た船員みんながバッと顔をこちらに向けた。

「……!! 船長!ナーシャ!!」
「生きてたニャー!!良かったニャー!!」
「アハハ……またご迷惑をば……」

ふりふり、船長に担がれたまま力無く手を振ると、隊長もファウストも、そして部屋にいた仲間も次々に安堵の声を上げた。こそばゆさと、心配を掛けてしまった申し訳無さがせめぎ合う。
ホーキンス船長は、あたしを長らく使われてないであろう長椅子に降ろすと船医の手配をしてくれた。すぐさま駆け寄ってくれた船医さんに治療を任せる。

「傷は、どうだ」
「肌の色を見るに、大分血を流したようですね。でも幸い、深い傷も無いようです。命に関わることはないでしょう」
「そうか。引き続き、治療を頼む。ナーシャ、お前はしばらく安静にするといい」
「はっ、はい」

すると船長、あたしの傷の様子を聞いて、さっと指示を出すと部屋の奥へスタスタと向かってしまう。塗られる傷薬が染みて顔を歪めつつ、彼の向かった方にあたしも目を向ける。
其処には……あたしが割った窓の傍に、力無く膝を突いた……ヘシアンの姿が。船長が第一に来てくれたものだから、てっきりもうやっつけられたかと思っていたため、かの怪異の存在に背筋がゾワリと粟立った。しかし、何人かの船員達が各々の武器を抜いてヘシアンを囲んでいるけれど、一向に動く気配の無いヘシアンに、妙な感覚を抱く。あれだけあたし達を敵視して暴れまわっていたというのに、今の彼はその姿が嘘の様に静まりかえっていて、不気味さを越えた……物寂しさすら感じる姿だ。

「よし、と……ひとまず応急処置は、ってナーシャ!まだ安静に……!」
「大丈夫!手当てありがとう!」

気付けばあたしは、怪異、幽霊の類が恐ろしくて堪らない筈のあたしは、他ならぬヘシアンに傷を負わされた、あたしは……ヘシアンの元に、歩み寄っていた。

「ナーシャ」
「大丈夫です、船長」

皆とヘシアンの様子を眺めていた船長も、あたしを制す様に呼ぶけれど、あたしには何故か、こう……大丈夫なのだ、という確信があった。任せてください、とヘシアンの元へまた一歩、足を進める。あたしが此処まで近づいても、ヘシアンは動きを見せない。また数歩、歩み寄るといよいよヘシアンの真正面。ふと、彼の手中にはあたしが落としてしまったオルゴールが。この部屋に大穴を空け、あたしをこの城からブン投げたこの手が、あまりにも優しくオルゴールの小箱を抱えているから、茫然としてしまう。



『……非礼を、詫びよう……色違いの眼の娘よ』
「……! まぁ、許してあげてもいいですよ」

突然に響いた聞きなじみの浅い声に少々驚くけれど、すぐさまヘシアンの声であると理解が行った。傷はそれはもう痛むし、された事に対してとても許してやるつもりなんてなかったけれど……余りにも悲しげで、力の抜けきった切ない声に、気付けば許しの言葉を返していた。
やはりこの声が聞こえるのはあたしだけの様で、すぐに船長があたしの傍にやってきて「コイツは何と?」と問う。あたしはかなり噛み砕きながら「人違いしちゃってごめんなさい、ですって」と答えた。ヘシアンの言葉一時一句違わず真似してみせるのは、ちょっとこそばゆい。

『彼の御方は……我が忠義は……既に……』

彼の言葉通り、その忠義を誓った人であろうオッドアイの彼女は、少なくとももう此処にはいない。首の無い彼だけど、その視線が既にぜんまいの切れて音を出さないオルゴールに向かっている事は測れる。なんて、寂しい人なんだろう。憐みか同情か、そんなの軽率に抱いたって仕方のないことだけど、彼の声音はそれらを誘うのに十分過ぎたのだ。或いはあたしが乗せられやすいだけだろうか。また気付けばあたしは、ヘシアンの手中にあるオルゴールに手を伸ばしていた。

突然ヘシアンに手を伸ばすものだから、周りを囲んでいた仲間たちがそれぞれ驚きの声を上げる。あたしは小箱を手に取り、蓋を閉じ、ぜんまいを巻き直す。敵対していた存在に対して無遠慮が過ぎる行動だけれど、ヘシアンは抵抗する事無く、あたしのする事をただただ見つめていた。

カチリ、ぜんまいが限界まで巻かれた音が鳴り、あたしは再びヘシアンの両の掌の上にオルゴールを置き、蓋を開けた。

──カラン、コロン

静まりかえった部屋に、オルゴールの音色が鳴り響く。ワルツの様なメロディに合わせて、ゆっくりと回る頭の無いお姫様の人形に、なんだか妙にヘシアンに見合うオルゴールだなと思ってしまった。無骨な騎士と、オルゴールだなんて、ミスマッチが過ぎると言うのに。

『……この、曲は……、嗚呼そうだ、何時ぞやか……私とかの御方とで……』

なんと、懐かしき……そう呟く彼の声音が和らぎ、悲しさの上にほんの少し、優しげな色が乗せられる。

『私は……長らく……かの御方を待たせてしまっていたのだな』
「……行けます?」
『嗚呼。気遣い、感謝する』

すると立ち上がるヘシアン。囲んでいた皆が構えるけれど、あたしが慌てて「大丈夫だから!」と制した。何する気だ、という隊長の問いにまぁ見てようよ、と促すと、武器は構えているものの皆の警戒が少しばかり薄れた。

『色違いの眼の娘よ』

突如ヘシアンに呼ばれ、ビクリとするが、彼の元に恐る恐る歩み寄る。すると……

『これを、貴女に。詫びには事足りぬであろうが……私が持っていても仕方ない』
「えっ、でも、大切な物なんじゃ」
『よいのだ。私にはもう、よいのだ』

ずい、と差し出されたオルゴールの小箱。受け取る事を躊躇っていると、ヘシアンがあたしの手を取り、握らせた。鎧越しの冷たい手だった筈なのに、何故か体温を感じるような、不思議な手に、あたしも抗う術は無く。先程のヘシアンと同様に、不思議なメロディを奏でるオルゴールを両手でしっかりと握りしめると、ヘシアンはしっかりとした足取りで窓際へ向かい、天を仰いだ。彼が見上げる空には、島の霧が届かぬ所に煌々と輝く満月が浮かんでいる。



『アァ……今……参ります……』



ヘシアンのその言葉を聞き届けたかのように、丸い月から光の柱が降り注ぐ。ヘシアンだけに注がれるその光に、彼はゆっくり、霧となって溶けて逝った。



───コロン


かの騎士の姿が、痕跡が、残らず消え去ったと同時に、オルゴールのメロディが終わりを迎え、手中に目をやると……



其処には、微笑む騎士と色違いの眼の姫君の美しい人形が、手を取り合い、踊っていた。




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