枯草と水晶 | ナノ
グラッジドルフ号は進路通り、次なる島に無事停泊した
名の知れた海賊船ではあるが、一目の付かない入り江に、その深緑の船体は上手い事溶け込んでいる
そういう所も考えてるのかなぁ、だなんて船を降りて、ちょっぴり愛らしくも思えるような船首を眺めながら思った。船長、インテリアにはこだわっているようだし
ねぇ相棒、あたしは君をもっと上手く扱えるようになるかな?
両手に抱えた水晶玉を覗き込む。けれど相棒は黙したまま、ただ眩い日の光をきらきらと反射させるばかりだ
これからあたしは、ホーキンス船長ご指導の元、自分の能力を理解するための修行に入る
クルーの皆に指示を出すとの事で、船長は一度船に戻っていった。あたしは一足先に上陸し、砂浜の岩に座ってぷらぷらと足を揺らしている
「ナーシャ」
「あっ、船長!」
背後からあたしを呼ぶ声。あたしは岩から飛び降り声の主、ホーキンス船長の元へ
ふと彼の手中には分厚い本が一冊。なにかな、なんて思っていると船長はおもむろに本を開いた。見えた文字は『悪魔の実図鑑』。そういえば図書室にあったかも!
「さて…お前の食べた実は…」
「ハイ!スタスタの実です!」
びしり。と挙手して答える。なんだか子供みたいだとはにかんでいるあたしには無関心な様で、そうかとだけ答えて、手袋越しの指で目次をなぞっている。船長にはもう少しユーモアが必要だと思う
「ふむ…、スタスタの実、超人(パラミシア)系か」
「パラ…?なんですそれ」
「なんだ、知らないのか」
船長に手招きされ、一緒に図鑑を眺める
悪魔の実は主に「超人系」「動物系」「自然系」の三つに分類されるという
あたしが食べた…らしい、スタスタの実。図鑑に事細かに載っている訳ではないけれど、確かに存在は確認され、超人系とやらに分類されているそうだ…けど
「へー…こんなのあるんですね」
「………ナーシャ、お前はどういう経緯で実を手にしたんだ?」
「…………。」
───答えられなかった
なかなか口を開かないあたしを訝しんだ船長が、わずかに顔を覗き込む
「その…えーっとぉ…、実はよく、覚えてなくて」
「………何故?」
「…わかんない、です。あたし、昔の事、全然覚えてなくって」
あたしを見ているであろう船長の顔を、見返す事が出来なかった
そう、あたしには、無いのだ
過去の記憶が、ほとんど
覚えていることは数少ない。家族がいるのかも、出身が一体何処だかもわからない
せいぜい覚えているのは、あたしが食べた実の名前がスタスタの実だということ
あたしのホントの名前が"アナスタシア"だということ
そして
その名前を、易々と名乗ってはいけないということ
本で読んだからじゃない。これは、あたしのおぼろげで頼りにならない記憶の物だ
まるで呪いみたいに、"アナスタシア"を名乗る事を許してくれないのだ
「……………。」
───パタン
図鑑を閉じる音でハッとなった。俯きがちだった顔を慌てて上げると、ホーキンス船長の朱殷色の瞳とかち合った。今のあたし、酷く情けない顔をしている
「ッあ…、えっと」
「まァいい、覚えていないというのなら、思いだそうとする時間も無駄だ」
む、無駄って…。なんだか重く考えていたあたしが馬鹿らしくなっちゃうじゃないか!
けれど船長は気にする事無く、あたしがさっきまで座っていた岩に図鑑を置き、あたしに向き直った
ざわり。風が、雰囲気が一気に変わった
それと同時に実感した。この人は本当に、強い人なのだと
「よし、始めるぞ」
「…よ、よろしくお願いします!」
確かに、この彼を相手に、過去に悩むなどという片手間に修行など、出来やしないだろうな
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