あまいみず
はだけた胸元に丸まった手が添えられている。制止のために置かれたのだろう手に力はほとんど込められておらず、無意味に等しかった。かすかに震えている手を握り締め、引き剥がす。何か言いたげに口を開くが、すぐに閉じる。膝を押し進めると、見て分かるほどに体が跳ね、思わず苦笑が零れた。
「……ま、待ってください……」
声が震えている。懇願する目は潤み、眦は赤い。喘ぐように何度も息を吸い、吐き出す。必死に落ち着きを取り戻そうと無駄な努力を繰り返す様が愛らしく、頬が緩みそうになる。
「待たない」
頬を緩ませることなく短く言い捨てると、いまにも泣き出しそうだというのに、更に眉を寄せて目を潤ませる。そのくせ涙は零れない。顔の横に肘を付き、覆い被さるようにすると、逃げ場などないのに身を捩り、かすかな抵抗を見せた。それでも、やめて欲しいなどとは言い出さないのだからいじらしくて仕方がない。頬が緩む。いつもならば、何をにやついているんですか、と飛んできてもおかしくないのに、そこまで思考が巡らないのか、浅く呼吸を繰り返すばかりだ。物足りなさを感じて、眦を舌で軽く舐めてやる。悪戯をする気持で起こした行動だったのだが、咎める様子はなかった。むしろ更なる焦りに額に汗が浮いている。まだ服を脱がせて（しかも、全部ではない）、寝台に横にして、覆い被さっただけじゃないか。これ以上のことをして、終わった頃にはどうなっているのか、ふと心配になる。だが、ここで止めることは難しい。お前が焦っているのと同じようにこちらも切羽詰まっているのだ、と聞かれてもいないことを胸の内で呟き、静かに息を吐き出す。吐き出した息は自分でも驚くほど欲に塗れていた。それは体の下のジャーファルにも伝わっただろう。
「すこしだけ、で、いいですから、待って」
ください、と消え入りそうな声が懇願する。空気を揺らす声は耳に心地良い。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、目を反らしては、すぐに合わせ、すぐに反らす。落ち着きがないにもほどがある。何度かの口づけのせいで赤く熟れた唇が震えながら同じ言葉を繰り返す。あまりにも甘い制止の言葉に理性が削り取られていく。
「……私、不慣れで、ですから」
あと少しだけ待ってくれたらきちんと覚悟も出来ますからだから、と必死で言い募るが、上手く聞き取れない。懇願の合間に囁かれる己の名前にわずかに残った理性が揺れる。目を閉じ、深く息を吸い込む。低く、囁く。
「待ってほしいと願うなら、口を閉じ、目を瞑り、俺を煽るな」
「……ッ」
一度だけ視線を合わせた後、はい、と静かに頷き、唇を閉じ、顔を反らし目を閉じる。軽く引き結ばれた唇はまだ赤い。呼吸をする際に白い歯がちらりと覗く。顔を反らしたことで白く細い首が目の前に晒し出され、苛立ちに似たものを感じた。煽るなと言っただろう、吐き捨てるように思い、欲を噛み殺す。
どうしてお前はそうなんだ。あまりにも簡単に俺の言葉を受け入れすぎる。普段のように振る舞えば、愛らしい、と思うばかりでここまで凶暴な欲など生まれぬというのに。言葉のまま大人しく目を閉じ、唇を閉じ、ただじっと堪える姿が健気で愛おしい。いじらしい。大事にしたいと思う。同時に腹の奥底からひどくどす黒い欲望が沸き出す。泣かせたい。もっと懇願させたい。思う様、突き上げて鳴かせたい。どこまで許すのか知りたい。どこまで許されているのか試したい。欲は次から次に浮かび、理性を揺らがせた。薄氷の上を歩いている気分だ。薄氷の下に見る水は甘くあたたかい色をしている。人を誘惑する色をしている。短く息を吸う。理性の糸を繋ぎ止める。
何をしても許すだろう。声が枯れるほど鳴かせても、次の日動けぬほど責め立てても、許し、咎めることもないだろう。言葉では責めるだろうが、それは言葉だけのもので心からのものではない。だからこそ、慈しみたいと願う。だが、こいつはそんな気持などちっとも理解していない。的確に欲を煽り、獣じみた乱暴な情欲を引きずり出そうとする。
「……俺をそんなに信頼するな」
零れた言葉に、ゆっくりと目を開け、瞬きしながら俺を見上げる。多少は落ち着いたのか、眦の赤みは引いていた。規則正しく呼吸を繰り返した後、口を開く。何を言うつもりだろう。
「あなたの、好きなように扱ってください」
私は大丈夫ですから、と囁く言葉に先ほどのような怯えはない。
「どうなっても知らんぞ」
「ええ、私が、あなたの好きなように、扱われたい、のです」
呼吸と共に押し出される言葉に目を細める。剥き出した爪に優しく口づけをされたならきっとこんな気持になるだろうと思った。こんなことを言われては優しくしない訳にはいかない。ちいさく苦笑を零し、額に口づけを落とす。
「……お前に勝てる気がしない」
と呟くと、それは私の方ですよ、と甘く笑った。
後日談を語るならば、確かに好きにしてくださいと言いましたけど加減ってものがあるじゃないですか！と涙目で怒られた。とても腑に落ちない。
2011.0330/ あまいみず
王様＜嫁がえろかわいくて困ってる！という話