「山口くん、」
「おはよう、どうしたの?」
「あ、あのね」
「あ、ツッキーのこと?」
「え?」
「何が知りたいの?誕生日?」
「ちがう、わたし」
"山口くんの誕生日が知りたいよ"って笑ったあの日の君の事を夢に見たんだ。
ずっと可愛いなって思ってた。すれ違う度にほのかに香るいい匂いとか、いつも背筋をピンと伸ばして授業を聞いているのにうっかり寝てしまった5限目の君の寝顔とか、そういう君を縁どる些細な物事にどうしようもなく惹かれたんだ。

"山口くん"が"忠"になって、僕も君の下の名前を呼ぶようになって、手を握って、キスをして、二人とも初めて同士で拙くてそれでも一つになりたくて手探りで交わった。
大学生になって、地元から少し離れたこの小さなアパートで1人暮らし始めた僕の家が自然と君の帰ってくる場所になった頃が一番幸せだったのかな。

少なくとも僕は君のことが好きだったし愛していた。愛し合っていると思っていた。
それが伝わっていると思い込んでいたんだ。
君はいつも全力で愛を伝えてくれたのにね。

「好きだけど、もう1人で好きでいるのに疲れちゃった」と1粒涙を流した君に「行かないで」と、たった一言いえばよかったのに、とっさに掴んだ君の手が信じられないくらいに冷たくて、その冷たさに驚いた僕がはっと手を離してしまったから、君はその分余計に傷ついてこの部屋を出ていったのかな。

君の作る肉じゃがが好きだった。
それよりも、ありきたりだねと笑う君の顔が好きだった。
初めて作ってもらった時、美味しいねって言った後少しだけ甘めだと嬉しいなって言ったよね。
それからずっと少しだけ甘めの肉じゃがが食卓に並ぶ君の優しさにどっぷり甘えて浸っていたんだ。たった今気づいたけれどもう遅いかな。

そのうち君と僕の味だった肉じゃがをきっとうっかり君が作って、それを誰かが食べるんだろうね。そうして月日が流れたら君と僕の肉じゃがは君と誰かの肉じゃがになって君と誰かの食卓に並ぶ。
その誰かが「甘さは抑えめでもいいんじゃないかな、美味しいけど」なんて言ってさ。
そのとき君が作った肉じゃがは正しく美味しくなって、君が作った肉じゃがなのに、それを食べたとしたら僕は少し違和感を感じるんだね。

嫌だなあ。

それをいえば良かったのにね。
君がいなくなるよりも悲しいことなんてないんだからさ、めんどくさがらずに何度だっていえばよかった。

君がまた、誰かと恋をするなんて嫌だなあ。
<<>>
戻る