フルコースは箸で食べたい

「で、俺んとこ来たわけ?」
「…おう。」
「てか馬鹿じゃねーの?なんで家主が家出してんだよ。」
「いや、アイツ行くとこねーし。」
「ガキじゃねーんだから行く所はあるだろ。」
「明日友達の結婚式だから色々あるだろ。準備とか。」
「だからお前は下條に甘いんだよ。」

グウの音も出なかった。俺はたしかに甘い。
黒尾の家につくころにはすっかり頭も冷えて何やってんだろうって気持ちになったけれどこっちも引くに引けなくなって結局黒尾の家を訪れた。

「結局お前は好きなの?ただの幼馴染みなの?」
「いや好きだろ。」
「じゃあ言えば言いだろ。」
「言えたら苦労してねぇよ。」
「下條なぁ、昔お前に振られたっていってたぞ。」
高校の時。という黒尾の声に耳を疑った。そんな覚えはない。

「とりあえず、下條と話せ。な?まあ、俺は明日早いけど適当に居ていいから。鍵は閉めてポスト入れとけよ。寝る。」
そう言って黒尾は寝室に行った。振り返ることなく「上手くいったら奢れよー」と間の抜けた声がしたけれど、俺には今上手くいくビジョンが浮かばない。

しかし、考えても無駄なので無理やりソファーに体を投げ出して目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは食卓を囲んだ日々の明依の姿だ。
言おう。今度離れたら2度とこの距離にいられない気がする。だから、言おう。


◇◇◇

次の日目を覚ました時には黒尾は既にいなくて、軽く部屋を整えてから家を出たのが昼前。
途中でラーメンを食って自宅のドアを開ければ当たり前に明依はいなかった。

リビングのカーテンレールにはパーティードレスが掛かっていたハンガーだけが残っていて無事に結婚式に行けたことを物語っていた。
だけどゴミ箱に入った大量のティッシュと空のティッシュ箱を見ればアイツがあのあと泣いたことが分かって胸が苦しくなった。
泣かせたいわけじゃなかったのに。

アイツ、今夜帰ってくるのかな。
二次会がなんたらっていってたな。
あんなに楽しみにしてたんだからちゃんと送り出してやればよかった。
後悔ならばいくつも浮かぶのに、謝罪の言葉は一つも思い浮かばずに大きなため息だけが口から漏れた。

どのくらいそうしていたかは分からない。
ひょっとしたら寝ていたのかもしれない。
窓から差し込む西日がもう夕方だと教えてくれた。

冷蔵庫に水を取りに行くと牛乳が切れていて、ココアも残り1袋だった。
仕方なく俺は駅前のスーパーまで買いに行くことにする。
うちから歩いて5分。
目に付くのは明依の好きなパン。好きなお菓子。思い浮かぶのは今度は唐揚げが食べたいと言っためいの横顔、新婚さんと間違われて照れて赤くなった顔。

俺は胸がいっぱいになりながらココアと牛乳を買っていた道を引き返すために店を出た。
すると、引き出物らしき紙袋を右手に、小さな花束を左手に持った明依がいた。


『衛輔…。』
「おかえり。」
バツの悪そうな顔をしている明依の右手から紙袋をとると「帰るぞ」といって俺は歩き出した。
慣れないヒールの音がコツコツと後ろから付いてくる気配がして安心する。5分間、何も話せなかったし結局謝罪の言葉も浮かばなかったけれどあっという間に家についた。

玄関の鍵を開けて、先に部屋に入ると後から入ってきた明依が俺の腰に抱きついた。

『…ごめん。』
「いや、俺もごめん。」
俺のそれを聞くと、明依は背中にコツんと額を付けた。
荷物をおいて、腰にまわった手に自分の手を重ねる。冷たくて、少し震えていた。

『昨日、本当は"紹介してくれるって言ったんだけど断ったの"って言いたかった。』
「マジかよ…ほんと悪かった。」
『一緒にいて、衛輔と付き合えたらいいなって思ったけど甘えてばっかだからまず、自活してちゃんとしてから告白したいって思ったのに。』
「悪かった。」
『1回振られてるから…』
「まて、俺振ってない。」

手首をつかんで勢いよく振り返ると、真っ赤な顔をした明依が潤んだ目でこっちを見上げた。

『振ったよ。私と遊ぶのとバレーどっち楽しいの?って言ったらバレーって。小学生のとき。』

俺はここ最近で一番大きなため息をついて、それから強く明依を抱きしめた。

「俺はずっとお前が好きだったの。今も好きなわけ。この部屋からお前が出てったら寂しいって思ってんの。部屋探すなら二人で住める部屋探したい。」

『……出てかなくていい?』
「いい」
『私も一緒がいい。離れるの嫌だ。』
「じゃあずっとここにいろよ。」
「…いる。」


せっかく綺麗に着飾ったのに、台無しだ。
目からはあの日とおなじ黒い涙が流れている。
だけど、今日は俺が拭いてやれる。
震える唇にキスをして、それから笑いあった。
幼馴染みの関係は幕を下ろし、恋人のスタートラインに立った。


左手の花束はブーケトスでなんと勝ち取った花束らしい。雪絵ちゃんはこれ持ってちゃんと夜久くんにいいなよって背中を押してくれたと言う。ソワソワして二次会も出ずに帰ってきたという明依。
緊張と寝不足と慣れないナイフとフォークで肝心の料理の味はさっぱり分からなかった。お箸で食べたいと騒ぐ既にジャージに着替えた明依に「自分の時までにはちゃんと使えるようになれよ」と言うと今日は意味がわかったようで顔を真っ赤にしている。

明依の頭の中で、真新しい記憶に重ねて想像したウエディングドレスを着た自分の横にたっているのは俺であればいいとココアを作りながら思っていた。
     
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