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いよいよ2年生最初の定期テストまで1週間。
部活動は活動停止週間にはいり、西谷くんは疼く体を持て余しながら授業に励んでいる様子だ。
少し前まで午前中は起きていることも無く、またお昼を食べた後も起きていることも無く、1日の殆どを机に突っ伏して過ごしていた西谷くんも東京遠征がかかっているとあってここ最近はずっと起きているようだ。

1回きりと思っていた勉強会も先週の昼休みはほぼ全て開かれたし、今日から出来ればバレー部で勉強会をしない日は教えて欲しいとのこと。
用事もなければ、自分の勉強にもなるので快諾すると西谷くんは真っ白な歯を見せてニィっと笑った。
それに釣られて私も笑うと、「下條が笑った!!!!」と大騒ぎしていたのでとても恥ずかしくなった。

「これは、この公式を使ってとけばいいんだよな?」
『うん、そう。でもここ、計算間違ってるよ?』
「マジだ。やべー。」
『落ち着いてやれば、西谷くんは出来ると思う。』
もともときっと勉強ができない人ではないのだと思う。
勉強に向ける熱量がすべてバレーに向いているだけで、覚えが悪い訳では無いし、集中力は凄まじい。
ただ、そこは素直に飲み込めばいいところに突っ込んで、なんでだ?なんでた?を繰り返すことをやめさえすればいいのにとは思っていた。

「下條はさ、」
かなり苦戦していた問題が解けて、休憩モードの西谷くんが言った。

「頭いいのになんで進学クラスじゃねーの?
しかももっと頭いいとこ行けたんじゃね?」
『あ、えっと…』
言葉に詰まってしまう。
言っていいものだろうか、引かないだろうか。
せっかくビクビクしないで話せるようになったユキちゃん以外の人から嫌われるのは少し怖い。
今までは非日常だったことが、積み重なって当たり前の日常になってしまったから。

知ってしまった楽しさを、失うのは、怖い。

『結構休むから、内申良くなくて。
あと歩いて通える学校にしか行けないの…。乗り物、乗れなくて。』

もともと乗り物酔いが酷かった私は長い時間車に乗っていることも難しかった。
それでも楽しみにしていた小学校1年生の時の遠足で、バスに乗って10分で胃の中のものを戻してしまった。
それがトラウマでバスに乗らなければならないと思うだけで吐いてしまうし、電車にも何回かチャレンジしようとしたけれど駅のホームに立つだけで冷や汗が止まらなくなってしまいには倒れてしまった。
だからせいぜい母か父が運転する車で30分の距離というのが私の限界値だった。

『って言うわけなんだけど…。』
声は尻すぼみに小さくなり、最後はいたたまれなくなって下を向いてしまった私。
こんな話聞いても嫌な気持ちになるよね。どう反応していいかわかんないし、バカバカしいって思うよね…。
私は思わず話してしまったことを後悔した。

「へぇ、なんか大変なんだな。」
言葉を発した西谷くんの声は私が想像していたよりもずっと明るかった。
『…う、うん。』

「でも、下條が別の高校だったりとか別のクラスだったらこうやって勉強教えてもらうこともなかっただろうし、俺にしたらラッキーだ!」

そう、ニコニコ笑う西谷くんの言葉に私は驚いた。
馬鹿にされなかった。引かれなかった。

『あ、あ、ありがとう…』
小さな声でそういうと、「なんで下條がお礼いってんだ?」と西谷くんは首をかしげていたけれど私にとってはそうやって笑い飛ばしてくれることが何よりも何よりも心の救いになった。

その"ありがとう"の意味を理解してもらえるように説明する自信がなかったので、私はもう1回、「ありがとう」と呟いた。