▼ ▲ ▼

「下條って頭いい?」


そう西谷くんに声をかけられたのは本格的な梅雨に入ってすぐのことだった。

『そ、そんなに良くない…』
そう言った私の言葉を遮るように
「明依は頭いいよー?」
とユキちゃんの声がした。
『あ、いや、えっと。』
「そうなのか?」
『こないだの模試、良かったんだもんね?』
「あ、まあ、うん。」
「西谷、勉強教えて欲しいんでしょ?縁下いってたよー?赤点とると合宿いけないって。」
「そーなんだよ。」

ユキちゃんは女バレに所属している。きっと男バレの人たちとも親しいのだろう。縁下くん?もきっとバレー部の人なのだろう。

「田中と両方見るのは辛いって言われちまってさ、ちょっとでいいんだ!教えてくれよ!」

私は西谷くんのあまりの必死さに首を縦にふることしかできなかった。


『国語でいいの?』
「よろしく頼む」
昼休み、私は持ってきたパンを食べ終えると西谷くんと机をつなげた。

「俺、もう漢字がいっぱい出てくると読む気なくす。何が書いてあるかも分かんねぇ。」

出題範囲になっている教科書の単元を開く。
西谷くんの教科書は新品のように真っ白で読む気がないのは本当のように思えた。


若くして役人になった才のある青年は人の下で働くことを是とせず、詩人として名を残そうと仕事を辞めて取り組むもそう上手くは行かず数年後地方の役人としてまた働くことになった。
しかしかつての同僚が出世していく様子に耐えかねた青年は妻子を残して失踪する、という内容の小説だ。

「で、なんでコイツが虎になるんだ?」
『え?』
「いや、なんで人間が虎になるんだ?」
『あー…いや。』
そこを突っ込まれてもというところが気になる様子の西谷くん。

『これは、あくまでも私の考えなんだけど…
例えばさ、カッとなった時に我を失って人を殴っちゃう人とかいるじゃない?
自分の中のやるせなさとか、怒りとかそういうのに打ち勝って人って自分を維持してると思うんだけど、それに負けてしまった時、自分じゃなくなってしまうってものを大袈裟に書いたものなんじゃないかな…。
この場合はさ、自分のプライドとか才能の無さに絶望したりとかでさ……ごめん、言ってることわかるかな……?』

西谷くんはキラキラした目で私を見て「わかる!わかるぞ!!!」と言っている。

「そういう事だったのか。」
『うん、まあ、うん。』
「下條ってすげーな!先生より分かりやすいぞ!!!」

その西谷くんの声の大きさで注目が集まってしまい、ユキちゃんやエリちゃんをはじめ何人かが机の周りを囲んでちょっとした勉強会が始まった。
こんな経験初めてで、すごく戸惑ったけれど西谷くんの「ありがとう」の一言で心の真ん中がじわっと暖かくなるのを感じた。