数年後設定。




ふかふかのベッド。染み付いた虎徹さんのシャンプーと同じ匂いが仄かに香っていて、なんて良い朝なんだ、とぼんやり、思った。顔を向けた窓の先に映る、シュテルンビルトの街並み。高くなった太陽がきらりきらり、と眩しく照らしているその場所は正に天国のようであった。うつ伏せに眺めたその景色に、うっとり、と目を細め、未だに目蓋の裏を彷徨う眠気にごしごしと、目を擦る。小さく、一つ欠伸を吐いて、そろそろ起きようか、と言うところで、控えめにドアが開く音が耳に届いた。スローテンポに刻まれる靴が床を鳴らす音。近づく甘い雰囲気と「バニー」と耳の裏を擽るような声の持ち主は見ずとも誰であるのか分かった。途端に、ああ早くキスがしたい、と衝動が込み上げる。しかし、このまま起きてしまうには勿体無いとも思う。蕩けるくらいのこの優しい声色を味わっていたい、そう思う程に、彼の声は僕の中に染み渡ってた。ぎしり。軋むベッドの音にゆっくり、と目を閉じる。そうして、決め込んだ狸寝入りが彼にバレませんように、などと心の中で願いながら、顔を埋めた枕を引き寄せた。
「バニー、寝坊だぞ?昼飯出来たし、起きろよ」
そう言って近くなった彼が窓から差し込む光を遮断して、ちゅ、と僕の項にキスを落とす。擽るように、何度も降り注ぐ口付けとふわり、と細い髪の毛を撫でる手付き。おまけに、耳の溝をなぞる、指先の感覚と言ったら。言葉では表現し尽せないほど慈愛に満ちていて、僕の思い過ごしでなければ、寂しいんだよ、と言われているような。そんな触れ方で、綻んでしまう表情を止められなかった。すぐに口角が持ち上がり、ふふ、と笑い声が漏れる。あ、しまった、なんて思う間も無く、もう一度甘ったるい声で「バニーちゃん」なんて呼ばれたら、起きない訳にも行かなくなって、僕のどうしようもない狸寝入りはあっと言う間に幕を閉じるのであった。
「バニー、起きてんだろ?」
「……バーナビーです。それに起きてません」
起きてんじゃねえか、と咽喉の奥で笑うような声。悪い子だ、と囁かれてぞくり、と走る背中の痺れは蕩けるくらいに甘くて、今すぐにでも抱きすくめてしまいたくなる。それでも、今すぐそれをしなかったのはまだ取って置きのプレゼントを貰っていないからだった。其れを貰うまでは意地でも起きてなるものか、と抱き寄せた枕にばふり、と顔を埋める。ちらり、と視線を送ったその先の彼の顔を盗み見て、早く早く、と逸る気持ちを現すように、何度もつま先をベッドに叩きつけると、一層虎徹さんの笑い声が大きくなった。左、右、左、右、左。舞い上がる埃さえ気にする事無く、忙しなくベッドに打ち付けられる足先。子供のようなその行為は自負しているだけあって何の躊躇も無く、永遠と続けられそうな勢いである。しかし、その勢いもすぐに止めてしまうのが虎徹さんだ。さすが、と言うべきか、父親である彼にはきっと他愛の無い事なのだろう。けれど、その小さく何気ない仕草が僕にとってどれだけ覿面で有るか、きっと彼は知らない。
「ほら、バーナビー」
掛けられた声に顔を上げる。目の前に惜しげもなく広げられた両腕の、僕の納まる定位置は早く来いと、僕を急かすように手招いて、堪らずに其処に身体を滑り込ませた。そして、躊躇なく彼の細い腰に腕を回し、くしゃり、と優しい掌が髪の毛に絡む感触に目を閉じる。死ぬほど心地よい感触。その手を捕まえて、嵌められた指輪をなぞるように指先を絡めて握り込んで、ちゅ、と旋毛に落とされたキスを子供のように唇に、とねだって見せた。む、と少しだけ尖らせた唇に、彼は可笑しそうに笑みを零す。眼鏡なしの霞んだ世界ですら、その笑顔は僕に溶けるみたいに沁み込むのが分かって、無意識に頬が緩んだ。そんな僕に、虎徹さんは照れ隠しするみたいに、唇をむにむに、と抓み上げて、「その顔人前ですんなよ」と呟く。聞こえなかったと言えば嘘になる。だけど、もう一度言って、と言う意味を込めて、唇を抓む指先にキスを一つ。小さく落として、虎徹さん、と囁くと、すぐに言葉の代わりにキスの雨が降り注いだ。
上手く誤魔化されたような気もする。しかし、言葉なんかより、よっぽど彼の愛情を感じられる其れで、僕は満足だ。温かな唇。分け合う体温。繋がれた掌。輝く指輪と、僕の薬指にも同じデザインの物がもう一つ。僕が彼と彼の愛した全てを愛すと決めた、その証拠。ぶつかり合う度に、カツリ、と鳴る金属の音が今は心地良くて、コレが幸せだと言う物だと、気付くのに、そう時間は掛からなかった。それも、きっと虎徹さんが笑うから。幸せだ、と僕に笑いかけてくれるから。だから、その名の通り、僕も今、世界一幸せなのだと思う。
「ん、虎徹さ、ん、お昼、何に、したんです?」
「んー、チャーハンに決まってんだろ?」
交わされる口付けの合間、またですか、とは言わなかった。この際、何日も彼のチャーハンしか食べてない様な気がする事は置いておこう。気にする方が野暮、と言うものだ。それに、きっと彼ももうすぐ、僕に申し出てくる頃だろう。僕の勘は当たるんだ。彼特有に甘えた仕草とおちゃらけた声で。久しぶりに僕の料理が食べたい、と。そうなったら、今度は僕が、取って置きのディナーを貴方に用意してあげますよ。貴方が僕の為に早起きして掃除や洗濯炊事を済ませてくれたように、ね。その意図が彼に伝わったか、は定かではない。しかし、晴れ上がったキスの雨の先には、幸せそうに微笑む虎徹さんの笑みがある。そうして、引かれる掌。
「ほら、チャーハン冷めちまうだろ」なんて笑う虎徹さんに、はい、と返事をして、手に取った眼鏡を掛けながら、繋がれた掌をそっと握り返し、込み上げる幸せを噛み締めた。
「ねえ、虎徹さん、僕のシャツ知りません?」
掛けた声が何となく高らかに響き、ああ、一生この幸せが続けば良いな、なんて在り来たりな事を思う。「わりい、洗っちまった、」と、そう答えられるその声ですら、とにかく幸福で仕方ない。 そんな事もきっと鈍感な彼の事だ、これっぽっちも気付いてはいないのだろうけど。今日だけは特別に祈ってみよう、と思った。 サイドテーブルに二つ並んだ、緑と赤の其れがその音を鳴らして、僕の振舞う取って置きのディナーの時間を奪われませんように。それから、欲張りにも、彼も僕と同じように幸福でありますように、と。 世界一の英雄で彼の尊敬する、ミスターレジェンド?若しくは僕の永遠のライバルである、ともえさんにでも、慣れない祈りを捧げてみよう、


そう思う。






英雄のパンドラ








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