薄暗い中、両サイドから間接的に照らされた部屋の真ん中には、いつもならば僕が腰掛けているはずの革張りの真っ黒い椅子が、ぎこぎこ、と鈍い音を立てていた。耳障りな音は不定期に僕の耳をざわつかせ、苛立ちを込み上げさせる。こっちはあんたが汚した食器やら何やらを片付けているというのに。我が物顔でその上に座った虎徹さんは、シャンパングラスを片手に上機嫌にも、鼻歌を零しながら、くるり、くるり、と回転していた。
時折、「バニー!」と子供のように聞こえる声は思わず返事をしてしまいそうな問い掛けである。しかし、意地っ張りな僕は返事をするわけにも行かず、其れを咽喉元で食い止めながら、積み重なる洗い物をこなした。冷えた掌を真っ白なタオルで包み、水浸しのシンクを水滴一つ残さずに拭き取っていく。そんな最中、聞こえる今度は「酒をくれ」とせがむ声に溜息を吐き出す事を僕は堪えはしなかった。この人はどれだけうちの酒を開ければ気が済むのか、と思う一方、甘やかしてしまう僕はまだまだ未熟なのだと知りたくも無い事実を思い知る。キッチンの片隅に置かれたワインセラーに手を掛けて、年代別に整理されたワインを吟味。彼好みであればいい、と一本取り出した60年物のワインと作り置きしていた冷えたカプレーゼを、依然、上機嫌に僕を呼び続ける彼の元に差し出した。
「口に合うか分かりませんが」
丁度空になっていたシャンパングラスを手から取り上げて、彼の向かい側に腰を掛ける。生憎、僕の部屋に一つしかない椅子は目の前の虎徹さんが塞いでいて、僕は床に座るしかないのだが。それでも、まあ、このアングルから見える絶景に免じて、文句一つ言わないでやろう、と軽快に開けたワインを、グラスいっぱいに注いで、彼の前へと差し出した。ゆらり、ゆらり、とグラスの淵を揺れる薄い桃色の液体。零れそうになる其れを虎徹さんは受け取って間も無く、唇からそっと、咽喉の奥へと流れ込んでいく様子を、僕は惚けるように見つめた。曝け出される咽喉元が上下する度に、追いかける眼球も上へ、下へと忙しなく動く。そうして、空になったグラスがかたり、とテーブルの上に佇むと、濡れた唇が、「美味いな、これ、」と紡いだ。
「それはよかった」
言っておきますけど、これ高いですよ、と手元で揺れる液体を再びグラスに注ぎ入れながら、口元を持ち上げる。まじか、と少し酔った様子で虎徹さんが笑えば、僕も釣られるように、「まじですよ」と笑った。彼が口付けたグラスがほんの僅かに傾いてピンク色の液体が咽喉元を流れていく。其れを真似するみたいに、僕も傾けたグラスから、甘い液体を飲み干すと、じわり、と広がる甘い香りとアルコール特有の癖が上下する咽喉を通って食道から、胃袋へと染み込んで行くのが分かった。傾けたグラス越しに霞む虎徹さんを盗み見る。紅潮する首筋に緩んだ頬、舐めるように視線を上げれば、バチリ。例えるならば、そんな音がするように絡み合った瞳に思わず目を逸らした。誤魔化しついでに掌に包まれたグラスをくるり、と指先で弄び、液体に反射する自分の顔に呆れていると、す、と伸びた彼の指先が奪うように、僕の指に触れた。
「…俺の酒、」
返せ、と囁かれる声に顔を上げる。熱くなった頬と僅かに潤んだ瞳は幼い骨格をした東洋人の彼を更に幼く見せた。しかしながら、次の瞬間交わされる口付けと言ったら、全く幼さを感じない。ぬるり、と唾液で滑った咥内は蕩けそうなほど甘く、絡みつく舌先が傍若無人に這い回る。すでに胃の中に収まってしまった酒を探しているのか、僕の咥内を丹念に舐め取る舌先は加減という物を全く知らなかった。ずしり、と下半身を襲う熱がすぐにタイトなパンツの下の其れを勃起させ、自らの栄華を主張するようにおじさんを求める。本当にどうしようもない。目の前の彼もそうだが。何よりも僕が。酔っ払った中年を目の前にして臨戦態勢なんて。情けないったらない。そう思うのに、蕩けるように交わされる口付けに対して特に抵抗する訳でもなく、寧ろ引き込むように彼の襟足に指先を絡めたのは僕だった。更に深く、貪る唇と赤く染まった頬が映える。そうして僅かに持ち上げた目蓋の隙間からちらり、と見えた彼は、驚くほど美しく、淫靡に僕の瞳に映った。これが惚れた弱みと言うものか。妙に納得の行く結論に、くすり、と笑みが込み上げる。生憎、唇を塞がれていてその笑みを上手く表現出来たのか、分からないが、それでも、湧き上がる熱や欲望にしろ、有り余るほどの愛情や思慕にしろ、少しでも彼に感染してしまえばいい、なんてそんな事を思った。
じん、と痛みすら感じるほど熱を持った唇が、ぷは、と漏れる吐息と共にゆっくり、離れていく。視界に入り込んだ紅に染まった頬や僅かに濡れた目元はとろん、と蕩けてしまいそうな程ふやけていて、思わず指先でなぞった。その瞬間、竦められた肩はひくり、と震える。最初にキスして誘って来たのは貴方だと言うのに、彼の瞳はすっかり、欲情の色を濃くしていて。僕の理性は今にも焼き切れてまいそうだった。虎徹さん、と赤く染まった耳元で発した声が掠れる。頬に添えられる手に重なる其れが、張り付くように汗に馴染んで、ぞくり、と背中が震えた。のんびりとした動作で合わせた掌を握り込み指先を絡める。そのまま、力強く引き寄せた身体ごと、腕の中に閉じ込めて、ぎしぎしと軋む革張りの椅子に腰を押し付けた。バニーちゃん、と恐ろしい程甘ったるく、綺麗に歪む其れ。僕の名を何度となく囁くその罠はまるで蟻地獄みたいで、僕は一瞬にして引きずり込まれて彼の虜になった。触れる唇に、吸い付く肌。汗の匂いに混じるワインに似たその甘さに、我を忘れて、もう一度口づけを交わす。過ぎる彼の笑みは深い優越に満ちていて、僕は馬鹿みたいに彼の身体を弄った。
そんな愚かな僕たちに神様は笑う。何処までも似合いの二人だ、ときっと神様は笑うんだ。






罪が友達









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