鏡の前。惜しげもなく晒された其れを、肉眼で直接見るのではなく、眼鏡を通し、更に鏡を通して、彼の正面の姿を眺める。歳の割には引き締まった、上半身は少しだけ焼けていて、肌色と言うよりも健康的な小麦色に近かった。ああ、触れたい、といつも思う事をまた思う。しかしながら、つい五分前まで触れ合っていた事を思い返せば、これ以上触れたら限界を突破してしまう事は目に見えた。はあ、と無意識に吐き出した、溜息が宙を舞う。当の本人は僕の前で無神経なほどに裸体を晒していると言うのに。なんておじさんなんだ。そう思いながら、鏡越しだったその肌を今度は眼鏡越しに眺めるのであった。
綺麗にカーブを描いたウエストや、浮き出た肩甲骨。散らばった星空に出っ張った背骨を下へ、下へ、と視線でなぞると、背中の窪みが艶やかに光っていた。おじさんのあそこ、結構、汗が溜まってたりするんだよなあ、と脳内を過ぎる艶かしい光景は昨日の夜の事。溜まった汗を舐め取ると震える身体を抱きしめ、腰のカーブに掌全体を這わせる。舐めて欲しく無さそうな彼は必死に阻止しようと僕の唇を引き寄せてキスをして、いつもならバニーと呼ぶ唇で、僕を「バーナビー」と呼んだ。荒くなった息を必死に噛み締めた唇と、赤く腫れ上がる目元。涙なんて見せる事のない彼が、子供みたいにわんわん、泣いて、気持ちいいとか、好きだとか。うわ言の様にそんな事を語る。ああ、今思い出しても肌が粟立って恥ずかしい。不覚ながら、彼とのセックスでは泣きそうになる事が多々あるし。昨日も例外ではないのだが。セックスの時の彼は特にずるいのだ。もう何年も一緒に居ると言うのに、あの顔とあの声には幾ら年を重ねても慣れる事がないなんて。本当にずるい人。浮かび上がる頬の熱を掌で仰ぎながら、高鳴った心臓を鎮めようと息を吐き出す。わなわなと震える掌を握り締めて、触れたいという衝動を抑えようと努力したが、結局無理だった。触れたい、触れたい、触れたい。出来る事ならひと時も離したくないと言ったほうが正しいのかも。こんなおじさんの身体、弄って何が楽しいのか僕自身も未だに分からないけれど。駆られた衝動のまま、一メートル程離れた彼の腰を、必死になって抱いていた。
しなやかな腰にしがみ付くように腕を回して、肩口にちゅ、と唇を落とす。途端に、うお、と色気のない声が鏡越しの驚きの表情を隠せない瞳と一緒に唇から溢れたが、次の瞬間には、すでに何時もの愛称が紡がれた。いつもなら「僕はバニーじゃありません。」などと返すところだ。しかしながら、僕の唇はすでに塞がっている。従って反論はまた次の機会に、という事で。口付けた肩口から徐々に首筋に舌先を這わせて、鏡越しの彼の瞳に視線を合わせた。粟立った肌を掌全体で撫で回しながら空中を彷徨っているおじさんの手をとっ捕まえて、きゅ、と握り締める。僅かに冷えた其れは僕の指先を拒否することもなく、すんなり、と繋ぎ合わせられると、自然と顔が綻んだ。こんなおじさんに此処まで感情が操られているとなると、バーナビーブルックスjr.の名が廃るような気がする。しかし、再び、バニー、と穏やかな声色が僕の愛称を囁けば、そんな事どうでもよくなった。
「…身体冷えてますね。さっさと服着てください」
身体を擦り上げる度に奪われる掌の熱が、おじさんの皮膚に馴染んでいく。相変わらず、落とし続けている唇に、おじさんは肩を竦めて、「お前が、離さないからだろ」と笑ったが抵抗はしなかった。確かに、僕がこうして拘束しなければ彼はさっさと服を着て暖を取る事が出来ただろう。しかし、一言も拒否を示さない彼にも責任があるのだから、お互い様でしょう?そう、問い掛けるように、鏡越しのおじさんに目配せをして顎を引き寄せる。そうして、歳の割りには弾力のある、むにっとした肌に唇を滑らせて、その先に佇んだ彼の唇に自分の唇を重ねた。柔らかな感触と、ちゅ、ちゅ、と唇の触れ合う音が、すぐさま、熱を込み上げさせる。してはいけないとは確かに、理解している。だが、好奇心や性欲は数秒足らずで其れを勝って、衣服を纏わない身体をゆっくり、と弄った。同時に、唇から、ん、と漏れる声がざわり、と肌をざわめかせ、下半身へと熱をおろしていく。引き寄せた腰に、熱を持ったソレを押し付けて、触れ合った唇を舌先で抉じ開ければ、とろり、と顎先に唾液が伝った。
ざらり、とした其れを吸い上げて、頬に添えた左手で伝う唾液を拭い取る。はふはふ、と零れる吐息でさえ、飲み込んでしまいたいという欲望のままに、おじさんの咥内を荒らし回って、漸く、固く閉じ込めていた舌先をちゅるり、と解放してやった。大分赤く染まった頬が白い肌に随分と映える。ああ、綺麗だ、などと咄嗟に思ってしまった事に、しくじった、と思う。けれど、おじさんの視線は僕ではなく、目蓋の裏に集中しているようで、目の前でふにゃふにゃとふやけている彼が鈍感である事にこの時ばかりは感謝した。
「大丈夫ですか」
「…大丈夫なわけあるか、まったく。おじさん歳なんだから手加減しろよ」
そう言いつつ、向きを変えて正面を向いたおじさんの視線が直接、僕に注がれる。まるで、僕の意思を見抜いてるみたいな真っ直ぐな瞳に僕の姿が映っていたが、本当に表現するのも滑稽なほど、酷い顔だった。そんな顔に、ひたり、とおじさんの掌が重なり、滑るように、頬のラインを撫でる。身体は冷えているくせに、温もりを蓄えた骨ばっ た其れ。歳だ、歳だ、と言うくせに、子供みたいに高い体温の掌はとても心地よくて、頬を擦り寄せ、口付けを落とせば、彼は含んだ笑みを見せて、で?と首を傾けた。
「で、って、なんですか。」
同じ方向に傾ける首に回された腕が僕の身体を引き寄せる。更に密着した身体は履いたジーンズ越しにでも分かるほど高ぶっていた。どきり、どきり、とくっついた胸から一緒になって、鼓動を刻む。それでも、絡み合った視線が逸らされる事は無くて、「いいんですか?」なんて野暮な事を聞く前に、おじさんは目を細めて「まさか、此処で終わる気か」と僕を挑発した。抱き寄せられた肩越しの背中には、僕にしか見えない僕が描いた赤い星空が見える。酷く輝いたソレをなぞり、綺麗だ、と呟けば、おじさんは、ぶは、と噴き出して笑って、「お前の方が綺麗だ」と言った。
その真意を僕は知らない。けれどきっと、彼の身体に、僕にしか見えない星空があるように、僕の身体にも、おじさんにしか見えない星空があるのではないか、そんな自惚れた事をぼんやりと思って、そっと口元を引き上げた。






背中いっぱいの星空








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -