特殊設定。
30代バニーちゃん×初老虎徹さん。





丁度仕掛けていたアラームが鳴る。定時の18時。ビルの窓から見える夕焼けは海に飲み込まれそうなほど傾いているのを確認して、僕の指先は時計のアラームを止めた。ギシギシ、とバネの付いたチェアが軋む。変形した其れは沈み込んで僕を離したくない、と駄々を捏ねているようだと思ったが。僕は名残を惜しむ事もなく、立ち上がって、開いていたパソコンを閉じた。ある程度散らばった書類をまとめて、机にしまい込んだ社員証を取り出す。ロイズさんは相変わらず机に向かって、難しい顔をして居り、声を掛けるには気が引けたが、一応上司である。失礼します、と軽い挨拶と共に頭を下げると、ロイズさんは少しだけ疲れた顔をして、お疲れ様と笑った。
自動ドアが開き、階段を降りる足取りは最早、軽過ぎて転びそうなほどだ。しかしこんなところで僕が転べばそれこそスキャンダルになる。二部リーグに戻って12年。何年か前にKOHに返り咲いた僕は、何とか縺れる足で、階段を降りた先のフロアできょろり、と視線を巡らせた。何人、何十人と集まるカップルや家族連れの中からたった一人のあの人を探すのは難しいはずなのに。目映く光るように飛び抜けたその存在は一目で僕の心を奪っていく。再び恋に落ちるみたいに高鳴る心臓が、咽喉元を息苦しくして、今度こそ、息の根を止められてしまうのではないかって本気で思った。毎日毎日、隣に居る事が当たり前の彼が、今日一日、隣に居なかっただけで、こんなにも恋しく思うとは思っても見なかったが。今となっては、この相互依存に立派に順応してしまっているようだ。
この人込みの中、僕と同じように僕を見つけ出し、蕩けんばかりに目を細めて子供のように笑う虎徹さんもまた同じ。この柔らかな笑顔を見れてしまえば、嫌でも手に取るように彼の心境が分かる。僕を待ってた。僕に会いたかった。僕と同じ目をして、笑う彼は大声でそう叫んでいるように思えた。
「虎徹さん……!」
「バニー、おかえり」
やけに通る声がいつもみたいに僕を呼んで、皺の増えた顔を益々しわしわにして笑う。短くなった髪がトレードマークの帽子の下で僅かに揺れ、差し出された手を僕は迷う事無く握り締めると、彼はまた幸せを纏う様に微笑んで、「今日は早かったな」なんて言うのだから、僕は困った。ああ、眩しい。眩しすぎて直視できない。突如溢れ出す、キスがしたいとか、抱きしめたいとか。そんな大量の欲望は衝動を掻き立て今にも彼に襲い掛かろうとするのを抑えるので精一杯で、握り返された手がしっとり、と張り付くように汗ばんで彼の掌に馴染んだ。一体、温もりがどちらのものなのかも判断出来なくなるくらい、回った目はくらくら、と僕の身体と心臓を惑わす。もうどうにでもなれ、って自棄になって彼をこの人込みの中に紛れて、抱きしめても良かったけれど、そうなるギリギリのラインで先手を打つように、現れる深い色の瞳が穏やかに僕の姿を映した。
「バニー?腹へってっか?どっか寄って何か食ってく?」
いつまで経っても年齢不詳の愛らしく幼い笑顔は、僕に向かって花を咲かせる。その瞬間、息を飲んで、まるで時が止まったような感覚に身体が硬直した。思わず吸い込まれるみたいに、引き寄せる虎徹さんの腕とちゅ、と触れる唇。ああ、まずい。そう思っても離せない唇は結局、この渦のような人込みの中に紛れて、長い事続いた。気がする。一分か、二分か。それとも三十秒だったかも知れない。しかし我に返る、と言うよりは、お互いの呼吸の限界で幕引きをした口付けに、虎徹さんは少しだけ頬を赤くして、僕の胸に一発パンチを打ち込んだ。痛い。けれど、いつも飛んでくるはずの幼稚な罵倒の言葉は、僕の耳には届かず、ただ恨みがましい視線だけが僕を打ち抜く。本当に、この人の優しさには困ったな。こうしてすぐに僕を甘やすから。いつも僕に漬け込まれて、結局、彼の望まない結果になってしまうのに、彼は気付いているんだろうか。いや、気付いていないからこそ、僕をこんなにも溢れんばかりの愛で甘やかすのだろう。
今だって、そう。握られたままの彼の掌を強く引き寄せ、耳元で「虎徹さんを食べたくなりました」なんて、年甲斐もなくバニララテみたいな甘ったるい言葉を囁くと、あなたはみるみる内に蕩け出して、無防備にぐずぐずとした欲情の色を見せてくる。人込みの中にもお構い無しに、今すぐ、僕に抱かれたい、とその綺麗な瞳が言う度、僕が奥歯を噛み締める事も知りもせずに。せめて、彼との愛の巣に辿り着くまで。せめて、ベッドに辿り着くまで。僕は紙切れ一枚、糸一本で、繋がった理性を縫い合わせて、熱っぽい視線を解く事だけで精一杯だった。ああ、まるで地獄。心の中でジーザス!と呟いて、熱く僕の愛称を囁く虎徹さんを連れて家路を急ぐ。一秒でも、一刻でも、早くベッドメイクの済んだ、シーツの海と、彼の熱に溺れてしまいたかった。







ラズベリーと囁き








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