忽ち外に出ると吐き出した息が真っ白に染まり、柔らかく溶けていく。静まり返った駅のホーム。見送った電車はすでに遠くの方に消え、立ちすくんだ僕だけが静かにその場所に佇んでいた。
この時期、僕は必ずこの場所に降り立つ。僕よりほんの少しだけ先に帰省した虎徹さんの後を追うためである。驚いた事にヒーローも正月休みと言う物は有って、其々故郷やら実家やらに帰省するらしい。僕には両親はいないし、生まれ故郷と言っても僕はシュテルンビルトで生まれて育ったから、僕にとって新しい年を迎える事は、いつもの休日を過ごすのと同じ事だったんだけど。数年前からその習慣はガラリ、と一変した。なんでもない、いつもと何も変わらなかったあの日、虎徹さんが言った、たった一言。
「俺と正月過ごしてくれ」って。
だだそれだけの一言で、僕の人生がこんなにも変わるなんて思っても見なかった。その年から毎年訪れるようになった、風情のある日本家屋に、楓ちゃんや安寿さんや村正さん。そして虎徹さんの隣には僕が居て、豪華で温かい食事と美味しいお酒が並ぶ。僕の為に入れられたお風呂や家族の分だけ並べられた歯ブラシの中に一つだけ増えている僕の分。花が咲く思い出話にそっと耳を傾け、コタツの中で眠気と戦いながら食べる蜜柑。そんなささやかで、温かくて優しい時間は虎徹さんのあの一言で、全て僕に与えられた。それがどれだけ幸せな事かなんて、僕も最近、気が付いたばかりだけれど。これだけは何があっても無くせなくて、守らなきゃいけないモノだって事くらい、ずっと「家族」がいない人間にだって分かる。きっとこの優しさはそれ程大きなモノなんだ。

田舎町特有の静けさに階段を駆け下りる足音だけがホーム内に響く。その度にガサガサ、と揺れる紙袋の中には、僕が持参したお土産の他に、先輩達から預かったあれや、これや、がこれでもか、と主張していた。もう少し、あと少し。重たい荷物を持った僕を突き動かすのは、虎徹さんに会いたい一心。ただ、それだけ。無我夢中で駅の階段を駆け下りた先に広がる、真冬の風景と降り注いだ雪が積もるその街並みを見つめる。疎らな人通りに「あともう一息」と呼気を吐き出し、お土産の重みで指先に食い込むビニールを強く握り締めた。一歩踏み出す度に、駅から続く足跡が僕と、目的地の距離を縮めていく。事毎に高鳴る鼓動と踊るような足取りが僕を浮かれさせていた。虎徹さんは今何をしているだろう。僕を待ってくれているだろうか。そう思うだけで、僕の顔は馬鹿みたいに綻んだ。
「おい、バニー、顔がニヤけてんぞ。」
その声は何処からともなく聞こえて、ほんの一瞬、僕が、進むべくして歩んでいた正面から、顔を背けた一瞬に、僕の前に現れていた。それは本当の魔法みたいに、それでいて、ほっとするほどの自然さで。僕の愛しの人は、そういう人だ。アーガイルのニットに黒のデニム。全身を包む長いコート。暖を取るには相応の格好と言えるだろうが、赤くなった耳や、頬が、酷く長い時間外気に晒されていた事を物語っている。「一体いつから待ってたんですか!」なんて言ってやりたい。「待ち合わせなんてしてないでしょう!」とも。しかし、今の僕にはそんな余裕さえも失って、触れられる距離まで近付いた彼の顔を見ている暇も無く、縋りつくみたいに抱き締めるだけで精一杯だった。
「うお!……って、つめてぇな、バニーちゃん」
氷みてぇ、と冷えた髪の毛先を撫でる指先だって、人の事言えないくらい冷たいくせに。僕は反論らしい反論も出来ず必死になって虎徹さんの背中に掌を回すだけ。そうして、冷えて痛みさえ感じていた指先から溶けていくみたいにやってきて温もりに、ああ、僕は虎徹さんを抱き締めてるんだ、って改めて実感した。
それから、時間も外である事も忘れて、虎徹さんを抱き締めて数分。バニーちゃん、とかバーナビーさん、とか。僕の耳元で囁き続けている虎徹さんを無視するにはもう限界が近付いている。その証拠に、虎徹さんはもう何度も抗議と証して僕の髪を柔らかく、優しく抓んでいた。時折、力加減を間違えたのか、ちくり、と感じる痛みにも、そろそろ離してあげなくては、と僕なりには思っていたりもするのだが、やっぱり離しがたいのが本音である。あと少し、もう少し。そうしている内に明日の朝になってしまうのでは無いかと思うくらいに、キリがない。なんて言ったらきっと虎徹さんは笑うだろうけど。
「……、そろそろ行かないと、楓ちゃんも安寿さんもお兄さんも待ってますね…」
「…だから、さっきからそう言ってんだろ?」
腰を腕に回したまま、首筋から鼻先を離せば、こつり、と虎徹さんの額が僕の額に当たる。そうして、見つめた長い真っ黒な睫毛に、見蕩れていると目蓋に隠れていた金色の瞳と視線がかち合った。そのまま吸い寄せられるように、唇が少しだけ触れる。ふに、と柔らかく触れては離れた、赤く熟れた唇にじん、と優しく痛みが残って、僕はふふ、と少しだけ笑った。ああ、泣きそう。泣きたい。幸せ過ぎて、泣いてしまいたい。そう、心の底から思える僕は今死ぬほど幸せだった。
「……さて、そろそろ行くか?」
「…はい、…」
きっと皆待ちくたびれてるぞ、と言って遠ざかった虎徹さんの身体と温もりを宿した僕の身体の隙間を、ヒュ、と冷たい風が通り抜ける。しかし、繋いだ手は離される事は無く、虎徹さんはその腕を引いて意気揚々と、歩き出した。星屑の下。僕は鼻先を赤くした彼の背中だけを眺めて、足跡を辿るように付いていく。見失わないように、無くしてしまわないように。彼だけをいつまでも見つめ、追い続けた。

「……あの、虎徹さん?こっち、遠回りじゃありません?」
「んー…、いいんだよ。家着いたら独り占めできないだろ?どうせ楓に文句言われんなら、もう少し独り占めしてやろうかと思ってな。」
だからもうちょいだけ付き合ってくれよ。そう言って子供みたいに笑う彼の唇から聞こえる僕の知らない歌。そういえば、今着てるこのセーターだって見た事が無くて、僕にはまだまだ知らない事が山ほどある事を思い知らされる。そして、知らなければいけない事はもっともっと沢山あるのだと、僕は知った。だから僕は、あの広い背中を。端正な横顔を、この薬指の意味を。これから先僕とあなたが息絶えるまで、追い続けたいと思う。

(出来るなら、後ろの正面が、隣になるくらいに。叶うなら、いつか会うその時も。)







やさしい痛みに愛される








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