雲が流れて


 風の通る音と、鳥の囀りと、どこか遠くで物の動く音がしていた。仰向けた顔に陽があたる。ベンチの背に置いた右腕が、ときおり小さく手招くように動いて、長い白衣の裾が揺れた。穏やかな、どこか日々に倦んだような午後の中庭は静かで、瞼を通して見える日は赤い。体を起こして目を開けたら、呆れたように笑うあの人が、ぐっと顔を覗きこんでいる。目が合うと、唇を尖らせて言うのだ。「サボるなら誘ってよね」。謝ると、楽しそうに笑う。「何でもないの」と、何でも背負いこみながらいつだって笑うのだ。
「いっくん?」
 垂れた右腕がまず動いた。体を起こすと、雑に束ねた後ろ髪が揺れる。かれんを捉えた目ははじめ、眩しそうに細められていた。
「制服の上に白衣なんて、今日なんかは暑くない?」
「あー、そうでもない」
 けだるげに首筋に手をやりながら、礇(いく)の目はかれんの胸元を向く。ああ、と呟きながら、彼女は胸に抱いた本を掲げてみせた。小さな字で書かれたタイトルは、表の世界のものだった。
「和泉式部日記、知ってるかな? 図書館で借りてきたの。次の参考にしようと思って」
「恋愛、書くんだ?」
「うーん、迷ってるところ。なんだったっけ、えっと、ひかる……ひかり?」
「源氏物語?」
「そう、それも読んでみたんだけど、難しいね恋愛って。座ってもいいかな?」
 礇が頷くと、かれんは彼の隣に腰掛ける。一度本を膝に置いて、けれどすぐに手に取るとページをめくった。紙がこすれあって乾いた音を立てる。手元を眺める彼女は、難しそうに顔をしかめていた。



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