予定調和のマヨルカイエロー(後)


「なんで俺ンところに来んだよ…こっちは忙しいんだぞ芝生」
「お前に聞きたいことがある」

経理部をあとにした笹川は、その足で秘書課に立ち寄った。ここには沢田の自称右腕・獄寺隼人が常駐している場所だ。眼鏡をかけ忙しなく帳簿をめくっていた獄寺は、神妙な顔をした笹川を見て眉を跳ね上げる。

「この前の案件、だいぶ迷惑をかけたのか」
「……10代目は非番のお前を引っ張り出したことを気にしてらっしゃる。奴をつかまえるための準備なんてあったもんじゃなかったからな。だからまあ、金に関しては内々で処理をした」
「その内々ってのは、」
「…ま、アイツの仕事だ。よくもまあ、金を引っ張って来たと思うぜ。執念だなありゃ。」

獄寺が言うアイツ、とは、言わずもがな彼女のことである。曰く、寝る間も惜しんで方々から金を工面し、たった数日で後処理を終えたというのだ。そういえば、笹川の記憶の奥底にいる彼女もそうだった。いつも、誰かのために動く人間だった。

「勿論お前にも非はあったからな、どうしてもお前に罰則を科さなければいけないという話だったんだが。」
「…」


………
……



美冬が早々に幕引きを図ったため、会議で共有されたのは事件の顛末のみであった。
笹川が壊した建物にかかる各種費用は、美冬が集めた外部からの資金と、足りない分に関しては内部留保からの貸与という形で弁済を果たした。とはいえ内部留保からの貸与も相当な金額に上る。
老獪な幹部たちからは、「この金額どうするんだ!」「これだから若者は!」と声が上がり、会議は荒れに荒れた。中には笹川了平は晴れの守護者を降りるべきだ、等という者もいた。

『お兄さんは非番で、体制も十分ではない中仕事をしてくれて、子どもの命まで救ってくれたんだから糾弾するのは間違っていますよ。…そう思わない?美冬。』

それまで、ただじっと、何も語らずに傍に控えていた美冬に、この場を取り仕切る沢田綱吉はにこりと笑いかけた。
その瞬間、会議場はしんと静まり返り、声をかけられた彼女に視線が向いた。目を閉じて、黙って佇んでいた彼女の瞼がゆっくりと開き、透明な橙が会議場を見渡した。

『子どもの命を救い、事件を未然に防いだという意味で褒賞を与えてはいかがでしょう。そのうえで、過ぎた破壊については相応の金額を科するとよろしいのでは?』
『いいね。皆はどう思う?』

沢田綱吉の有無を言わさぬ笑顔が、老獪たちに向けられた。まるで蛇に睨まれた蛙のように、あたりの空気はかちりと凍る。彼らの瞳にはありありと畏怖の色が浮かび、視線は沢田綱吉とその傍らの橙を見つめたままだ。

『…反対はないみたいだね。じゃあ、このまま進めてくれる?美冬』
『……仰せのままに』

ボスからの勅命に、美冬はこくりと首肯した。
沢田綱吉は、「ありがとう」と口にすると、彼女に向かってそれはそれは温かい笑みを浮かべた。



……
………


「…っつーわけで、お前は貯金が0になるだけで済んだんだよ。下手したらシャレにならない借金背負ってるところだったんだ。10代目に感謝するこった。……アイツにもな」

その後、沢田綱吉の命を受けた美冬は、笹川にその賞与を入金し、その後全財産と共に賞与ごと没収した。実際のところ、笹川には獄寺が言ったことの8割程度しか理解が及ばなかったが、美冬が己のために、雇用を守ってくれたらしいことはなんとなく理解できる。

……その昔、高校受験に合格するために、彼女がテスト勉強を見てくれたことがあった。あの時ほど人生で点数をとれたことはなかったが、まるであの時のようだな、となんとなく笹川は思った。







それは数日後のことである。


「…で、何でここに芝生がいるんだよ」


ボンゴレファミリーの中枢執務室では、15時になると状況に応じてティータイムが挟まれることがある。上層部による交流と会議を兼ねたそれには、そこそこ豪著なお菓子や軽食が用意されるのだ。それらを手際よく用意するのは美冬の仕事で、彼女はこの日の参加者に紅茶を淹れてまわっていた。

「?呼ばれたから来ただけだが」
「ああ?」

その日の参加者は沢田綱吉と獄寺、美冬だけのはずである。だが、いざ会場に足を運べば、呼んだ覚えのない笹川了平が座っているではないか。ぎくり、と肩を弾ませた沢田綱吉は、取り計らうように苦笑いを浮かべる。

「ああ、えーと…俺が呼んだんだ」
「10代目!?」
「ほら、お兄さんにも新しい視点で意見を貰えたらいいかなって思って…」
「そんな!10代目が新しい視点が欲しいとおっしゃるなら、俺が第3の目でも第4の目でも開眼して新しい視点とやらをお届けするというのに?!」
「…何を言っているんですか?」

沢田綱吉が何も言えずただただ苦笑いを浮かべる一方で、それまで無言で紅茶を淹れていた美冬は、まるで信じられないものを見るような目を向ける。「うっせー!テメェには何も言ってねぇだろ!」と獄寺はやいのやいの声を荒げたが、肝心の渦中の人物は「相変わらず元気だな」と笑うのみだ。

それは小さな円卓だ。
沢田綱吉の右に獄寺が、左に笹川が腰かけ、3人の周囲をくるくる回りながら“ボンゴレの奥の手”こと美冬は紅茶を注いでいく。

「腹減った…」
「そうですか。今日はサンドウィッチをご用意しました」

笹川はここ数日、ろくにお昼を食べていない。
それもこれも全財産が没収されたせいである。たまに気の合う山本や、同級生の雲雀を見かけたとき等は奢ってもらうこともある(雲雀はとても嫌そうな顔をする)が、それだって何回も、というわけにはいかなかった。

それぞれの席の前には黄色い皿の上にたんまりと乗せられたサンドウィッチ。中身はハム、チーズ、BLT、フルーツ、などなど。そして、皿の横には揃いのカップ。カップの中でほこほこと湯気を立てる紅茶の銘柄は、ニルギリ。

「こんなに食えねーって。今何時だと思ってンだ?」

15時のティータイムに食べるにしては、しっかりした量の食事だ。獄寺が怪訝な顔で悪態をつくと同時に、笹川の腹がぐうううと大音量で鳴り響いた。

「た、食べていいか!?」
「おい、10代目がまだ…「どうぞどうぞ」」
「そうか!!では遠慮なくいただく!!!!」

獄寺が制止しようとするも、沢田綱吉は笑顔で笹川にサンドウィッチをすすめた。
すると、パァン!!!と柏手を打つかのように厚い掌から音が鳴り響き、次いで笹川了平はぺろりとそれらを平らげてしまった。
間髪入れず、美冬が次の皿を用意する。次の皿に乗っているのはポテトサラダ、カツ、タマゴ、などなど。笹川がサンドウィッチを平らげ、美冬がお代わりを差し出す風景は、まるで日本のテレビで見たわんこそばの早食いのようである。


獄寺と沢田は暫し無言で食べる男と給仕する女を見つめていた。

「……何なんすか、これ」
「いやあ…美冬は美冬なりに、お兄さんのことを気にしてるってことだよね」

獄寺の耳打ちに、沢田綱吉もまた耳打ちで返した。
本日のミーティングという名のティータイムの提案者は彼女であり、人選も、メニューを用意したのも、彼女である。昼間っから厨房を借りてトンカツを揚げている彼女を、沢田綱吉は目撃した。

彼女は先日笹川了平から仕方のないこととはいえ全財産を根こそぎ没収したことをどうやら気にしているらしい。内部会議で決まったことを彼女は実行しただけなのだが、良心の呵責に苛まれているようなのである。

いつも鉄仮面を被ったように無表情の彼女だが、人を心配する気持ちそのものは持ち合わせているようで、沢田綱吉もついつい彼女の行動を許してしまっていた。


「いいんすか、10代目…」
「まあ、ちゃんと打合せしなきゃいけないこともあるからいいんじゃない?ひとまず、俺達も食べようよ」
「…10代目がそう仰るなら」

若干納得のいかない獄寺はたまごサンドを、困ったように笑う沢田綱吉はハムサンドを口にした。
ふわふわの柔らかなパンと、スパイシーなハム、少し甘いたまごが、二人の口の中を満たしていく。

「……意外といける」「おいしいね」
「だろう!?」

獄寺と沢田は目を見張った。すると、目をきらめかせながらサンドウィッチをこれでもかと頬張る笹川了平が何故か自慢げに胸を張った。

「なんでてめーが偉そうなんだ…」「極限に何故だろうな!!」「ははは」

昼下がり、ボンゴレの執務室にて。
さんさんとさしこむ陽の下で、男たちは3人揃って舌鼓を打った。ティーカップの中にはニルギリの明るい緋色がゆらめいている。わいわいと賑わう円卓は、まるで中学生男子がお弁当を食べているかのようである。


透明なふたつの橙は、その様子をじっと見つめていた。
やがて、ほんの少しだけ、その形をやわらかく緩ませたのだった。
その場にいた誰もが、サンドウィッチに夢中で、それに気が付くことはなかった。

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