予定調和のマヨルカイエロー(前)


危機はある日突然に訪れる。その形は様々だ。
爆風に身を晒されることもあれば、ナイフを持った殺し屋に遭遇してしまう、なんてことも。
二股をかけていたら女同士が鉢合わせてしまう、なんてこともあるかもしれない。

そして。
ボンゴレファミリーの晴れの守護者である笹川了平もまた今、危機に瀕していた。

ここは銀行。ATM前。
笹川了平は通帳を手に、戦慄いた。なにせ、彼の通帳残高は0である。

「な、な、何故だ!!!!」

自分名義の通帳を何度見ても、何回記帳しても、その額は0のままである。
言っては何だが、ボンゴレファミリーとて巨大マフィアである。幹部である笹川了平は勿論毎月そこそこ良い給与を貰っていた。給与も貰いすぎてしまうと、マフィアに属しているなど知らない家族に怪しまれるため、平均年収にプラス2割ほどかさましした額を頂戴している。もちろん、支払いを渋られたことなどは一度も無い。

だが、0。
何回見ても、0。
どうさかさにみたって、0は0。

日々戦いに身を置いている彼だが、先立つものが無ければ戦うことだってできない。先立つもの、それは金である。あの春に並盛から旅立ち、月日は過ぎた。いまや笹川とて立派な大人だ。金の大事さは嫌という程学んでしまった。だからこそわかる。0はよくない。0では、食うにも困る状況だ。完全に打ちのめされた彼は、うつろな眼差しで通帳の履歴を眺めながら、今晩は沢田にでも奢ってもらおうか、などと考えていた。

そして彼は通帳の、直近の引き落とし箇所で視線を止め、目を剥いた。

「な!」

たった数日前。
彼の預金は全額引き落とされていた。引き落とし先は、ボンゴレファミリー。つまり、所属する会社に金をすべて抜かれたということだ。どういうことだ!と笹川了平は血相を変えて本部に戻った。その足はボンゴレの金の流れを一手に担う、経理部の下へ。そこには彼の知り合いが所属しているのだが、おそらくこの引き落としは彼女の仕業であった。

「極限に、どういうことだァ柊!!!!」

バァン!と経理部の扉を派手に開けて入れば、経理部の職員たちはいかにも「ほら言わんこっちゃない」という顔をして笹川を見上げた。笹川はそんな視線などものともせず、ずかずかと経理部のシマに入り込んで、彼らのトップに立つ彼女の前に立ちはだかった。

「これはどういうことか説明してもらうぞ」

笹川は通帳を開き、彼女のデスクに叩きつける。
鼻息荒い笹川に対する彼女は、いかにも冷静に、何も臆することなくこう言った。

「どういうこともなにも、貴方の不始末はご自身につけてもらうまで」

ブラウスは第1ボタンまでぴっちりと閉められ、ピシッとしたダークグレーのスーツ。隙のない服装に身を包んだ彼女は、笹川了平を睨み上げた。目の下にはくっきりと、隈が出来ていて、ただでさえ鋭い視線に迫力が増している。

「不始末だあ!?」
「先日の抗争の際、不必要に高層ビルをぶち抜きましたね?」
「…あ?」

危機というものはある日突然に訪れる、ように見える。

だが、実際は危機の火種というものは誰しもが持っている。

うっかりそれに火をつけてしまうかどうか、それくらいの違いである。






対峙した敵は、たいして強くはない。それが第1印象だった。
沢田から緊急で対処してほしいと言われ現地に赴いた先は金融街の一角だった。このエリアには歴史的建造物が多く、古くからの建造物が残っている。観光地でもあるため通行人が多いのが難点で、一般市民を巻き込むことを是としないボンゴレに属するものとしては非常にやりづらい場所であった。

「…おとなしくしてもらうぞ」
「ヒィ、ヒィイ!!」

ひょろひょろの痩せ男は持っていたトランクを放り投げてその場を逃げ去ろうとした。がたん!とトランクは音を立てて路面に落ち、はずみでロックが解除され、中から袋に入った粉末が飛び出した。

「沢田からの情報通りだな」

“人を変質させる”違法薬物をばら撒こうとしているという情報を得た沢田は、慌ててその日非番だった笹川に連絡を寄越したのだ。中身ごとトランクを回収した笹川は、路地を逃げて行く男の背に照準を合わせ、大地を蹴った。この日、たまたま近隣でトレーニング中だった笹川は、これまたたまたまスニーカーを履いていた。たったったっと軽快に足を運び、男を追いかける。

古い町並みは狭い路地が多い。男はどたんばたんと色んなものにぶつかりながら慌てて逃げて行くが、それ故に無駄な動きも多かった。ただただ追いかけるだけの笹川と、ぶつかりながら視線をさ迷わせ逃げる男とでは、じりじりとその差は詰まっていく一方だ。

(この先は、確か)

以前任務で使用した、現在は使われていない大きなビルがあった筈だ。
そのことを思い出した笹川は、男を追いかけながら周到にそのビルへ追い込んでいく。これならば、民間人を犠牲にすることもなく男をつかまえられそうだ、そう思った時である。ビルに向かう直前で、路地裏に幼子が飛び出してきたのだ。

「なっ!!」

男はこれ幸いにと幼子を抱えた。人質にするつもりなのは見え見えである。
そうして目の前にある手近なビルに一目散に駆け込もうと男は走り出した。ポカンとしていた子供はやがてわんわんと泣き出すが、決して離してなど貰えない。男は扉が外れてそのままになっていた遺構に足を踏み入れ、

「その子どもを、離してもらおうか」

ひゅ、と空気を切り裂く音がする。
腹の底から出た低い低い声か、それとも音が先だったか。男の頬を、拳が掠めた。
拳には触れていないはずなのに、頬はぱっくりと割れ、血が流れる。それは拳圧によって空気が男の皮膚を切り裂いただけのことだが、男はそんなこと知る由もない。何故なら、それどころではなかった。

拳は彼の背後のコンクリート建造物にめり込み、ぴきぴきと音を立て亀裂が走り……あっというまに彼の背後の建物は音を立てて崩壊したからである。





「しょうがないだろう、緊急事態だったんだ…」
「だからといって建物をむやみに壊して良い理由にはなりません」

その建物は大して古くもなかったため、修繕して商業ビルとして再度利用する予定だったという。この度ボンゴレは笹川が破壊した瓦礫の撤去費用ならびにビルの新築費用、なんなら建物が崩壊した際に吹っ飛んだ瓦礫が及ぼした周囲への賠償等すべてを支払うことになった。

「あの子供がどうなっていたかもわからん」
「笹川君が本気出してさっさと捕まえていればお子さんだって巻き込まれずに済みました」
「ぐぬぅ…」

追いかけていた男は無事捕縛できたし、子どもも怪我はなかった。
だが、彼女の言う通りであった。

中学時代からの知り合いである彼女は、名を美冬という。
このボンゴレファミリー内において獄寺が沢田の“右腕”ならば、彼女は沢田の“奥の手”を自称する。その名のとおり、彼女はボンゴレの財務を一手に引き受けているのだ。彼女は昔から時折理屈っぽいところがあるものの、笹川にとっては最も信頼できる同級生であった。

ただの一般人ではないだろうと薄々思ってはいたが、彼女もまたボンゴレ関係者だったということを知ったのは、イタリアで再会してからである。

当時、並盛にいた彼女には柊という潜入用の姓が与えられていた。それは彼女の偽名であったが、笹川は未だにその名前で彼女を呼んでいる。昔はそこそこ愛想があってどこか放っておけない少女だったのに、今や鉄仮面でも被っているかのような、眉一つ動かさない隙のない女性になってしまった。彼女にいったい何があったのか、とは思いつつ、鉄壁のガードに未だに踏み込めてはいないのが現状だ。



「笹川君には先月の月給に加えて、今回敵をつかまえた報酬はきちんと拠出しています。その上で差し引いて0になったんです。マイナスにならなかっただけ有難く思っていただきたいですね…。」

トントン、と通帳の欄を指で叩かれる。確かに、給与とは別に報酬が入金された形跡はあるが、それもそっくりそのまま最後に引き落としされてしまっていた。

「組織はきちんとあなたの働きを評価したことは間違いありません。でも、あなたが要らぬ破壊活動を行ったのもまた事実。」
「…」
「……まあ、来月には元通りのお給料出ますから、今月は山本君とか獄寺君あたりにお金借りて、何とか生き延びてください。あと、私の名は柊ではありません。もうそれで呼ばないでください。」

素っ気無い言い方をした彼女は、話は終わりだとばかりにデスクトップパソコンに視線を移した。やがて、彼女の視線は左から右へとモニターの文字を追い始める。カタカタカタと高速タイピングが始まって、話は終わりであることを示していた。

ぐうの音も出なかった笹川了平は、膝をつき、たいそう打ちのめされた。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -