絹の檻


時刻は15時。ティータイム。


「美冬、お誕生日おめでとう!」
「あ、ありがとうございます」


それはそれは小さなパーティーである。
彼女の16の誕生日を祝おうと集まったのは、CEDEFの中枢メンバーと、彼女と面識があるキャバッローネファミリーのごく一部である。CEDEFの本部が入るビルの一角に設けられた中庭で、日の光を燦燦と浴びながら、各々は菓子と紅茶を嗜んでいた。それぞれが忙しいこと、大々的に祝われることを美冬が嫌がったことなど、諸事情が重なってごく簡単なティーパーティーとして開催された。
昼下がりのティーパーティーということで、ドレスコードがあるわけでもなく、各々がいつも通りの格好で参加をしていた。


「これ、作ってみたの。食べてみて!」
「えっ!すごいですね!」

オレガノ作のアップルパイは、ふんわりとリンゴの甘い香りが漂う逸品だ。つやつやときらめくパイに美冬は目を丸くする。アップルパイといえば、まぁまぁ手間のかかる一品である。オレガノはつい先日までとある護衛任務に就いていたはずだ。そんな彼女が忙しい合間を縫って作った甲斐あって、口に入れれば、さくりという音と共にバターの芳醇な旨味が広がった。

「おいしいです!」
「あ、アップルパイ!拙者も食べたいです!」
「…お前の誕生日じゃないんだぞ解ってるのか」

美冬の感嘆符を聞きつけた食欲の権化こと、バジルが乱入してきた。
彼の傍に居たラル・ミルチは白い目で窘めるも、バジルは「わかってますよ」と言いながら、涎を垂らす。見兼ねたオレガノがパイを取り分けてバジルに手渡せば、バジルは「美味しいです」とにこにこしながらさくさくとパイを頬張る始末だ。

「あんたね…ちょっとは遠慮ってものを知りなさい」
「すみません、任務終わりで何も食べてなくて…」

そんなバジルとオレガノをよそに、ラル・ミルチは美冬に近づくと、「使え」とペンを差し出した。紺色の地の、至って普通のペンに見える、が。

「スタンガンを内蔵してある。いざという時に使え。」
「……」
「なんだその反応は。万が一に備えて準備を怠るなとあれほど言っただろう」
「そりゃそうですが…」
「いいから持っておけ」
「あ、ありがとうございます」

ラルは美冬の胸ポケットにペンをさして満足すると、悠々と手にしていたティーカップを傾ける。すると今度は、ドガガガガ、と地響きが始まった。

「な、なんだ?!」「敵襲か?!」

ラルを始め、戦闘員達は慌てて構えをとる。どどどど、というキャタピラらしき駆動音はどんどん中庭へと近づき、やがて彼らの視界には煙を巻き上げながらこちらに向かってくる小型の重機の姿が映った。アームの先には何やら白くて大きな石のようなものが巻き付けられていた。

「「「!!!???」」」
「お嬢、これはうちのファミリーからだぜ!」

重機を操っていたのはヘルメットを被ったロマーリオだった。がこんがこん!!という派手な音と共に、重機は中庭の真ん中に乗り上げる。やがて、器用に操作されたアームが大きく振りかぶると、ドォン!という音と共に白くて大きな何かが中庭に設置された。

「ここの中庭にぴったりだろ!?」

それは白の大理石でできた、巨大な馬の彫刻だった。馬はディーノに似て精悍で優美な顔立ちをしており、それだけ見れば立派な彫刻だが、台座には堂々とキャバッローネの紋が刻印されている。中庭に差し込む燦燦とした光を受けて輝く馬は、圧倒的な存在感を放っていた。

ここまで唖然としていたオレガノだが、重機に駆け寄ると「人のファミリーの敷地で何やってるんですか!」と怒り出した。当然である。ラル・ミルチもまた興味深げに彫刻に近寄り、その馬の顔を見上げていた。

「おいおい、ウチのボスが特注で作ったんだぜ!?そりゃねーよ」
「いやいや、人の会社に重機で乗り込んでくるファミリーがどこにいます!?破損した建物の修理代はきっちり請求させてもらうわよ」
「生意気な顔をした馬だな。首をへし折ってやりたくなるな」
「こんなところでSっ気出すのやめてくんない!?」







主役そっちのけでぎゃあぎゃあと罵りあう年長組に、美冬が苦笑いを浮かべていると、バジルがそうっと横に立った。

「…あの、すみません、拙者今日は持ち合わせがなくて」
「いえいえ。むしろ、中期任務だった筈では?よく戻ってこれましたね。大変だったのでは。」
「ええと、まぁ、はい」

一昨日より、バジルは領地内で発生した紛争の鎮圧に向かっていた。鎮圧までには2週間ほどかかる見込みだったにもかかわらず、彼は現地に赴くなり、たった3日弱でスピード解決を果たし、先程本部に舞い戻ったのだ。
それもこれも、美冬の誕生日だからである。

「これが限界でした」

そう言って、バジルは隠し持っていた小さな花束を差し出した。
ふわふわと黄色い花が咲くその花の名前は、ミモザ。

「え」
「すみません、変わり映えがしなくて…。パッと目に入ったのがこれだったので、つい。拙者にもう少し、花の知識があれば良かったんですが…。」

CEDEFでは、福利厚生の一環でミモザの日に女性職員へミモザが配られるようになって久しい。毎年、女性職員全員に向けて花を買うのも配るのもバジルの役目である。長年の経験上、ミモザを見かけると、反射的に目がミモザを追ってしまうようになっていた。

今日もCEDEFに戻る途中、せめて花でもと思い、慌てて花屋に立ち寄ったバジルの目についたのは、ミモザ。反射的に購入してしまった後、はたとバジルは後悔した。これでは、いつもと変わり映えがしない、と。


「…ありがと。嬉しい。」
「…、いえ」


美冬は小さく笑った。
こっくりとした橙色の瞳が、きゅう、と細められるのを間近で見たバジルは、その瞳に釘付けになる。澄んだ、どこまでも見透かされるような橙色が、こうして温もりを灯す瞬間が、大好きだった。

(……よかった)

美冬への気持ちに気が付いて、かれこれ数年が経過した。
決して己の気持ちを伝えてはいけないという沢田家光との約束通り、美冬との仲は相変わらず”幼馴染で同僚”止まりである。だが、それでよかった。この数年で己の運命を理解した美冬は、“自分に好意を寄せる者”を疑ってかかるようになっていた。

自分は想いを彼女に伝えていないが故に、こうして彼女は微笑んでくれるのだ。
彼女に見透かされることが無いよう、ほんのりと恋心を温めたバジルが彼女に笑い返せば、今度は照れたように、美冬が笑った。

すると。


「あれ?バジルなんでここにいるわけ?…つーか何だありゃ、彫刻?」


がやがやとざわつく中庭に遅れて現れたのは、CEDEFの代表・沢田家光だった。
いつものようなだらしのない恰好ではなく、ネクタイをビシッと決めた黒スーツ姿で現れたため、急に現場の空気が引き締まる。

「ご報告を後回しにしてしまいすみません。先にこちらに顔を出してしまいました。」
「………あー」

疑問符を浮かべた沢田家光は一瞬首を傾げるも、悟ったかのように薄ら笑いを浮かべた。

「そっか、今日美冬ちゃんの誕生日だもんな。そりゃお前も全力で仕事終わらせるよな。」

沢田家光は、バジルの気持ちをよくよく知っていた。
呆れたように笑い、ぱんぱんとバジルの肩を叩く。



「お前の能力を過小評価してたな。いや、悪い。」



そう言って、バジルの横を通り過ぎると、家光は依然言い合いを続けていたオレガノとロマーリオの間に立った。オレガノは家光の姿を発見するなり彫刻を指さしてこう言った。

「親方様からも言ってやってください!CEDEFの中庭にキャバッローネの象徴である馬の彫刻だなんて不謹慎にもほどがあります!」
「いやいや、こりゃ現代の名工による珠玉の逸品だぞ!?持ってるだけで資産になるぜ?!」

負けじとロマーリオも応戦し、勢い衰えることなくCEDEFとキャバッローネの秘書2名は言い合いを続けた。双方の言い分を聞いたうえで、結局家光はキャバッローネからのプレゼントをCEDEFが受け取る意を表し、オレガノを憤慨させた。(なお、そこに贈られたはずの美冬の合意はない)



「…つーか、お前らいつまでティータイムやってる気だ、さっさと業務に戻れよ。」
「それ親方様が言います!?」「業務中まで酒を飲んでる奴が言うことか」


沢田家光の言葉に、オレガノとラル・ミルチが白い目で言うが、実際、時刻はあっという間に16時を過ぎていた。オレガノは慌てて茶器やケーキを片付け、ラルを含めた他の構成員たちもそれぞれ元の持ち場に戻っていく。

バジルが「では拙者は親方様にご報告を」と家光の部屋に足を運ぼうとした、その時だった。美冬が、中庭の奥に向い、ごそごそと何かを取り出していることに気が付いたバジルは、彼女の行動を目で追った。キャリーケースを取り出した彼女は、彼女のデスクがある職場とは逆方向の、CEDEFの正面玄関に向かって歩き始めた。


「……美冬?」


不審に思ったバジルが、美冬を追いかけようとした時だった。

「行くぞ、バジル」「え、でも、親方様」

美冬を外に出してはいけない。人目に触れさせてはいけない。日のもとに置けば、必ず災いが起こる。だからこそ、並盛から帰還した“あの日”から、彼女はCEDEFの外へ一歩も出たことがなかったというのに。

「美冬は今日から一週間、有休休暇をとる」
「…ご、護衛は!?一人でどこかに行かせるおつもりですか!?」
「護衛なら心配ない。」

さあ、と顔を青褪めさせたバジルを宥め、沢田家光はほら見ろ、と顎で正面玄関を見るよう促した。困惑するバジルが視線を向けた、その先には。




「お待たせしました」「いーや。全然。」


黒のスーツを優雅に着こなし、美しい金糸を靡かせながら微笑む、王子然とした立ち居振る舞い。キャバッローネファミリーのボス・ディーノが美冬を待ち構えていた。
先程オレガノと言い合いをしていた時とは打って変わり、神妙な面持ちのロマーリオが、美冬からキャリーケースを受け取り、車に積み込んでいく。

少し緊張した面持ちの美冬に、ディーノはそっと顔を近づけて何事かを囁けば、美冬の顔がぼ、と赤くなる。



「…っ」

バジルは思わず唇を噛んだ。ずきり、と明確に胸の奥が軋んで、視界が歪む。

やがて、ディーノはそうっと美冬の腰に腕を回す。
美冬はどうしていいかわからないようでしばらくあたふたしていたが、ディーノに促され、二人は正面玄関を出て、エントランスにつけてあった黒塗りの車に乗った。

ロマーリオの運転で、美冬とディーノは、CEDEFから出て行った。








「あんなに小さかった美冬も16になったんだよなぁ」

感慨深げに、沢田家光は呟いた。

「美冬も立派なレディになった。この先、どこで、誰に襲われるか分からない。いつ、望まない結婚をしなきゃいけないかわからない。それだったら俺は、少しでも幸せな形で女を散らして欲しいと思う」
「…まさか」
「お前の想像したパターンの中で、一番最悪の選択肢が正解だろうな」


美冬。
彼女がもつ能力は危険だった。
その存在が知られてしまえば、彼女を手に入れようとする人間が溢れかえることは目に見えていた。今はまだ、CEDEFの保護下にいる為、悪辣な手段をとる者はいないが、それも時間の問題だった。まもなく、彼女が人目に晒される日はやってくる。

その時、彼女欲しさゆえに、何が起ころうともおかしくはないのだ。
いつの世も、星はそうして砕けてしまう。沢田家光もまた、星が消えるのを、見届けてきた一人だ。

望まない姦通をするくらいならば、最初だけは、気の置けない兄貴分に甘く優しく花を散らしてもらったほうが、幾分かマシかもしれない。


「……美冬は、それでいいと?」
「ああ。承諾済みだ。」
「キャバッローネは?」
「先方にはウチのシマの一部とカネ、あとは向こうが欲しい情報を積んでおいた。ディーノは美冬を“抱かなきゃいけない”んだよ」
「……そう、ですか」


バジルの見立てでは、ディーノもまた、美冬に想いを寄せる人間だ。想いを寄せる者には冷淡な顔を見せる美冬だが、幼い頃から構い倒されてきたが故に、彼には相当の信頼を寄せているのを、バジルは知っていた。

そんなディーノに金と領土と情報を与えたうえで、美冬を”抱かせる”なんて。


「…地獄、ですね」
「ま、さしずめ俺が閻魔様ってところか?」


バジルはここでようやっと気が付いた。
2週間近くかかるはずの任務を、何故このタイミングで言い渡されたのか。
何故沢田家光は己のことを「過小評価してた」と宣ったのか。

全ては、彼女の痛みを和らげようとする、沢田家光の仕業だった。


「……そうですね」


仕事として彼女を抱くディーノも。
運命故、この現実を受け入れざるを得ない美冬も。
そして、彼女に想いを告げることが出来ず、唇を噛むことしか出来ない自分も。

皆が皆、甘くて優しい、絹のような地獄に囚われている。











「…ミモザの日じゃないのにもらったのか?」
「そうなんです」
「ふぅん」

車中で、美冬は花束の香りをかぐように、すん、と鼻を鳴らした。ディーノはそんな美冬の様子を見て、ぼそりと呟く。


「あいつ…すげーヤツ」
「…ええ、ほんとうに。」


美冬は、苦い笑みを浮かべて、再び手元の花束に視線を落とした。ふわふわとした黄色の花は、誰の心をうつすでもなく、車中で明るく咲き誇っていた。


ミモザの花言葉は、秘密の恋。


その言葉の意味を、ディーノも、美冬も、知っている。






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