stella-γ


「ま、まさか何かあったのですか!?無事ですか!?」

それは突然の連絡だった。
まさか、美冬に何かが起こったのかと、バジルは端末に向かって声を荒げるも、電話の先の主は至って普通のようすで『あ、いえ、用という程では…』と漏らすだけ。

「え?では一体…?」

これまでのことを思えば、美冬は不必要な連絡をするタイプではない。ましてこれは緊急回線である。きっとなにか、重要な用事があるのだろうと思い、バジルは彼女に問えば、なんともはっきりしない返事が返ってきた。

『……いや、その』
「…?」

以前までの彼女であれば、要件を先に言って、済めばあっさりと通信を切る、そんな感じだったのに。まるで年頃の女子のように、なにかもごもごと電話口で濁している。一体どうしたのだ、とバジルが眉をひそめた時だった。


『バジル、今日誕生日ですよね?』
「えっ?」
『…去年は、何もしなかったし。今年は一応おめでとうだけでも、と。』
「………えっ???」


美冬が?

おめでとうを?

自分に?


一体どんな風の吹き回しだ。
それは彼女にとってそんなに重要な用事ではない。
真っ白になった頭では何も考えられず、彼はひたすらにその場で立ち尽くした。すると、空白からこちらの困惑を読み取ったであろう彼女が、ペラペラと喋り始めた。

『いや、だから、その…先日オレガノと連絡をしたときに、今日がバジルの誕生日だと言われまして、で、そのあなたがずっと潜入捜査をしているとも聞いた次第で、出来れば連絡を取ってやってくれ、と。』

身内からの仕込みか!
家光の秘書であるオレガノは、バジルの想いを知っている数少ない(と彼は思っている)一人である。彼女は良かれと思って美冬にそう言ったのだろう。そりゃそうだ、バジルはかれこれ1年と4カ月、彼女と離れて暮らしているのだ。久々に聞く想い人の声は、どこか甘い。どきり、と胸が高鳴ったバジルは、自然と顔に熱が集まってくるのを感じ始めていた。


『バ、バジル?今マズい時でしたか?』
「あ、いえ…大丈夫です。ちょっと拍子抜けしただけで」
『意味が解りませんが、まあ、その、お誕生日おめでとうございます』
「…ありがとうございます」


そりゃあ意味など解らないだろう。むしろ解らなくて良い。己の想いは、自分の中にしまっておくと決めたのだ。
……だが。想い人からのメッセージは、バジルのこころをふわふわと浮き足だたせた。自然にゆるゆると口角が上がり、顔がふにゃふにゃになっていく。頬が、夏の直射日光に炙られたように、熱い。かみしめるように礼を言えば、あまりの念のこもり具合に美冬からは『具合でも悪いんですか?』と言われる始末であった。


「具合はなんともないんですが…あ、今はCEDEF傘下の小さな新聞社に勤めてます。規模が小さいので毎日ドタバタしていますよ」
『バジルが?新聞社?』


訝しがられたため慌てて話題を逸らせば、美冬は思いのほか食いついた。そりゃそうだ、基本的に彼は戦闘員である。これまで、机にかじりつくような仕事はまともにこなしたことがないのは周知の事実であった。


「そうです。本部で使い物にならないから修行のために叩き出された事務員…という設定です」
『どんな設定ですか』
「今日も朝一番で記事を写植してましたが、でもうっかりスペルミスで差し戻されて怒られてしまいました…。」
『まあ新聞社としては絶対に間違ってはいけないところですね』
「そうなんです。仕事って難しいですね。はは…」


火照った頬を冷やすため、編集室の窓を開ける。
すう、という音とともに、磯の香りと夜風が入り込んできた。

この小さな新聞社は、海に面して建てられている。
バジルの目の前には、砂浜と、すぐそこに、海が広がった。昼間は夏の太陽を受けてさんさんと煌く明るい海だが、今は夜闇の色を湛えて揺らめいていた。沸き立つ心に落ち着け、とでも言うべく、海は凪いで、波の音も穏やかである。


『そりゃそうですよ。潜入で気の緩みなんて言語道断です』
「先輩潜入捜査員が言うと、含みが違いますね」
『それもそうですね。私の方がバジルの先輩、ですね』


一呼吸置いた美冬は、そちらは、どんな町ですか、と徐に訪ねてきた。

海と山に囲まれた、あたたかく小さな港町であること。
海産物が豊富で、町に一軒だけあるレストランのアクアパッツァが絶品であること。
新聞社は海辺にあって、毎晩波の音を聞きながら眠ること。
この辺りに街灯はそう多くないので、夜は満天の星空が綺麗なこと。

アクアパッツァの味や、先日大漁だった漁師の笑顔、そんなことをひとつひとつ噛みしめながら美冬に教えると、電話先の美冬が『楽しそうでなによりですね』と笑う。


「……喋りすぎてしまいましたね、すみません。」
『いえ。ちょっとわかります』
「え?」
『……私もーーーーーー』




その時、異変が起こった。

目の前の海に、にょきり、と飛び出すように影が映えたのだ。その数は1,2,3…全部で5つ。凪の海の中で、その動きはやけに目立って見え、それらはだんだんとこちらに近づいてくることから、意思を持った動きであることが察せられた。

「?!」

端末の向こうでは、美冬が何かを喋っているが、全く耳には入らない。それらはこちらに近づいてきて……やがて人の形となり、いよいよ砂の上に上陸を果たした。

「…っ」

慌てて端末の回線を切り、バジルはそのまま端末の3つのコードボタンを押して送信する。コード名は3・3・2。それは「敵方との遭遇」を意味していた。

のそり、のそりと海から這い上がってきたのは、黒のウェットスーツに酸素ボンベ、シュノーケルマスクを被った、男達であった。ウェットスーツ越しにも判るしなやかな筋肉に、バジルは見覚えがある。それは、彼らの同業者に多くみられる体つきである。彼等が闇に紛れる為の黒を身につける意味、それは。

「……殺させるわけにはいかない」

狙いはCEDEFの情報屋である、社長の命であることは間違いない。この時間帯、ここで寝泊まりをするのは社長と新入社員の1名のみであるということも下調べ済みのようで、男たちは迷わず海からこちらに向かって一直線に向かってきた。

バジルはロッカーに隠し持っていたメタルエッジを取り出すと、窓の桟に足をかけてそのままひとっとびに跳躍した。編集室は2階だったが、難なく着地をしたバジルは、男たちの前に立ち塞がる。


海は凪いでいた。

波の音さえも聞こえない。

バジルは、凛とした声で男たちに告げた。


「聞きたいことがある」


固さを含む言葉に、男たちはどこからか折り畳み式の大型ナイフを取り出した。しゅるり、と音を立てて剥き出しになった刃には、明確な殺意が見て取れる。バジルは取り出された得物を一瞥し、眉をひそめた。


「そんなもので、拙者が倒せると思うなよ」


地を這うような声が、腹の底から沸き上がった。







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