レディグレイはきみのため(後)


「こちらへどうぞ」

CEDEF本部へ意気揚々とやってきたディーノ(とロマーリオ)を出迎えたのはオレガノだった。彼女に通されるのは、いつもと同じくCEDEFの代表執務室。そこには既に家光と美冬が待ち構えていた。



本日の目的は、キャバッローネがCEDEFに依頼した”あるもの”の回収である。
キャバッローネにとっては少々手を出しづらい”それ”を、CEDEFに取ってきてもらうという依頼である。執務室の中央にはいつもの円卓。そしてそこに座っている家光は「よう」と気楽に片手を上げて彼らを出迎え、傍らに座る美冬はぺこりとお辞儀をした。


「例のモン、どうだ?」
「ばっちりだ」


円卓を取り囲むように、家光、美冬、ディーノ、ロマーリオが顔を合わせる。
ディーノの問いを皮切りに、家光は懐から金色の鍵を取り出した。
それは鈍く光る真鍮で出来ており、ぽいっとディーノに投げ渡せば、きらりと日の光を浴びて煌いた。受け取ったディーノはしげしげとそれを見つめて、ロマーリオに手渡すと、彼はその鍵を持参した鞄に丁重に仕舞い込む。


「確かに受け取ったぜ。いつも悪いな」
「なあに、お互い様さ」


そうしてディーノは、自身の懐から銀色の鍵を取り出し、家光に投げ渡す。
受け取った家光もまた、その鍵を自分の目でしっかり確かめて、傍らの美冬に手渡した。


「経理部の金庫に閉まっておいてくれ」
「わかりました」

美冬はこくりと頷き、肩から掛けていたポシェットに大事そうにそれを仕舞った。


CEDEFからキャバッローネへ、金の鍵を。
キャバッローネからCEDEFへ、銀の鍵を。

両者のやり取りは昔から同じ手法で行われてきた。
そして、鍵の受け渡しは取引の終了を意味する。



つまり、仕事の話はこれでお終い。




「……よし」




すると、ディーノは脇に抱えていた大きな箱をどん!と円卓の上に置いた。


「じゃあこれからはおやつの時間だぜ!」


にぱあ、と笑うディーノに、家光は「出たな」と苦笑いし、ロマーリオは「後が詰まってるから今日は30分だけだぞー」と白々しく釘をさした。
今日はディーノの誕生日である。この後の予定も詰まっているため、いつもの様にだらだらと交流を深めるわけにはいかないのだ。
すると、ロマーリオの言葉にびくり!と美冬が大袈裟に反応した。



「え、美冬、どうした?」
「…っ」



不審に思ったディーノが彼女に声をかけるが、彼女は返事をすることもなくぴょん!と席を飛び降りた。スカートとポシェットが揺れ、ひらりと舞うスカートにディーノが見とれていると、彼女は何も言わずに扉を開けて出て行ってしまう。


円卓に残された男三人の間には、なんとも言えない沈黙が舞い降りる。


これまで、ディーノからのプレゼント攻撃を嫌な顔をしつつも受け取っていた美冬が、いよいよ無断退席をはかった。どんなに鬱陶しいとはいえ、さすがに相手は同盟ファミリーのボスである。それがどんな非礼を意味するのかくらい、彼女も知っているはずだったのだが。


「あ〜…悪いな」
「いや、いんだ…」


部下の非礼は上司が詫びる。家光は苦笑いをしてディーノに両手を合わせた。
一方、円卓の真ん中にエクレアの入った箱を置いたディーノは、家光に返答はするものの、しおしおと席に座り直した。今日こそは仲を深められるかと思ったのに、あろうことか逃げ出されてしまった。


「鬱陶しかったんだろうよ、ボスがあまりにもしつこいから」
「お前慰める気ねえだろ…」


全くフォローする気のないロマーリオの言葉に、ディーノが涙をおして反論の声を上げる。家光はどうしたものかと考えあぐねていると、視界の端に扉の傍で控えていたオレガノがくすりと笑うのが目に入った。


(…?)


家光が首を捻ると、ばあん!と音を立てて執務室の扉が開かれる。
オレガノは「あら、早かったわね」と笑いながら扉の奥に声をかけた。男三人がその音につられて振り向けば、そこにはテーブルワゴンと、ぜえはあと息を荒げながらワゴンを押す美冬の姿があった。


がたがたと音を立てて、ワゴンは室内を進んだ。
そのワゴンを押す美冬の顔は、心なしか赤いし、息も整っていない。どうやら走ってワゴンを押してきたようで、彼女にしては珍しく余裕のない表情を見せていた。


ワゴンの上には、ティーセット一式が載っていた。
ポットには既にティーコージーが被せられており、その中には紅茶が入っていることが伺える。
目を点にして固まっているディーノを余所に、テーブルワゴンは猛スピードで円卓の前にやってくる。美冬はワゴンを押す手を止めると、手早くソーサーとカップを各席に配置していき、ディーノとロマーリオはただただ状況を見守ることしかできなかった。


「美冬ちゃん、それならそれで、もうちょっとなんか言ってくれよな」
「……時間なさそうだったんで」


オレガノの様子や状況から、色々と察した家光は口を尖らせて非難の声を上げるが、その時間すらも惜しいと言わんばかりに美冬は会話を強引に終了させてしまう。やがて、ポットからティーコージーを外した美冬は、ポットを手に持ち、ディーノの席へと歩み寄った。

ディーノは鬼気迫る表情でポットを持って近寄ってくる美冬を思わず凝視した。

すると、橙色の瞳と視線がかち合い、彼女の動きも一瞬止まる。



「淹れますね、紅茶」
「お、おう」



こぽぽぽ…
用意された白磁の器に、緋色が細く細く流れ込んでいく。カップの中ではまろやかな水流が生まれ、同時にふわりふわりと湯気が立ち上った。
そして、ディーノの鼻を掠めるのは、華やかな香り。

注がれていく紅茶に意識を奪われていると、小さな声が聴こえてきた。


「いつも、ありがとうございます」
「!」
「これくらいしかできないけれど、この紅茶はあなたのために」


驚いたディーノはまじまじと少女を見つめた。
カップに紅茶を注ぎ終わった彼女は、早々にその場を立ち去ろうとしていたが、彼女の髪の隙間から覗いた耳の端が赤く染まっているのをディーノは見逃さなかった。




「……かは…っ!!」




それは、雷に打たれたような衝撃と言っても過言ではなかった。頭の天辺から足のつま先まで、びりびりとした痺れがディーノを襲い、続いて心臓がどくどくと昂ってきた。(※なお、ディーノは雷に打たれたことはない)


(うわぁぁぁぁ…!!!)


まったく顔の筋肉は動かない。
むしろ身体もショックで動かない。
だが、まるでフラメンコでも踊っているのではないかという程にディーノの心臓は暴れ狂っていた。そのまま顔を覆ってのたうち回りたいが、受けた衝撃でそれさえもままならない。
美冬はロマーリオに紅茶を注いでいたため、ディーノの様子に気が付くことはなかった。だが、彼の様子を横で、前で、遠くで見ていた大人3名は悟った。


(あ、死んだ)
(死んだな…)
(死んだわね)


席に座り顔を赤くして固まったままのディーノは最早使い物にはならない。
そう判断したロマーリオは、「今日はエクレアを買ってきたんだぜ。最近フランス帰りの職人がウチのシマで店を始めたんだ。美味いぞ〜」と各人にエクレアを配っていく。

傍に控えていたオレガノもエクレアにつられたのか、「あら美味しそう」と椅子を持って円卓に近寄り、美冬と家光の間に強引に席をねじ込んだ。オレガノが入った分、隣同士の席だった美冬とディーノの距離も縮まった。

そうして配膳が終了し、ティータイムを始めよう、という時だった。


「……ん?ウチにこんな紅茶あったっけ?」


一足先に紅茶に口をつけていた家光がはて?と首を捻った。
元々、CEDEFで紅茶を淹れるのは彼女の仕事である。この部屋で彼女が好んで淹れるのはウバなどのセイロンティーばかり。だが、今家光の鼻をくすぐっているのは、アールグレイのような華やかなさと、柑橘の爽やかな香り。


「それは、その」


美冬は言い淀む。
その瞬間、一斉に彼女に視線が集まった。オレガノが入った分、ディーノから至近距離で見つめられる羽目になった美冬は、なんともばつがわるそうにこう告げる。


「レディグレイです…爽やかで、華やかだから、ディーノさんみたいだなっておもって」
「…っ」
「美冬、今日のためにわざわざ取り寄せたのよね」



恥ずかしいのだろう、言葉尻がすぼんでしまった美冬の援護射撃をするように、オレガノが補足を行った。通信販売ならば、外に出なくても買い物が出来る。「いい時代になったな〜」なんてロマーリオや家光がおっさん的な話題でからから笑っていた時だった。

美冬は、ディーノに向き直って、その橙色の瞳でまっすぐに彼を見上げて言った。




「お誕生日、おめでとうございます」

「………!」




ディーノはティーカップを握ったままぶるぶると小刻みに震えた。
ロマーリオはいち早く異変を察し「お、おい・・」と声をかけるも、時すでに遅し。
だぁん!とディーノはカップをソーサーに置いて叫んだ。





「かわいすぎんだろォ!!!」
「!?」





突然の咆哮に美冬はびくりと身体を震わせ、大人たちは呆気にとられた。
すると、ディーノは美冬の両脇を抱えてひょいっと身体を持ち上げると、席を立ってぐるぐるとその身体を回した。いわゆるたかいたか〜いの図である。


「あーもう最高かよ俺の妹分は!!」
「ひっ…!!」


急に体を持ち上げられてぐるぐると回転させられた美冬は、訳も分からず涙目になるより他なかった。一方ぱあああ…とまるで花でも舞っているのではないかというような幸せ顔を惜しげもなく披露したディーノは、満足するなり今度は自席に美冬を抱えたまま腰かけた。


「えっ、ディーノさん…」
「いいからいいから、兄ちゃんの膝の上に座れって!な!」


別に兄妹の契りを交わした記憶もないのに、勝手に兄妹にさせられている。
美冬はディーノの膝に座る羽目になり、逃げようものならその腹に回されたディーノの腕によって抱き留められてしまった。


「ほら、エクレア食え。嫌いじゃないだろ?」
「…っ」
「兄ちゃん、せっかくお前のために買ったのに、お前が食べてくれないと悲しいな〜」


ディーノはそう言って、甲斐甲斐しくエクレアを手に取り、美冬の口元に近づけた。
一方、どろっどろにとろけた甘い顔を、超至近距離で向けられる羽目になった美冬は、断ることも出来ずに恐る恐るその小さな口を開けてシュー生地に齧りついた。

すると、てっきり瓦解に成功したと勘違いしたディーノが、美冬の頭をぐりぐりと撫でた。


「よく出来たなぁ〜!偉いぞ美冬!」


そうして額にちゅう、と唇が降ってきた。





一体、何が起こっているのだろう。

美冬はディーノの豹変に恐怖し、目をかっ開いたままがたがたと彼の膝の上で震えることしかできなかった。

沢田家光は笑顔を浮かべてはいるものの、飲んでいたティーカップの取っ手をへし折ってしまう。ロマーリオは「落ち着けボス」と繰り返し、オレガノは、腹を抱えて静かに笑い転げていた。


この日ディーノは結局予定を30分おしてCEDEFに滞在した。彼等が去った後、美冬は灰と化し、一日バジルを心配させるのだった。












その後もなんだかんだあったけれど。


「いらっしゃいませ、ディーノさん。」
「おうっ。今日はいちごのショートケーキを買ってきたんだ。美冬好きだろ?」
「ありがとうございます。では後程、紅茶をお持ちしますね」
「頼むな、俺の可愛い妹分」
「妹分じゃありませんけど、了解です」



CEDEFにキャバッローネファミリーのボスが訪ねてくると、取引のあとには必ずお茶会が催される。

場所は代表執務室、その中央に坐する円卓にて。
茶菓子はディーノが、そして紅茶は美冬が用意する。

紅茶の銘柄は、「レディグレイ」。



それは、彼のためだけに淹れられる、特別な紅茶である。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -