▼ 00.足音×薬研藤四郎
「大将。解ってると思うが、」
「わかってるわ」
或る本丸。
主はまだうら若い女性だった。
ぴん、と背筋を伸ばして正座をする彼女の両手は、固く握りしめられている。
彼女の向かいには、神妙な面持ちで同じく正座をする近侍がいた。
近侍・薬研藤四郎は苦々しい表情を隠そうともせずに、主に忠告をしようと試みた。
だが、彼女は知っていた。
「……薬研。私はこの本丸の主ですよ。言われなくたって、わかるわ。」
「大将…かなわねぇな、ホント」
二人は見つめあった。ふ、と苦い笑みがどちらからともなく漏れる。
今日まで本丸を作り上げてきた主たる彼女は、危機がひたひたと近づいてきていたことを、肌で感じ取っていた。だが、これまで彼女はその危機に気づかないようにふるまってきてしまった。
目の前で起こる時間遡行軍との戦いを重要視する彼女は、足音もなく迫ってくる危機をついつい後回しにしてしまっていたのだ。
一方、ここ最近近侍を勤めるようになったばかりの薬研藤四郎。
彼は、間近に迫っていた危機に、今更ながら気が付いた。
むしろ、こんなギリギリになるまで、誰もこの危機に気が付かなかったのだろうか。
これまで長らく近侍を勤めてきた、初期刀の加州清光は、主のことが大好きだ。
彼は自分と主のことは事細かに記憶するものの、案外「ま、だいじょーぶじゃない?」と大雑把な部分も持ち合わせていた。
また、この危機に真っ先に気がついても良かったであろう弊本丸の厨組・歌仙兼定と燭台切光忠もまた、その危機に気が付くことはなかった。
一体何故か。
この本丸はそこそこ刀の数が多い。
或る程度細かな役割分担もされており、この本丸で誰が何をしているのか、全体像を把握できている者は然程多くなかった。
畑を管理する者、畑からその日使う分だけの野菜を持ってくる者、野菜を貰って調理する者。
それぞれが、別々だからこそ、この本丸の食物がものすごいスピードで減って行っていることに気が付くことが出来た者はこれまで現れなかった。
そしてこの度。
久々に近侍が、加州清光から薬研藤四郎に変わったのである。
初めて近侍を勤める薬研藤四郎は、まずは日々本丸を見回ることにした。
主の仕事の管理もそうだが、主に本丸の細かなことを伝えるのもまた、近侍の仕事だった。
そうして、彼は数日で気が付いた。
「……大根、減るの早くねぇか?」
「そういう季節だからじゃね?」
ま、次の大根はもう蒔いてあるぜー。2か月後をお楽しみにってな。
本丸の畑で大根を担当していた厚藤四郎は汗をタオルで拭いながらそう言った。
(いや、待て待て。このままだとあと10日と大根持たねぇだろ)
本来は半分をそのまま生食し、残りの半分を干して漬物にするために植えた大根である。
だが、出来上がった大根はあっという間に生食でそのほぼすべてを食い尽くされようとしていた。
歌仙兼定は相変わらずの美食家で、材料を贅沢に使って美味しいご飯を作ってくれていたし、燭台切光忠は「おかわり!」とキラキラした目で言われれば問答無用でお代わりを余所ってあげていた。
薬研藤四郎は確信した。
食糧危機が近い。
現在はまだ自転車操業状態だが、いつこれが借金(=食糧難)に傾くかわからない。
勿論、そのことは彼等刀の主たる審神者もまた、気が付いていた。
刀とはいえ、少年・青年の姿をした男士である。皆、食欲が、すごかった。
更に、審神者もまた優秀であったが故に、着実に刀を顕現させることに成功し、急激にその振数を増やしていた。
(あれ?これ…そのうち食べ物が無くなるんじゃない…?)
薄々は気が付いていた。
だが、日々やってくる戦いへの招集、さらに手入れ、遠征任務に追われてしまい、気が付けば食糧のことを考えるのは日の終わりごろ。
また明日考えよう。
明日加州清光に相談しよう、なんて思って床に就けば、朝になれば忘れてしまうの繰り返し。
そうして本日、薬研藤四郎にそのことを突っ込まれてしまった。
気が付いていない訳がない。
だってこの本丸の主は、私なのだから。
審神者は言った。
「薬研」
「おう」
「畑、拡大しましょうか」
「……ま、それしかねぇよなぁ」
審神者と薬研藤四郎は見つめて、やっぱり笑うしか出来なかった。
その目はとっても、遠いところを見ている。
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