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==DAY6==

まだ帰るべきではない。
…と、ディーノは一晩中ごね続けた。だが、彼の希望が叶うことはなかった。「やっぱりまだ手伝いが必要なんじゃないか?!」とディーノは美冬の後ろをくっついて回ったが、ロマーリオにも、そして美冬本人にもあっさりと一蹴されてしまい、いよいよ出立の時がやってきてしまった。

「本っっ当に大丈夫なのか?!」
「大丈夫です。」
「だが、まだ傷がこんなに…」
「大丈夫です。さっさとお帰りください。」
「俺の妹分は今日も冷たい…だが元気になった証拠だ…!」

出立一時間前になっても、この状態である。
美冬とて、この一週間ほど、ディーノとロマーリオ、そしてここにはいないがキャバッローネファミリーの面々には本当に迷惑をかけたし、世話になったと思っている。心の底から感謝をしているからこそ、彼等には日常に戻って欲しいという気持ちが強かった。ついつい口調が厳しくなるのは、致し方ないのだ。

「じゃあな、お嬢。無茶すんなよ。冷凍庫に作り置きがあるからしばらくはそれ食ってな」
「おお…何から何までお世話になりました…」

この数日、ロマーリオは家事全般を一人で担っていた。掃除や洗濯だけではなく、日々美味しいイタリアンを御馳走になった美冬は、彼に平身低頭感謝をし続けた。そして最後の最後に作り置きおかずである。事務や戦闘だけではなくママン業まで完璧なその姿に、美冬は改めて深々と頭を下げた。

「いいってことよ。じゃあ俺は車回してくるわ。ボスは暫くしてから来てくれ」
「わかった」

ロマーリオは軽く手を振って玄関を出て行き……その場にはディーノと美冬の二人だけが取り残される。

待ちの時間。
何とも言えない空気が漂い、二人の視線が、ふと交わる。
橙色の瞳がディーノを捉えた瞬間、彼の胸の奥は明確に、ズクン、と鼓動した。

「あー、あのさ、美冬。」
「はい、なんでしょう?」
「どんな小さなことでも、困ったときは頼ってくれよな。」

ディーノの琥珀色の視線は、美冬の頬に注がれた。それは、六道骸によって痛めつけられ、腫れ上がっていた場所だ。ディーノやロマーリオが懸命に世話した甲斐もあり、よく見なければわからない程度にまで傷は回復していた。

視線は次いで、腕、指へと、未だ彼女の身体に残る怪我の跡を這っていく。痛ましいものを見るというよりも、自分の方が痛い、といった表情のディーノに、美冬はついつい苦笑いを浮かべる。いちマフィアのボスとは思えない優しさの持ち主である。

「大丈夫、もう本当に、痛くないんです。今回も十分頼らせていただきました。」

それは本当のことだ。
まるで家族のように甚く心配し、時には注意されたり怒られた数日間は、美冬にとってはくすぐったい日々だった。…いったい沢田家光はどれだけ金を積んだのだろう、と頭の片隅を過ぎる瞬間もあったが。

「今回だけじゃない、」
「え?」
「この先も、ずっと。」

ディーノの指が、遠慮がちに美冬の髪を梳き上げる。柔らかな絹糸のような髪はひと房持ち上げられ、ディーノの口許に運ばれた。



「……だって俺、お前のにーちゃんなんだからさ」



薄い唇が音もなく美冬の髪に降り注いだ。
憂い、どこか潤んだ瞳の男性が、こちらを見つめながら自分の髪に口づける。
あまりにも強烈なその絵面に、美冬は息を呑んだ。

(ひい…!!!)

兄と呼ばれる人々はそんな思わせぶりなことしません!
……と心底思うが、そんなことを言えた空気ではない。目の前の男が纏う空気はあまりにも甘くて重く、言葉を口にするのも憚られる。困惑と圧倒によってだんまりを続けるしかない美冬を余所に、ディーノは甘い吐息を漏らす。
彼はいつだって美冬の話を聞かずに話を進めていくが、今日は何やら様子がおかしい。この数日間も、妙な瞬間は幾度かあったが―――………


ふと、美しいかんばせがゆっくりと傾きはじめた。
この角度には覚えがあった。
そうだ、いつもの、さよならのキスだ。
そっと瞼を閉じれば、ちゅ、と控えめな音と共に唇の感触が瞼に降り注ぐ、が。


(あつい…?)


髪に口づけられた時には気が付かなかった。
確たる熱が瞼を通して伝わってくる。
挨拶のキスはいつもしていたが、兄貴分の唇はいつもこんなに熱を孕んでいただろうか?熱は瞼から頬へ、耳へつたわり、身体がむずむずと熱を持ち始める。

美冬はたまらず、ディーノから身を離して彼を仰ぎ見た。

「あ、あああああの!!」
「ん?」
「ディーノさん、最近、なんか変です!!」

顔を真っ赤にした美冬が悲鳴じみた声をあげれば、ディーノの目が思わず点になった。

「変なもの食べましたか?それとも風邪でもひきましたか!?もしや仕事のしすぎでは!?」
「……くっ」
「わ、笑わないでください」

必死の形相でディーノに声をかけるも、彼はなにやらプルプルと震えながら笑いをこらえていた。いや、堪え切れておらず、笑みが漏れ出でてしまっている。美冬が心外だと眉間に皺を寄せると、ディーノは「ごめん」と言いながらまた笑った。

「あー、大丈夫だ、俺はいたって元気だよ」
「嘘では?」
「疑うな。俺のことよりお前は自分のことを心配しろ。しっかり怪我、治すんだぞ。」

ディーノはそう言うと、美冬の眉間に刻まれた皺を軽く小突いた。「痛いです」と美冬が唇を尖らせれば、彼はまた笑う。すると、ディーノの胸元で端末がぶるりと震えた。それは車の用意が出来たというロマーリオからの合図だった。

「あ、時間だな。じゃーな、美冬。」
「はい。お世話になりました。」
「今度はお前を攫いにくるぜ!…なーんてな」
「何の話ですか?」

バチン、とウインクを決めて謎のジョークを放り投げて行った絶世の美男子は、こうしていよいよ彼女の部屋を去って行った。






「……ううむ」

取り残された美冬は、最後に小突かれた眉間に触れながら、唸る。

あの空気は、いったい何だったのだろうか。

最後の最後こそ、いつも通りの空気に戻ったが、途中なんだか異様な空気に呑まれてしまった。頬はまだどことなく火照っていて、まるで熱でも出たときのようだ。

「はっ…まさか、あれが泣く子も黙るドン・キャバッローネの色気!?」

かねがね噂には聞いていた。
どんな幼子も泣き止み、どんな女性をも一目で魅了する美しきドン・キャバッローネ。美冬にとっては感情表現が豊かで、ただのはた迷惑な兄貴分であるが、世の女性はああいう彼の言動と空気に一喜一憂するのだろう。

「あんな色気を繰り出すなんて、なんてはた迷惑な…あれでは被害者が後を絶たないのも頷けますね。」

ドン・キャバッローネに恋する女は数知れず。そして、恋敗れる女も数知れず。
同僚のオレガノは、彼の身の回りはとても華やかな噂で持ち切りなのよ、と言っていた。今回は自分があの色気にあてられてしまった、ということらしい。


「兄貴分とやらが、あんな顔をするのは……良くないと思いますが。」


ねえ、そう思いませんか、父さん、母さん。
美冬は玄関の傍らにあった写真立てに、そう声をかけた。
写真の中の母は、いつもと同じ明るい笑みを浮かべていた。なんなら、「そうかしら」なんてのんびりした声が聴こえてきそうだ。だが一方で、父の顔はなんだか険しく見えた、気がする。
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