32-6

一方その頃、山本武と柊美冬は暗くなった夜道を二人揃って歩いていた。

「暗くなるの、早くなりましたね」
「練習の時間、どんどん短くなるんだよなあ」
「ああ、外部活の皆さんはそういう弊害もありますよね」
「俺はもっと練習したいんだけどなー」

大袈裟に肩を竦めた山本の手には風呂敷に包まれた重箱が、そして柊の手には紙袋があった。

「なんかすみません、ウチのオヤジが色々持たせちゃって…」
「いえ、とても助かります。」

先程、山本の退院を祝う宴はつつがなく終了したが、卓上には大量の料理が残っていた。
「こりゃいけねえ。晴れの日だからって作りすぎちまった!」と照れ臭そうに笑った山本剛は、いそいそと重箱や保存容器を持ってきては、どんどん残った料理を詰めていく。
最終的にそれらは全て、お持ち帰り用にと美冬に手渡されたのだった。

「こんなに頂いてしまって良かったんでしょうか…」
「いいんじゃねーかな。先輩がオヤジの料理べた褒めするから、オヤジもすっかり気ぃよくしてたし。」
「美味しいものを美味しいというのは当然ですから。」
「ハハッ。オヤジも職人冥利に尽きるぜ。」

そんなこんなで大量のお土産を貰い受けることになった彼女は、今度は山本を荷物持ちにして自宅に帰ることとなったのだ。

なんだかんだと宴が盛り上がったおかげで、今や夜空には月が浮かび、星が瞬き始めていた。そよ風も今は止み、りんりんと虫の声がそこここから聞こえてくる。二人は会話を重ねながら秋の夜道を進んで行く。

「ちらし寿司は本当に素晴らしかったですね。魚介が美味しいのは勿論のことですが、錦糸卵が“錦の糸”と称される所以がよく解りました。」
「アレ意外と作るの難しいんだよな〜。俺すぐ焦がしちまう」
「今度はおじさまが実際に作っているところを見てみたいものです…」
「どーぞどーぞ」

あの料理のあそこがいい、あれは職人の技の結晶である等々、二人は今日出たご馳走について感想と考察を延々と語り続けた。正月こそ彼女の勢いに圧倒された山本だが、自慢の父親の話とあっては語らない訳にはいかない。二人の話が尽きることはなかったが……山本はふと歩みを止めた。

「……あ、すみません、延々とお食事の話ばかりしてしまって」
「いや…あのさ、先輩」

柊はつい喋りすぎてしまった、と謝るが、山本はどこ吹く風で、視線を流す。
彼の視線の先にあるのは、小さな公園だった。

「ちょっと座っていいすか?そこにベンチあるし」
「はっ…す、すみません、病み上がりの方に荷物を持ってもらった挙句に気が回らなくて!!すぐ休みましょう!!」

特に荷物が重いとか、具合が悪いとか、そんなことは山本は言っていない。
だが勝手に自己解釈した柊は慌てて山本に休息を促した。


誰もいない公園は、人影こそなくとも、周囲からはりんりんと虫の声が響き、その存在を主張している。ベンチには左から、柊、紙袋、山本、重箱が並んでいる状態だ。


「再来週、野球部の地区大会があるんですよね」


山本武は、そう切り出した。

「へえ、そうなんですねえ」
「俺、ピッチャーでスタメン狙ってるんです」
「それは…随分なご予定ですね…」

山本は明るく笑い、柊は顔に「無理では?」の5文字を張り付けて隣にいる男の顔を見上げた。それは怪我をして入院し、本日退院したばかりの人間の持つ野望にしては大それていた。

ふと、柊の脳裏にはどこぞのボクシング野郎の顔が浮かぶ。
男子ってみんなこうなんだろうか。

「それでさ」

くるり、と山本武の顔が柊美冬に向けられた。

「俺がホームランを打つかどうか、賭けてみませんか」
「は」
「…どう?」

彼女の顔色を窺うように小首を傾げてはいるが、その実彼の瞳は夜闇にらんらんと輝いていた。これは、逃す気などさらさらない、捕食者の瞳である。

「……拒否権があるとは思えないんですが」
「さっすが先輩」
「……」

やりぃ、と山本は指を鳴らし、柊は頭を抱えた。

「もちろん、先輩が賭けに勝てば……う〜んそうだな、ウチの寿司食い放題でどうですか?」
「!!……い、いや、魅力的ではありますが、それは山本君が決めていいことなんですか」
「その時は親父に頼み込みます!」

男に二言なし、と言わんばかりに、山本は気合いを入れた顔でぐっと親指を立てる。
寿司食べ放題に大いに動揺し、心が動いてしまった柊は渋々ながら「いいでしょう、その賭け乗ります」と頷いてしまった。山本は嬉しそうに笑い、そしてぽつりと零した。


「俺、自分でも結構ゲンキンだなと思ってて」
「はあ」
「目の前にニンジンがある方が速く走れるっつーか」
「馬のように?」
「そーそー。俺もニンジンみたいに、ご褒美がある方が頑張れるなって。」


山本は目を伏せながら、零した。
曰く、怪我からの復帰は並大抵の努力では出来ないこと、目標があった方が良いこと、自分の性格上、一番効率的なのはご褒美を用意すること。

「…そんなのなくても頑張れる方が本当は格好いいんだけどな」
「いえ、個人のパーソナリティに合わせた動機付け、練習法の確立、ならびに目標値の設定は、非常に合理的です。山本君はご自身の性格を自分で熟知されていて、自分に合う方法がわかっているんですね。とてもすごいです。」

言外に笹川君ではそうはいかない、という言葉を胸の内に飲み込みつつ、柊はひとしきり感心した。山本はどこかむず痒そうな表情を浮かべ「そう言われると照れるな」と頬をかく。



「だからさ、お願いします。俺を助けると思って、賭けに乗ってほしい。」

「そういうことなら、勿論、喜んで。」



柊美冬は、今度こそ、快く首肯した。
彼女自身、黒曜が乗り込んできたことを見逃したことを、未だに後悔していた。山本の怪我も、彼女が初手で対応できていれば、必要のなかったものだった、とどこかで思っていた。

要は彼が次の試合にピッチャーとして先発出場し、ホームランを打つか否かを見届ければよいのである。そんなことでいいならば、お安い御用であった。




「ん?でも、私が負けたら一体何を用意すれば?」
「……」
「並中グラウンドの使用権利書とかで良いですか?確か夏休み前にサッカー部と野球部でどちらが全面使用するかを争っていましたよね。」
「あーいや、それはちょっと…!!」

それでは彼の実家の寿司食べ放題に対し、サッカー部全体の命運がかかってしまう。下手すれば野球部が生涯サッカー部に恨まれ続ける事態に発展しかねない。山本は慌てて柊に「それはいいんで」と断りを入れた。

「そうですか?じゃあ最新式ピッチングマシンなんてどうでしょう。確か先日メーカーからカタログが届いていましたし。風紀委員会の予算の中なら100万くらいおそらく捻出できるはず…」
「いや………あの………、考えときますから」
「私も今は風紀委員会を追われた身なので、権利や備品関係は調整に時間がかかるんですよね…。欲しいもの決まったら、早めにお申し付けください。」

風紀委員会の予算から野球部の備品を買おう、なんて恐ろしすぎる提案だ。かの委員長が目を吊り上げて怒り狂う様が想像できて、山本の背中に寒気が走る。むしろそんな提案は御免である。

柊美冬は、少しだけ呆れを含ませた瞳で山本を見上げた。


「…山本君って結構欲張りですか?」
「へ?」
「お誕生日の時もあんなにプレゼント貰ってたのに、まだ欲しいなにかがあるんですね。アレだけプレゼントがあったら、一つくらい山本君の欲しいものにかすってそうなのに。」


それは、誕生日の光景である。
軽トラで持って帰った山のようなプレゼントたち。タオルや粉末のスポドリなど実用性のあるものから、手紙や気合の入ったプレゼントまで様々だった。どれも嬉しかった。送ってくれた人の気持ちも、ひとつひとつお返しをした。

けれど、欲しいものは別にあった。

山本の視界に入る、柊美冬の、耳の端。


「……そっすね」


柔らかな産毛と、弾力、唇から漏れた吐息を思い出してはぞくぞくする。



「俺、結構欲張りなんすよ」



彼は、へらりと笑った。

その瞳の中に燃え滾る熱情を抑え込むように、目を細めて。






















「オレガノは欲しいものはありますか?」

『なあに、藪から棒に。』

「いえ…」


美冬はその夜、オレガノに報告のため、通信端末を起動した。
退院した山本武に接触したこと、何故か退院祝いに巻き込まれたこと、そして大量のお土産を貰ったこと。賭けの話。

『ちょっとあなた何ホイホイ賭けなんてしてるの!?今すぐ撤回してきなさい今すぐ!!』

まるで拾った猫を返してこいと言わんばかりの口調でオレガノは凄んだが、一度してしまった約束は違わないのがマフィアである。美冬の言葉に、オレガノは『も〜〜〜〜!!!!』と通話先で地団駄を踏んでいるようで、バンバンバンと机を手で叩いているであろう音が聞こえる。

「自分の性質を分かったうえで、自らを奮い立たせるきっかけを作ろうとする冷静さもそうですが……賭けという発想がもう“それっぽい”ですよね。彼は。」

そう言って、美冬は声を落とした。
己の力量や性格を把握しているというどこか他人事のような冷静さと、勝負師のような発想。それらは、マフィアに必要な素質と言ってもいい。

「…たぶん、リボーンは最初っからわかっていたのでしょうね」

だから、最初からリボーンは山本武に手ほどきをしていたのだろう。
元来の身体能力だけじゃない。彼には内面的な適正もあるとよくわかっていたのだ。

今、彼の才能は全て野球に向けられているが、彼が望めば、いつだってこちら側に来ることが出来る。むしろ、リボーンは今か今かと手をこまねいているに違いない。此度の騒動で、彼は最早、こちら側に一歩足を踏み入れてしまっている。

「…いくら才能があるからと言って、本当にこれでいいんでしょうか。」
『さあ、どうかしらね…』

オレガノは是とも否とも言わず、黙り込んだ。






その日の出来事が全て仕組まれていたことを、美冬は知らない。
山本武の退院、彼の父親との遭遇、退院祝い、お土産。
この日仕組まれていなかったことといえば、妙な賭けくらいなものである。

偶然なんて、いくらでも仕組むことが出来る。
CEDEFがそういう機関であることを、彼女はもうすっかりと忘れていた。

後に彼女は後悔する。
この日、彼女が望まぬ未来を一つ決めてしまったのだが、そのことに自信が気が付くのは、もう少し未来の話である。

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