32-4

(静か、ですね)


本を読み進めていた柊は、暫く会話がなされていないことにはたと気が付いて、顔を上げた。すると、向かい合わせに座っていた山本武が、何とも言えない顔でこちらを見つめている。不満げともとれそうな表情に、やってしまった、と柊は内心頭を抱えた。

父と息子を分断するためとはいえ、勝手に人様の部屋に上がり込んだあげく、足止めの会話をするでもなく本を貪るように読み耽ってしまった。

「す、すみません」

柊は読んでいた本を閉じて、山本に向き直る。
謝罪を受けるとは思っていなかったのであろう彼は、え、と目を丸くした。

「ごめんなさい、本が面白くてつい夢中になってしまいました。」
「先輩、けっこうそういうとこあんのな…夢中になると周りが見えないっつーかさ。」
「悪い癖ですね…昔からよく怒られています。」

本に夢中になって沢田家光やオレガノの言葉を聞き逃すこと、かれこれ数百回。その度によくよく注意を受けていたはずなのに、またしてもやってしまった。

対して山本は、これまでの彼女の様子からなんとなく想像はついていた。初詣の時も、寿司を食べた時も、彼女は集中するとあまりほかのことに目がいかなくなるらしい。そういうところは愛らしいし、いかにもばつが悪そうな顔の彼女がなんだか面白くて、山本は「全然気にしてないっすよ」と笑顔を浮かべてしまう。

「でも、なんで野球の本なんだ?」
「え?」
「先輩、お世辞にもスポーツ得意じゃないですよね。」
「……」

歯に衣着せぬ物言いと図星を突かれたことにカチンとしつつ、柊は少し悩むそぶりを見せた。

「ええと…プロスポーツってどんな業界なのかなと。」
「業…界…?」

彼女が読んでいた本は、有体に言えば「プロ野球選手の自伝本」だ。有名なプロ野球選手が、プロになるまで、そしてプロになってから活躍、引退するまでが赤裸々に綴られた本である。
それが一体彼女に何の関係があるのかわからず、山本は更に首を捻った。

「知り合い、いや、クラスメイトが。」
「はあ」
「高校受験でスポーツの部活動推薦受けようとしてまして…。そもそも、プロを目指してるって言うけど、日本のプロスポーツってどういう構造なのか調べたことがなくてですね」
「…ふうん?」

そこからは暫く、彼女のふんわりした話が続いた。
要約していくと、どうやらプロスポーツ選手を目指しているクラスメイトが、手始めに受験でスポーツ推薦を受けるため、なんとか手助けになりたい、という話らしい。

「…先輩がそれで勉強するんスか?」
「勿論、本人が頑張らなければいけないことは大前提なのですが、ちょっと気になりまして。目の前の受験だけではなく、人生設計を考えたうえで彼にとってこれが正しい選択なのかを今一度考えた方が良いような気がしまして…」
「壮大だな〜」

ただのクラスメイトのために、そこまでする必要があるのか。
純粋な疑問が湧き出るも、目の前にいる山本のことを差し置いて、彼女は一人ぶつぶつと呟きながら眉を寄せているのが少し面白くない。
そんなの、まるで。


「…美冬先輩、その人のこと、好きなんすか?」
「………ぇえ?」


思考の只中をさ迷っていた彼女は、山本の言葉に困惑した表情を浮かべた。「違う」と言わんばかりの態度に、山本の心情はふと軽くなる。

「あ〜…違うみたいですね。」
「もう、またその話ですか。皆さんホントその手のお話好きですよね。違いますよ。」

彼女はひらひらと手を振って「ないない」と肩をすくめる。また、ということは、この指摘はこれが初めてではないということだ。周囲によって何度も指摘されるたびに、彼女はあしらってきたのであろう。やたらこなれたあしらい方である。

「ホント、そういうのじゃないんです。ただ…」
「ただ?」
「大事なクラスメイト…ううん、並盛に来て初めて出来た、友達、なんです。………いや、友達ですかね?友達なのかな…友達だったら良いんですが。」
「………」

内容だけ切り取るとあまりにも悲しい自問自答だ。
だが、そんな言葉とは裏腹に、彼女の眦は緩やかにカーブを描いた。傾き始めた柔らかな秋の陽光のせいだろうか。頬がうっすらと赤く染まったような、気がした。







(ああ)


軽くなっていたはずの心は、どんどんと地に引きずり降ろされていく。


(俺は、あまりにも、)


雲雀恭弥は、立場を利用して彼女を隣に立たせている

クラスメイトなら、彼女にとっての友人として、気にかけてもらえる

沢田綱吉は、彼女が自発的に手を差し伸べてくれる




対して、自分はどうだろうか?








地に引きずり降ろされた心に、じりじりとした焦燥が染み渡る。











「……なあ美冬先輩」
「はい?」
「今度、俺と賭けしようぜ」


今、自分はどんな顔をしているのだろうか。


「え?突然ですね…。賭けごとなんて、風紀委員会にバレたら殺されますよ。」
「別に金を賭けるんじゃないから大丈夫だろ。」
「……?野球部のグラウンド使用権限とかそういうのを賭けるんですか?」
「いや、それは俺の一存じゃ賭けられねーわ…」


なりふりなんて構ってられない。


「では一体何を?」
「先輩が勝ったら、寿司一年分でどうですか」
「ええっ!!な、なんと豪勢な!!」
「ま、実際のところはオレの練習台になってもらうって感じですけど」
「そうですよね…豪華すぎてびっくりしました。では山本君が勝ったら?」


力づくでも手に入れなければいけない。
年上とか、部活が違うとか、会う時間がないとか、理由をつけて手をこまねいていては、彼女はあっという間に攫われてしまう。



「俺の欲しいもの、ください」



卓袱台を挟み、目の前にいる彼女をまっすぐ見据える。
茶色の瞳は、窓から差しこむ朱い夕光を吸い込んで、橙色を灯している。まるで夕焼けのの中に吸い込まれてしまいそうだと思いながら、ふと瞳に写る自分の顔を見てみると、そこには熱に浮かれた、切望するような男が映っていた。


「それは、今、誕生日プレゼントを催促するっていう…?」
「あ〜…そういや、そんなこともあったっけ」


そういえば、4月の終わり、誕生日の翌日にそんな話もした。
どうしても触れてみたくて、彼女が知らないうちに“悪戯”こそしたけれど、それで彼女が自分のものになったわけではなかった。今となっては、欲望を押し付けた虚しさだけが湧いてくる。




『あなたが、望むのならば。』





賭けに乗りましょう。彼女はそう静かに答えて、嗤った。橙色の瞳の奥で、何かが瞬き、消えていく。

無意識のうちに、山本は目の前にいる彼女に右手を伸ばした。そうっと人差し指の背で彼女の頬に触れてみると、柔らかな弾力が彼の指を押し返す。


「…俺が欲しいのは」


遠いと思っていた。
お前には高嶺の花だ、なんて言われたけれど、手を伸ばせばすぐそこだ。


「俺が欲しいのはさ、」


彼女の瞳に写り込む男の顔が、強張った。
そして、堰を切ったように、唇から、






「武〜!美冬ちゃん〜!帰ったぞ〜!」




突如、部屋の扉が開いた。不在だったはずの山本剛が扉から満面の笑顔を見せ、その瞬間、山本剛、ならびに山本武、双方は固まった。片や扉に手をかけたまま、片や柊美冬の頬に手を伸ばしたまま。

「……あ?」「……あ…」

二人の奇妙な静寂を打ち破ったのは、柊美冬の明るい声だった。

「おかえりなさいませ!おじさま、首尾はいかがですか!?」
「………あ〜、…ただいま美冬ちゃん。ちょっと悪ィんだけど、下で飲み物の準備してもらっていいかな。ジュースは冷蔵庫に入ってるからさ。」

フリーズしていた山本剛は、柊の声になんとか表情を作ろうと笑顔を張り付ける。
彼女をその場から遠ざけるべく、いかにもそれらしい任務を言い渡した彼は、ちょいちょいと彼女を手招きした。

「わかりました。お任せください。」

首肯した彼女はするりと山本の指から抜け出すと、扉から外に出て行ってしまう。これまでの雰囲気を特に意に介するでもなく、「じゃあまた後で」と固まったままの山本に手を振って出て行くくらいだ。

トントントン…
彼女が階段を下りて行く音が遠くなっていく。それと比例するように、山本の目の前に立ちふさがる父親の表情がみるみる憤怒の色に染まっていく。


「で、武は何やってんだろうなあ?」
「…ハハ」
「父ちゃん、びっくりしちゃったなあ〜〜〜???」
「…ハハ…」
「人様のところのお嬢さんに、なァにやってるんだ?」
「…ハハハ……」


黒曜生との喧嘩(?)であれだけの大怪我をしても決して怒らなかったあの父親が。
今は目を吊り上げ、バキボキと拳を鳴らしながら山本の前に仁王立ちしている。冷や汗を流し、苦笑いを浮かべることしか出来ない山本はこう思った。ここが調理場でなくてよかった、と。



そうでなければ、今晩のおかずの船盛には、自分がのるはめになっていただろう。






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