32-3

教科書、参考書、漫画、雑誌。
山本の部屋にあるさほど大きくはない本棚には、幼い頃より彼が読み溜めてきたであろう本が詰まっていた。部屋に入ってさっそく本棚を見つけた柊は、本棚の前に立って、それらの背表紙群を物珍しそうに眺めていた。

「なんか楽しいものでもあるかぁ?」
「大変興味深いです。本棚は人をうつしますから。」
「ふーん…」

たとえば、柊でもよく知る著名な週刊漫画雑誌は乱雑に床の上に詰まれている。いっぽうで、野球を特集したスポーツ雑誌などはバックナンバー順に本棚に所蔵されているあたり、彼の野球競技への愛が感じられる。

(やっぱり好きなんだなぁ、野球。)

漫画があるのも、いかにも年頃の少年の本棚といった趣を感じる。少年漫画と呼ばれるジャンルのものもあれば、歴史を題材にした教育系漫画も存在した。並中図書室にもあるそれらは、大変人気のシリーズものである。柊も何度も貸出作業で手にしたし、彼女自身も目を通したことがある。

(日本の歴史をざっと頭に入れるのに読んだけど、面白かったものね)

一方、現在使用しているはずの参考書群には薄ら埃 が積もっていた。ぱっと見ても使用された形跡が見当たらない。あまり勤勉そうではないなとは思っていたが、これではあまりにもイメージ通りである。笑ってはいけないとは思いつつ、柊の唇からはついつい笑いがこぼれてしまった。

「…え、なんか楽しいところありました?」
「はい。山本君の人となりがよくわかって面白いです。」
「へ…へえ〜…そうっすか…」

悪気なく頷いた柊の言葉を受け、山本はひきつった笑みを浮かべる。
一体この本棚を見て、何を知られたというのか。
笑顔の裏で空恐ろしさを感じた山本は内心冷や汗を流す。悪いイメージを持たれていないことを祈りつつ、山本は彼女の読みたがっていた本を棚から取り出し、手渡した。

「えーっと、これですよね先輩が探してたやつ!」
「あっ!そうです。ありがとうございます。中身拝見させてもらってもいいですか?」
「どーぞ」

こっち座ってください、と促されるままに、柊は用意された座布団に座った。いかにも好奇心を押さえられないと言わんばかりの熱視線を拍子に注ぐ柊に、山本は正月に寿司を食べた彼女の様子を思い出してついつい笑ってしまった。

「俺、下からお茶持ってきますね」
「あ、お構いなく…」
「いや、そういうわけにもいかねーから。…ごゆっくりどうぞ」










湯呑から立ち上った湯気は、時折ふわりと揺れて、消える。
久しぶりに開けた部屋の窓からは、すこし冷たくなった風が吹き込んでいた。

湯呑を渡せば「ありがとうございます」とお礼こそあったものの、二人の間には特段会話もないまま、時が過ぎて行く。あれからずっと、柊美冬は熱心に本を読んでいる。

さわさわと木々の葉が揺れる音と、遠くで子どもたちが遊ぶ明るい声が、山本の耳に届いた。それは、いつもの自宅の、いつもの自室に流れる空気である。目に飛び込んでくるのは見慣れた壁に床に散らかった漫画、前に綱吉たちが遊びに来た時から出しっぱなしのテレビゲーム。部屋を見まわしながら、柊が来るならもう少し片づけておけばよかったな、と山本は小さくため息を吐いた。


取り巻く部屋の景色は、実にいつも通りだ。
けれど。
今、彼の目の前には、柊美冬がいる。
その姿はどの風景にも溶け込まず、息遣いや頁をめくる音は、どの喧騒にも紛れない。

(……)

彼女の真正面に陣取った山本は、柊が本に集中しているのをいいことに、その姿をじっと見つめていた。

文字列を追って上下に行き交う、底の深い茶色の瞳。
その視線に刺されると、腹の底がぐずりと唸ることを知っている。
忙しく頁をめくる指先は、触れると冷たいことを知っている。
風に吹かれ、髪の隙間から時折見え隠れする耳は、多分、彼女の弱点だ。

それらは全て、山本が“欲しいもの”だ。





最後に彼女と会ったのは夏休み明けのことである。
体育の授業が終わった後、沢田綱吉がグラウンドから帰ってこないことに気が付いた獄寺がぎゃあぎゃあと騒ぎだしたのが発端だ。授業時は一緒にいたのは間違いないのに、どこに行ったんだろうと山本が沢田を探しに向かった先だ。

山本が見つけた時には、沢田は上級生に絡まれ、いつものようにぼこぼこにされた後だった。完全にノックアウトされ、大の字になって倒れ込んでいた沢田に山本が駆け寄ろうとすると、何故か一足先に柊美冬がやってきた。近くに落ちていた本を拾った彼女は、こちらに背を向け、沢田の傍らにしゃがみこんだ。

『……先輩、』

汚れることなど厭わず、彼女は沢田に触れた。
沢田の柔らかい茶色の髪をかき上げると傷の様子を確認する。そして怯むことなく沢田の唇から滲んだ血を、あの冷たい指先で拭った。その表情は山本からは見えない。だが、背中が彼女の心の内を物語っていた。沢田の髪を撫でつける指先が、あまりにも甘く見えた。

彼女が自発的に誰かに触れた瞬間を、山本はそれまで見たことがなかった。
いつだって、仕方なく、とか、強制されて、とか、そんなのばかりだったのに。

沢田と彼女が面識があるとは思えない。そんなこと、どちらも言っていなかった。
だが、彼女はきっと、沢田のことを知っているに違いない。そうじゃないと、あんな。



『あれ?美冬先輩?こんなところでどうしたんですか……って、ツナ!?』

口を突いて出たのは、気持ちとは裏腹にとんでもなく明るい声だった。
ぎくり!!と盛大に肩を上下させた彼女は、「しまった」と言わんばかりの表情でこちらに振り向いた。二言三言やり取りをするが、普段から明晰な彼女にしては随分と歯切れの悪い物言いをしている。

『いや、図書室の真下で、騒ぎを見てびっくりしちゃって、本を落としちゃって』
『ふーん?』

よほど突っ込まれたくないのだろう、だらだらと冷や汗でもかいていそうな表情だ。あまりにも面白くて、首を傾げるふりをしてもう少し甚振ろうかと思ったが、足元に転がったままの沢田の容態も気になった。山本は彼女への追及は止めて、沢田を保健室に運ぶことを優先した。

『ま、いーや。また今度。』
『…?』
『俺はコイツ、保健室に連れて行きます。あ、コイツ、友達のツナっていうんだ。今度紹介します。今はこんなんだけど、ホントはすげーヤツなんですよ。』

その時、彼女の瞳の奥で何かが震えたのを山本は見逃さなかった。


それはまるで、知ってます、と言わんばかりのまなざしだった。


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