32-1

『……で?美冬はまたその男の子のお手伝いすることになったの?』
「……はい」
『アナタ、そんなに押しに弱かったっけ?』
「……」


長年の付き合いだから分かる。
通話先のオレガノは、ニヤニヤしているに違いない。昔から、彼女はこういう話が大好物である。こちらが人間関係で少し困った素振りを見せると、嬉々として首を突っ込んできたり、ニヤニヤとこちらを観察するのだ。

押しに弱かったっけ?という問いの答えは、そんなことはない、である。
今回押し切られてしまったのは、たまたま相手が悪かったのだ。だが、そんなことを言おうものなら、「じゃあどうして美冬はその子に弱いのかしらね〜?」なんて言われてしまうに違いない。反論したいような、恥ずかしいような、言葉に表すにはいかんともしがたいじりじりとした気持ちに苛まれながら、美冬はただただ黙りこくるしかなかった。


『……まあいいわ。そうそう、本題ね。依頼があった件、調べておいたわよ。』
「!!ありがとうございます!」

いいだけ美冬を玩具にして気が済んだのか、オレガノはようやく本題を切り出した。

黒曜での戦いの後、美冬や六道骸らを除き、現場にいた人間はすべて並盛病院に収容された。すぐに退院できた者もいれば、全治3週間・絶対安静の者まで、容体は様々だ。美冬は、誰がどの程度の怪我を負ったのか、改めてオレガノに調べてもらったのだ。


最初に退院したのは、ランキングフゥ太だった。
彼は怪我はなかったものの軽い栄養失調に苛まれていた。数日病院でしっかり療養し、沢田奈々に引き取られ退院したという。命にこそ別状はなかったが、彼自身が予想した通り、ランキング能力は失われたままだという。

一方、最も重い傷を負っていたのは、雲雀恭弥である。
切り傷、刺し傷、大小の打撲に骨折だらけ。最初、全治は3ヶ月とも言われていたようであるが、みるみるうちに傷が治り、もしかしたら2週間後には退院できるのでは、と噂されているらしい。流石雲雀恭弥、それに尽きる。

ビアンキや獄寺隼人、そして沢田綱吉も目下入院・療養中ではあるが、経過は順調とのことである。そして。


『今日の午後、山本武が退院するみたいね。』


山本武は細かな切り傷と全身打撲で運ばれたが、致命傷になるような傷は一つもなく、2年生3人組の中では、いの一番に退院となった。

『あなた、どうせずっと家にいて身体もなまってるでしょうし…せっかくだからリハビリついでに様子でも見てきたら?』
「散歩ってことですか?」
『経過観察も兼ねて、後で報告でもくれるとこちらは嬉しいわね』
「……それ完全に仕事ですね?」

さすが沢田家光の秘書である。散歩に見せかけて、しっかり業務命令にしてくるところが抜け目ない。ただの散歩なら行っても行かなくてもよいが、仕事にされてしまっては行かざるを得ない。美冬は山本武の退院予定時刻を確認すると新調したばかりの通信装置を切断した。








並盛病院は、中央公園から続く、長い長い並木道の先にある。
季節はいつの間にかうつろい、あんなにも焼け付くように苛烈だった夏の陽光は、すっかりなりを潜めていた。並木道の銀杏はまだまだ青いが、時折吹き降ろす風に葉がさわさわと音を立てる。

「涼しくなったなあ」

からりとした風が前髪を揺らす。
気温はまだまだ高いが、むしむしとした湿度がないだけで随分快適だ。この感覚を、柊美冬は知っている。並盛にやって来て二度目の、秋の入りだ。

(去年の今頃は、体育祭の準備だったっけ)

雲雀恭弥が保健委員長を病院送りにしたのは昨年のこの頃である。今年は雲雀が病院送りになったため、指揮をとる者は不在だ。が、この1年間、柊と草壁は万が一にそなえて備蓄を揃え、どんな状態でも体育祭を敢行できるよう準備を進めてきた。きっと今頃、新しい保健委員長と体育委員長が開催に向けて奮闘していることであろう。

「今年の体育祭はどうなるかなあ」

体育祭といえば、山本武の独壇場だ。彼はきっと昨年同様体育祭の花形になるに違いない。今年もあっけらかんとしながらめざましい活躍を続ける彼に、沢田が喜び、獄寺が舌打ちする未来まで見える。きっと女子生徒からの黄色い声援と男子生徒からの怒号が常に飛び交うに違いない。

身体能力の高さに人を惹きつける魅力。
そして、勘の良さ。
彼は本当に、才に溢れている。


そんな彼を、裏の世界に誘おうとしているのが、リボーンである。山本はリボーンの思惑通り、夏祭りや今回の事件を経て、着々と自らこちら側へと足を踏み入れつつある。

「…」

“マフィアごっこ”の言葉通り、山本武本人はそんなつもりはないのだろう。だが、リボーンは彼に刀を与え、積極的に戦闘訓練を積ませている。基本的に民間人を巻き込むことはご法度とされるこの業界で、リボーンは最低限のルールを自ら破っているのだ。

「それって、家庭教師としてどうなの…?」

今回、自らのミスで笹川了平や雲雀恭弥を巻き込んでしまったことを、柊美冬は後悔していた。リボーンはそれを揚々とやってのけていることが腑に落ちない。表舞台に居場所があり、堕ちなくてもいい人間を、こちら側に引きずり込もうとするなんて。






考えに耽っていると、ふと、影が差した。
気配を感じて振り返ると、上背の高い男がにこにことこちらを見下ろしていた。それはとても、見覚えのある顔だった。こちらに声をかけようとしたのか、それとも肩を叩こうとしたのか、中途半端なところで手が止まっている。

「……おお、やっぱり!」
「えっ、あ、…あ、こんにちは…!」

それは正月に会ったきりになっていた、山本武の父親であった。店からそのまま出て来たのか、以前見かけた板前服につっかけという、なんとも気軽な装いである。二人は互いに軽く会釈し、世間話に花が咲いた。

「いや〜そうそう、実は今日うちの息子が退院するんだよ。それで、昼営業が終わったのを見計らって迎えに来たんだわ。」
「……そ、そうなんですね。山本君、入院されていたんですか?」

何とも白々しい科白である。柊は己の演技力を呪った。

「そうなんだよ美冬ちゃん!急に病院に担ぎ込まれて焦ったのなんのってさぁ」
「それは大変でしたね…でも退院できてよかったです。」

挙動不審な柊の様子を気にすることもなく、父親はああだこうだと身振り手振りをつけて話してくれる。父親はなぜ彼が怪我を負って運ばれたのかについては知らない様子だった。山本も、周囲も、そして彼らを保護したボンゴレも、何も言わなかったのだろう。それはそうだ、表舞台を生きる人間にとって、裏社会のことなんて知らないに越したことはないのだ。

「美冬ちゃんは?今日はどうしたんだい?」
「実は最近運動不足で。家族に散歩してこいと追い出されてしまいました…」
「わはは!!そりゃあいいな!」

何も間違ったことは言っていない。運動不足も、外に出て来いと言われたのも事実である。ただ、それは散歩を騙った任務であるが。勿論、そんなことなど知らない山本の父親は「体はなまらない程度に動かしとかないとな」とにこにこしながら柊に諭してくれる。


「そうだ。美冬ちゃん時間はあるかい?」
「え?はい、大丈夫です」
「そうか、じゃあちょっくらオジサンに付き合ってくんないかな?」
「…?」

柊が首を傾げると、彼の父親はこう言った。
この後、サプライズで息子の退院祝いをしようと思っているが、隠れて準備する時間がない。そこで、柊に山本の相手をしてもらって、その間に準備をしてしまおうと思っている…と。

「時間稼ぎをすればよいのですね」
「そうだなあ。2時間…いや、1時間半でもいいんだ」
「わかりました。お任せください。」

それは柊にとっても渡りに船の提案であった。
山本武に直接接触が出来れば、オレガノへの報告もより詳細な内容を伝えることが出来るであろう。柊は二つ返事で頷くと、彼の父親は嬉しそうに笑った。

「勿論、ただとは言わねえ。美冬ちゃんも一緒に食っていきな!」
「え?」
「今夜はちらし寿司パーティーだ!!」
「ちらし…ずし…?…まさか、お寿司……!?」
「おうよ!うちのちらし寿司は天下一品だぜ!!」

寿司は寿司でも、正月食べたものとはどうやら違う寿司らしい。
寿司マスターたる大将が作り出す謎の寿司「ちらし寿司」。正月食べた寿司でさえとても美味しかったのに、今度は大将曰く“天下一品”の寿司である。いったいどんな最上級のお寿司が出てくるのだろう?……柊は、湧き出るよだれをごくりと飲み込み、まだ見ぬご馳走に思いを馳せた。


(ちらし寿司……名称から考えるに、握り寿司が握られた寿司であったことから、今回は散らされた寿司ということでしょうか?はたまた“ちらし”が乗っかったお寿司なのか…流石日本食、寿司ひとつとってもまだまだ奥深い…)


謎のちらし寿司について悶々と考えはじめた柊を余所に、山本剛は手筈の確認に入った。

「じゃあ俺はまず、アイツを迎えに行って、ここに戻ってくる」
「はい、わかりました」
「荷物を家まで運んだあとは、なんとかしてアイツを部屋に足止めしといてくれ」
「了解です」

じゃあ行ってくるな、と山本剛は踵を返し、並木の先にそびえたつ病院へ向けて去って行く。柊はびし!と敬礼をして見送り、まるで二人の姿は戦地に赴く父親を見送る娘の図であった。

さわさわと揺れる並木の葉に合わせて、山本剛の背中にはきらきらと秋の陽光が差し込んでいく。美しい秋の一コマだな、などと柊は思い………、そして、未知の寿司「ちらし寿司」の考察を慌ただしく始めるのであった。

いつものことではあるが、オレガノから与えられた山本武との接触任務は、美冬の頭のどこか隅へと追いやられてしまっていた。



prev next top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -