廿玖ノ伍





人生を短篇集というならば。

六道骸は、それらの頁を気まぐれに捲り、読むことが出来る。



*


革張りのソファに深く腰かけている六道骸は、まるで映画を見るようにゆったりと足を組んでいた。そうして、その後にまき起こる一通りの記憶を閲覧したあとに、こう呟いた。

「これは一体、どんな茶番なんでしょう。僕にへそで茶でも沸かさせるつもりですか。」

それは、呟きではなく、語りかけるような言葉。
呼応するかのように、骸の背後からいかにも嫌そうな顔をした美冬が現れた。その手には、なじみ深い並盛中の応接室で彼女が常用しているティーポット携えている。

「人の過去を勝手に見ておきながら何ですかその言い分は。」


記憶に干渉されている、と気が付いた時には既に、六道骸は彼女の中に“いた”。
彼が見たものは、美冬にとって人には見られたくない、知られるのは憚られる、かなりデリケートな内容だった。
よりによって、彼には知られてはいけないはずだった沢田綱吉との関係も引きずり出されてしまったとあって、美冬は苦々し気に骸を睨み下ろす。だが、一方の六道骸はどこ吹く風といった様子で優雅に足を組み替えるだけである。


そもそも、一体この暗闇は、どこなのか。
美冬が辺りを訝しげに見まわすと、パチン、と六道骸が指を鳴らす。
瞬間、暗闇は解かれ、辺り一面にまぶしい夕光が差し込んだ。

美冬にとって大変なじみ深いその場所は、並盛中の応接室だった。
いつも雲雀がふんぞり返っている革張りのソファには、六道骸がふんぞり返っていて、何処からか、カキ―ン!!という小気味よい野球部のバッティング練習の音が聞こえてきた。

「おや」

六道骸は少し意外そうな声を上げた。彼にとっては意外な場所、ということらしい。

皮張りのソファ。
荘厳な木彫家具。
山積みの書類。
美冬の手には、使い慣れたティーカップとポット。
そして、紅茶の種類は、ディンブラ。

明らかに現実ではない。これは虚構だ。


六道骸曰く、彼女の精神を支える思い出深い場所を、彼の特殊な力を使って彼女の精神の中に具現化しているのだそうだ。ここが美冬の精神の中、というのであれば、そもそも何でこの場にいるのだ、と美冬は首を傾げる。


「貴女を乗っ取ろうとしたんですが、この通り失敗しまして。」
「は…?身に覚えがないのですが…!?」
「このまま成果なしで引き上げるのも悔しいので、記憶を少々拝見させていただきました」
「腹いせに人の記憶ほじくり返すのやめていただけます!?」


憤慨する美冬などなんのその、六道骸は「紅茶が渋くなる、さっさと淹れてください」とティーカップを差し出した。美冬が渋々ポットから紅茶を注ぐと、一帯にはディンブラの香りが広がった。流石六道骸が作り出す虚構、有能である。

「しかし、貴女をこの町に遣わせたあなたの上司もさぞやがっかりするでしょう」
「……」
「僕のささやかな力でもこうしてこの場を具現化できたのは、貴女のこの場所に対する想いが何にもまして強いからに他なりません」
「……」
「幻術であなたの精神を甚振ってやろうと嬉々として構築してみれば、まさかイタリアの“ご実家”ではなく、この場所が形になるなんて、僕でさえ驚いていますよ」

目の前の男はさも愉快そうに、軽やかに述べた。少年、というべき見た目でありながら、彼は四方に言葉の棘をばら撒いていた。毒気を塗った棘は、今にも彼女を甚振ろうと、その針を向けてくる。


「あなたは随分と、この場所に肩入れしているらしい。」
「…」
「それは必ず、貴女を滅ぼすことになる」


この世界の主――美冬は、ぐ、と顔を顰めた。
それは、言葉を発さずとも、彼女が彼の意に肯定した瞬間である。美冬とて、薄々感じていた。並盛への肩入れが、CEDEFとしての感覚を狂わせ、油断を少しずつ招いていた現状を。だからこそ、今回は六道骸と出会ってしまった。


「クフフ」


美冬が唇をかみしめるのを見た六道骸は、ここでようやっと、破顔した。
それはそれは、嬉しそうに。

「僕だって、これくらいの負け惜しみは赦されるはずです」
「…勝手に人の精神世界に現れておいて荒らしまわるこの所業のどこが負け惜しみなんですか」
「こんなことになるくらいだったら、さっさと貴女を殺すべきだったと思ったんですよ」


かたん、と彼が手にしていたティーカップがテーブルに打ち付けられる。


「やってくれましたね、沢田美冬。」


突きつけられたのは、明確な殺意だった。


「それは最早、捨てた名です」


沢田家光との関わりを隠すため、CEDEFに入る時点で、彼女は苗字を捨てた。家光の好意で、名だけはそのままコードネームとして使用している。柊の姓は、此度の任務のために用意されたものに過ぎない。

「そんなことは知ってますよ」

六道骸は、眉を跳ね上げた。間髪入れずに、彼はばしゃり!とティーカップの中身を、美冬の顔にかける。淹れたての紅茶は熱湯だ。虚構のはずなのに痛覚を伴うそれに、美冬は両手で顔を覆った。熱い。痛い。

「…ぐ……っ!!」
「貴女がしゃしゃり出てきたおかげで予定は大幅にずれてしまった。貴女を利用するべく乗っ取ろうとしても、弾かれてしまう。正体を暴こうと記憶を辿れば、貴女自身でさえ貴女が何者か知らないと来た。」

六道骸は冷たいまなざしを美冬に注ぐ。
紅茶の熱と、眼差しの冷たさが、まるで毒のように美冬の身体を駆け巡る。熱い、冷たい、痛い、苦しい。息が、出来ない。


「まったく始末に悪い。…まあでも、収穫もありました。」


かは、と美冬は息を大きく吐く。胸の中が空っぽになったようで、慌てて空気を吸おうと藻掻くが、何故かそれも出来ない。六道骸が作り出した虚構の中で、彼女はあまりにも無力だった。

苦しむ美冬の様子をゆったりと見据え、六道骸はその口許を歪に引き上げる。


「どうやら、僕は順番を間違えたらしい。」

「……?」

「まずは、貴女を殺さなければいけないということがわかりました。」


気がつけば、夕光はすっかり暮れていた。
応接室は闇に包まれ、目の前にいる六道骸の瞳だけが、ギラギラと光を帯びている。捕食者の瞳に、美冬はまたひとつ、息を詰まらせる。

クフフ、と六道骸から笑みが漏れる。それは何かを確信したような物言いだった。
六道骸は、彼女が知らない何かを、記憶の中から読み取ったということに他ならない。息も出来ずにもがく彼女を見下し、笑いながら、六道骸はこう言った。



「柊美冬……いえ、沢田美冬。次に会う時は、貴女が僕に殺される時です。」



六道骸は、長い脚をゆっくりと組み換え、やがて立ち上がる。
ゆるり、と、男を象っていた形がブレて、闇の中に溶け始める。
そろそろ時間ですね、と独り言ちた六道骸は、「また会いましょう」と勝手に述べて、………闇の中に溶けていった。


何が何だかわからない。


美冬の思考もまた溶け行く中で、彼女は強く、強く思った。



(やっぱり、性格悪いわ………)
















「……、!美冬!!大丈夫か!?お、おい!!」

「………っ、…」


美冬が次に目を開けたとき。
美しい金糸が、月の光にきらきらと照らされながら、美冬の視界を覆っていた。見覚えのある色、聞き覚えのある声に、美冬は意識を取り戻した。

「ディーノ……さん……?」
「美冬!!目、覚めたのか!?」

何故か、身体はうまく動かない。
だが、視線を動かせば見慣れた風景が目に飛び込んできた。どうやら今は夜で、ディーノが看病してくれていて、ここは自室のベッドの上、という情報が読み取れる。

「お前、さっきからすげーうなされてて…怖い夢でも見てたのか?」
「夢……?」

先程まであんなに苦しんでいたはずなのに。
寝起きのぼんやりした頭では、霞がかったように記憶が朧だった。



えーっと……

何で苦しかったんだっけ?






「……忘れました」


思い出せなかった。
何か、大事なことを話していた気がするのに、それは既に遠い記憶だった。
誰かと、またいつかどこかで再会しようね、という約束をしたような気がするのだが、相手が誰なのか、どうにも思い出せない。そもそもそんなに心温まる約束をした気もしないが。

ただただ茫然とした美冬の姿に、ディーノは苦笑する。



「まあ…無事で良かったよ、美冬」




夜の帳が降りていた。
薄暗い室内の中で、月の光だけがディーノの髪を明るく照らしていた。彼の美しい顔が、何とも言えない表情を浮かべ、美冬を見つめてくる。何で寝ているのか思い出せないが、きっと心配かけていたんだな、と美冬は思った。その昔、CEDEFで寝込んだ時も、ディーノがそんな顔をしていたのを、なんとなく思い出す。


「…もう少し寝てろ」


ディーノの唇が、額にちょん、と乗っかった。
ちゅ、と音を立てて離れていくさまに、なぜか美冬の心はざわり、と戦慄いた。
いつものあいさつのはずなのに、今日は何かが違う、そんな気がした。

「俺はロマーリオにお前が目ェ覚めたって報告してくるわ。またあとでな。」

そうしてぽんぽん、と頭を撫でたディーノは、さっさと寝室から出て行ってしまった。
まるで、逃走を図ったかのように。


「…………?」


ディーノのキスのおかげだろうか、急激に眠気が襲ってくる。
なんだかんだ、自分はあの兄貴分に心を許しているな、と美冬はしみじみ思った。何故だか身体も動かないし、いろいろとぼんやりしているけれど、彼が眠れというならもう少し寝てもいいかもしれない。


ふわぁ、とあくびを漏らした美冬は、もう一度、瞼を閉じる。






窓の外には、星空が広がっていた。

時は9月。

南の空には、フォーマルハウトが輝き始めていた。








§その夏の果ての、セレスト・ブルー



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