廿捌ノ伍

上階から、ぎゃん、という獣のような悲鳴が響く。
続いて、天井がドォンと音を立てて揺れ、ぱらぱら、と二人の目の前に砂塵が降りかかった。

「…わ」「……っ」

この音が聞こえているうちは、戦闘中の雲雀が元気に暴れまわっている証拠と言ってよい。怒涛のラッシュでも決め込んでいるのか、ドカバキぐしゃ、みたいな耳障りな音は決して鳴りやむことはない。

感傷に浸っていた獄寺は、はたと我に返った。
彼には、やらなければいけないことがある。仄暗い胸の内を飲み込んで、彼は言った。

「…お前が言ってるのって、白い帽子か?」
「えっ、獄寺君知ってるんですか!?」

柊美冬はがばっと振り向いた。穴が空くのではないか、というほどに獄寺を凝視する。橙色の瞳がフローライトの瞳を貫いた瞬間、獄寺の心臓は早鐘を打った。

「さっき、女と戦った時に森で見た」
「女…!M・Mですね!!森のどこで!?」
「木にひっかかってた」
「木!?種類は!?この辺りですとスギかヒバか…いや待てよ、柏という線もありますね?!」
「知るかァ!!」

樹木の種類なんて問われても、獄寺にはそんなもの判らない。知っていたらむしろ怖い。さらには、木にひっかかった、というよりは、獄寺が拾って目立つところにひっかけた、といった表現が正しい。

「そうかあ…よかったです!っていうか獄寺君、M・Mと戦って勝ったってことですよね!?すごい!相手は脱獄囚だというのに!」
「あ゛!?……いや、その、俺じゃなくてアネキが…(もごもご)」
「そうなんですか?まあ獄寺君は無事だし、ビアンキさんは強いってことでいいじゃないですか!」

ぱっと喜色を浮かべた柊に居た堪れない気持ちを抱いた獄寺は、これ以上ここで妙な空気に苛まれる前に、意識を切り替えることにした。
なにせまだ、何一つ問題は解決していないのだ。ザコ戦闘員は倒したが、雲雀は幹部連中と戦闘中だし、綱吉も今頃どこかで敵のボスと戦っているに違いないのだ。獄寺は、天井のようにミシミシと音を立てて痛む身体に鞭打って腰を上げた。
幸いにも、柊美冬のテーピングのおかげか細かな震えはいつの間にか消えている。

「え、立ち上がって大丈夫ですか?」
「10代目の処に行く。」
「で、でも…」
「お前もいつまでもここにいないほうがいい。上で雲雀が暴れてんだ。ここだっていつ崩れるか分かんねーぞ」
「たしかに」

戦闘とあらば床くらい平気でぶち抜くのが、我等が並盛中の風紀委員長である。
ましてここは彼が寵愛する並中校舎ではない。建物に対する容赦など一欠けらも残っていないだろう。その証拠に、階上から響く戦闘音に付随して、ぱらぱらと落ちてくるコンクリートの破片が、少しずつ大きくなっていた。

「ちんたらしてねーで行くぞ」
「はい!」

荷物をまとめた柊を連れて、獄寺は慌てて部屋の外、先程自分がダイナマイトでぶち抜いた壁を潜り抜けて階段に飛び出した。獄寺が先頭を行き、柊はその後ろをえっちらおっちらとついて行く。獄寺がなんだか危なっかしいな、と思った瞬間、案の定柊は階段から足を踏み外した。

「わっ」
「だぁっ!!ぐぇっ!!」

たまたま振り向いたタイミングで柊が足を踏み外したため、獄寺は慌てて彼女の手首を引っ掴んだ。勢いよく獄寺が引っ張ったために、柊の身体は獄寺の上体に激突し、獄寺の鳩尾に衝撃が入る。

揃って階段にへたり込んだが、二人とも無事だ。柊は慌てて「ご、ごめんなさい!!」と獄寺に平謝りすると、獄寺は鳩尾を抑えて悶絶しながら、柊を睨み上げる。

「お〜ま〜え〜な〜…」
「す、すみません」
「……くそ、こんなことやってる場合じゃねえ…おい、手ェ貸せ」
「え?」
「チッ!!手ェ出せっつってんだコラァ!!」
「ヒィ!!」

盛大に舌打ちした獄寺は、柊美冬の手首をむんずと掴んだ。先程は躊躇してしまったが、なりふり構ってはいられない。とにかく一刻も早くこの場から出なければいけない。柊の怪我がないことを素早く確認し、獄寺は自分を奮い立たせて、階段を駆け上る。


「てめーは足下ちゃんと見ろ!!」
「あっ、はい!!すみません!!」
「こっちはお前みたいな足手纏い抱えたまんまじゃ分が悪すぎるんだよ」
「お、仰る通りで…!!」


柊美冬は己の運動神経のなさに言及されていると思い、ひたすらに平謝りしながら獄寺に引っ張られるまま階段を駆けていく。一段上るたびに差し込む光量は増え、二人の瞳には白い光が入り込んでくる。


(はやく、)


ドォン!という戦闘音が遠鳴りする。
これは、誰が戦っている音なのか。雲雀か、綱吉か。
焦りが、獄寺の足を速める。


(はやく、光の下へ)





このあたたかな体温を、日の下に送り出してやらなければいけない。
次に敵と相対した時、獄寺はおそらく、彼女を守り切ることが出来ないだろう。だから、絶対に逃がさなけばいけないのだ。


(そんなのは、もう駄目だ)



階段を上りきると、正面にはガラスなどとうに破れ落ちたであろう、いかにもあけすけな窓があった。獄寺は、万一の外部狙撃に備えて柊の身を屈ませると、彼女を窓辺に引っ張っていく。ちなみに、運動不足と寝不足を引きずる柊はこの時点でぜえはあと息を切らせていた。

「っはぁ…っ」
「オイ、あそこ。見えるだろ。木の端っこ」
「……あっ!私の帽子!」

獄寺が指さした先には、黒々とした木々の中にひとつの白い点。それはまぎれもなく、美冬がM・Mに奪われた帽子であった。ひょい、と窓から身を乗り出しそうになった美冬の首根っこを掴んだ獄寺は「バカ野郎死にてーのか!」と一喝する。いかにもなど素人の動きに、獄寺の心中には不安が立ち上る。


「いいか、この先を真っ直ぐ行って、突き当りを右に行けば階段がある。窓の真下を屈んで行け。絶対に顔を出すな、狙撃される。……階段を降りれば外に出られるはずだ。帽子とったらすぐにこの場を離れろ」
「……獄寺君は?」
「ヒバリを拾って10代目を探す。」


なにせ、獄寺にはやらなければいけないことがあった。
シャマルから預かってきた、“ある解毒剤”を雲雀恭弥に投与しなければいけないのだ。ますます柊など連れて行けるはずがない。


「……私を連れて行ってはくれないのですね」
「お前みたいな足手纏い連れて行けるか」
「…ですよね。わかりました、ご武運を。」
「おう」


柊は、獄寺が言わんとしていることをかぎ取ったのか、素直に頷いた。
橙とフローライトが交錯し、獄寺はそうっと彼女の手首を自由にした。名残惜しくて、つい手首を指の腹で擦ると、出来たばかりの瘡蓋が彼女の肌を走っているのがわかる。

(この場にいたら、また余計な傷が増える)


彼女には、傷なんて似合わないと思う。光の下を歩くべき人間だ。

そんな獄寺の気持ちを知ってか知らずか、柊美冬の瞳はゆっくりと伏せられた。獄寺が首を傾げた瞬間、その瞼がやんわりと開かれ、蜜底が白く爆ぜた。まるで、星が生まれたかのように。



美冬の口元がつり上がり、唇がことの葉を紡ぐ。






『大丈夫、心配ないよ』

「……?」

『綱吉君は、もう負けない』






まるで謳うような、高らかな宣言だった。
獄寺の背筋を、ぞっと悪寒が走る、が、獄寺ははたとその言葉の意味を振り返る。沢田綱吉は負けない。10代目は負けない。………それはつまり、沢田綱吉の右腕にとっては、

「…って、そんなの当り前だろーが!!さっさと行け!!」

くすり、と笑って、彼女は踵を返した。
その足取りは軽く、まるで別人のようだった。
あんなに気軽に、その辺を散歩するように歩いていては、狙撃手のいい的になってしまう。「腰を落とせ!頭撃たれるぞ!」と獄寺が声をかけるが、彼女はどこ吹く風だ。


『大丈夫、私、××××から』


そう言って彼女はひらひらと手を振りながら、こちらを振り返ることなく去っていく。














この時、獄寺隼人は、気が付くことはできなかった。
だからと言って、彼女を殺す道理もなかった。
後に苦しむことになる柊美冬を、獄寺隼人は救うことが出来ずに立ち竦む。


ごめん、でも、好きだ。


結局自分も苦しむことになって、死んでも言えない贖罪を胸に抱くわけだが、………それはまた、いつかやってくる未来の話である。






§罪を贖え、嵐の子らよ



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