廿捌ノ参

獄寺の目の前に現れた見知らぬ小鳥は、並盛中の校歌を歌った。

――すぐ近くに雲雀がいる。

獄寺の直感がそう告げた。
この建物の構造上、真横の固いコンクリートの先には空間があることはわかっていた。そこで、獄寺は一か八か、その壁を破壊したのだ。

(…当たりだったな)

読みは的中し、雲雀恭弥を解放することに成功した獄寺は、はしゃいだ(少なくとも獄寺にははしゃいでいるように見えた)雲雀が生き生きと戦闘に突入していく様を見送ってから、その身を壁の奥に押し込んだ。

「…っ、クソ」

予想以上にダメージは大きい。がくがくと震えた足で壁を乗り越えようとして、体勢を崩してなだれ込む。どうにも格好悪い着地だった。ここに沢田綱吉が居なくて本当に良かった、と獄寺は思った。

「っ、獄寺くん!」
「あ…?」

そんな呼び方をするなんて、まさか沢田綱吉かと思ったが、違う。獄寺の目の前に現れたのは、柊美冬だった。

「…な、お前、」

壁を爆破したときに、土煙の奥で何者かが縮こまっているのは視認していたが、意識が雲雀に向いていたため、気がつくのが遅れてしまった。どこかにいるのは間違いないと思っていたが、まさか雲雀と一緒に閉じ込められているとは。

(無事で、良かった…)

とはいえ、彼女も無傷ではない。獄寺ほどの重傷ではないが、腕や脚への細かな傷、何より目立つのは、頬の腫れである。ほっとすると同時に、獄寺はぎろりと彼女を睨み上げる。

「オメーは、何やってんだ…っ」
「ええと…諸事情でここにいます」

何か後ろめたいことでもあるのだろうか、柊の口調にはいつもの明快さはない。すると、がくり、と獄寺の身体から力が抜けおちて、膝をつきそうになってしまう。柊は慌てて獄寺を支え、近くの瓦礫の上に腰かけさせた。

「…っ、さわんな」
「状態を診ます」

すると、どこからともなくリュックを持ってきた柊は、中から包帯や湿布、冷却シートを取り出した。あまりの用意周到さに、獄寺は眉間に皺を寄せた。

「なんでそんなのもってんだよ…」
「いつもリュックに常備してるんです。ランニングの時に足が攣ったりとか、不意にケガする場合もあるのでそういう時に使用します。持ってきておいてよかったです。まあ簡易的なケアしか出来ないので、あとできちんと病院に行ってください。」
「…」

お前、鈍足なのにランニングするのか、という憎まれ口をたたく元気もない。
そういえば、先程すれ違った雲雀もところどころに処置の痕跡がみられた。実際に、てきぱきと処置を施していく柊美冬は非常に頼もしく、そういえば昨年の体育祭の時には保健委員長の代理をしていたのも彼女だったな、と獄寺は思い出した。

瓦礫に腰かける獄寺の下で、膝をつきながら獄寺の手指を入念に触る柊は、「骨に異常はなさそうですね」とブツブツ呟いている。その様子は、図書室で本の修理箇所を丁寧に直す顔と、全く一緒だった。


「……言っておくが、俺は本じゃねーからな」
「何言ってるんですか?獄寺君は人間ですよ」
「丁重に扱えっつってんだ」
「はあ、わかってますよ」


柊美冬が本を雑に扱っているところなど見たこともない。むしろいつも丁寧に、これ以上壊れたり破損しないよう、優しく扱っているのを彼は知っている。
その眼差しが、自分に向けられていると思うと、なんともむず痒い。何より、つい先程自分の気持ちに気づいてしまった獄寺にとっては、この上ない地獄だった。

「うーん、命にかかわる怪我はなさそうですね。今来てる身体の震えは一過性だと思うので、ひとまず指先をテーピングで補強しましょう」
「いらねーよ、俺はすぐ10代目の処に行かなきゃいけねえ」
「獄寺君は火薬を扱うんですよね?細かな震えはミスにつながります。ここは万全を尽くすべきでは。」
「……チッ」

今日の彼女はやたらキレが良い。まんまと丸め込まれてしまい、獄寺は不貞腐れながら舌打ちで返事をした。

的確にテープが巻かれていく一方で、天井からはドンドンガンガン、ボコスコボコスコと雲雀が戦っているであろう音が響く。その度に天井は軋み、壁材が砂となってぱらぱらと二人に降り注ぐ。二人の脳裏には、意気揚々と黒曜生2名を扱き下ろす雲雀の姿が過ぎった。

「…絶好調だな」「ですねえ…」

獄寺のぼやきに、美冬は半ば呆れたように相槌を打つと、ふと、二人の視線が交わった。吸い込まれそうなほど透明な橙色の瞳が、獄寺を捉えた瞬間、獄寺の胸の奥がドッと音を立てた。
……と、同時に、はっとしたように目を丸くした美冬は、明後日の方向に視線を投げ、ぱっと顔を俯かせた。




『これは生まれつきです。変な色だから、びっくりしちゃいました…よね。』

それは、春の終わりに、彼女が発した言葉だ。
とある事故で姿を変えた獄寺に、本来の瞳の色を見られてしまった彼女が発した言葉。
まさかあれが自分だとは、彼女は夢にも思わないだろう。聞けば彼女は、瞳の色を隠して生きているらしい。確かに、周囲と違うものを持つ者は、いらぬトラブルを引き寄せてしまう。

あの時、獄寺は自分の瞳の色を引き合いに出した。その時彼女は、何と言ったのだったか。獄寺はあの日から心のどこかでその言葉を温め続けている。


「……別にいーんじゃねーの」
「え」
「それがお前の“色”なんだろ」

そこまで言って、今度は獄寺が視線を逸らしてしまった。彼女のように綺麗だ、などとは口が裂けても言えない。ここが獄寺の限界である。

「・・・」「・・・」

目の前の美冬がまじまじと獄寺を見つめている。ビシビシと遠慮なく刺さる視線が、どうにも痛い。獄寺が恐る恐る視線を戻すと、二つの透明な橙は、柔らかくかたちを変えた。


「ありがとうございます。嬉しい。」


頬は腫れ、傷だらけの見るも無残な微笑みである。だが、獄寺にとって、それは何よりも極上の微笑みであった。

(………ああ…クソ…)

まるで憑かれてしまったかのように橙に惹かれてしまう。もう後戻りなんて出来ない、と獄寺は己の心中に気が付いてしまった。みるみるうちに頬に熱が灯り、耳まで赤くなっていく自覚がある。

「……なんつーこと言わせンだよオメーは」
「私のせいですか?それ…」

恨みがましく言ってやれば、彼女は苦笑いして再び作業に戻った。戦い抜くために、程よく締めあげられる指先。彼女からもたらされる温もりに、愛しさは募るばかりである。
同時に、彼の腹から沸き上がるのは焦燥だ。


「……」


何故、彼女はこんなところにいるのか。
それは、彼が与えたあの帽子と、何らかの関係があるのではないか。

白くて、大きな鍔の、優美な帽子。



「お前は」
「はい?」
「…どうして、こんなとこに来ちまったんだ」




絞り出した声は、震えてはいなかっただろうか。


予感があった。


答えなんて聞きたくなんて無かった。けれど、聞かずにはいられなかった。


(なにを、聞いてんだ、俺は。)


獄寺隼人は、後悔した。






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