廿捌ノ壱

(………って)


美冬は焦っていた。

(コンタクト、してないんだったーーー!!!!)

どういう振る舞いをすべきか、とか、合わせる顔がない、とか、そんなことばかり考えていた彼女は、すっかり忘れていた。先程ムクロに一方的にやられた際に、カラーコンタクトが吹っ飛んで行ったのだ。

雲雀恭弥に名を呼ばれ、妙にふわふわした心地に浸っている場合ではない。
上司である沢田家光に、あれほど人に見せてはいけないと幼い頃から説かれ続けたというのに。夏前にもうっかりコンタクトを落とし、今回もまたコンタクトがない。
だが、幸いにして、今の時点で雲雀恭弥は何も気がついていなかった。

(あれだけ近づいておきながら、気づかないというのも不思議なものだけれど…)

頬を擽られたり、視線を交わらせたりはしたが、雲雀恭弥は特段その瞳の違いには気が付かなかった。

彼は基本的に興味がないものには大雑把だ。有象無象の差異など、彼にとっては些末でしかなく、取り締まり対象の生徒を見間違えて、無罪の生徒をボコボコにすることもよくあった。無罪の生徒はただただ可哀想の一点である。

今も、ムクロへの苛立ちが先に立っているのだろう。
脱出宣言直後から、雲雀はコンクリートの壁を睨みつけて、何かを考えているようだった。先程まで気を失っていたとは思えないほど充実した気力のベクトルは、全てがムクロへと注がれている。


(そのまま、気づかないでいてくださいね…)


ほんの心持ち、雲雀恭弥から身を離した美冬は、そろりと明後日の方向を向いた。

すると。


「……あれ?」


いつの間にか、あかりとりの窓に、丸っこいものがいた。
それは、先程雲雀が気を失っている間にちょこちょこと出入りしていた小鳥だった。

「…ここに棲みついているの?」

美冬の言葉に返事をすることはないが、小鳥はこちらを見下ろしている。黄色くてふわふわしていて、つぶらな瞳の持ち主は、いかにも愛くるしい愛玩用の鳥だった。

すると。




「おいで」

美冬の背後から、柔らかな声がかかる。
先程までの殺伐とした雰囲気からは想像できないほどの優しい音が、美冬の背後にいた雲雀の口から零れ落ちた。ぎょっとした美冬は、コンタクトがないことも忘れて振り返ってしまった。


美冬の驚愕の視線を余所に、雲雀恭弥は人差し指をすう、と差し出した。
ここに止まれ、ということだろう。

「いや、来ないんじゃないですか…」

言葉が解るわけでもなし、と、美冬は苦笑いした時である。
雲雀の指先を見つめていた黄色い小鳥は、窓辺から飛び立つと、ふわふわと羽毛を羽ばたかせ、ぽとんと雲雀の指の上に着地した。

「ええっ」
「頭は良さそうだね」

小鳥の視線を受けた雲雀は、満足気に頷いた。












ビアンキとM・Mの戦いは、呆気なくついてしまった。
結果はビアンキの圧勝で、彼女が愛の果てに習得した新技が炸裂した結果、M・Mと名乗った少女は無残にも意識を失ってしまった。こればかりは、敵に同情する。獄寺は姉の繰り出す毒の怖ろしさを身を以て体験した一人である。

ビアンキがリボーンの元に駆け寄り、山本と沢田が喜びを分かち合っている陰で。
近くの茂みの中に分け入った獄寺は、がさがさと草をかき分けていた。

「どこいったんだ…」

戦いの序盤、M・Mが被っていた帽子は、戦いのあおりを受けてふわりと飛んで行った。

「お、あった」

それは、少し先にあった木の枝に引っかかっていた。
獄寺はひょいと帽子をとって、ぱんぱんと土埃を払う。こうして土埃を被りはしたが、結果的にビアンキの技を喰らって溶解するような羽目にはならなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

そして、同時に獄寺は確信した。
間違いなく、この帽子は獄寺が美冬にプレゼントしたものだった。

「……」

先程のM・Mの言葉を胸の中で反芻する。

『今頃八つ裂きにでもされてるんじゃないかしら』

とどのつまり、それは美冬がこの黒曜ヘルシーランドのどこかにいる、という意味に他ならない。



「美冬」


ぽつり、と持ち主の名を呼ぶ。その名を決して本人に投げかけたりしたことはない。
瞼を閉じれば、思い出すのは、図書館で仕事をする後姿と、吸い込まれそうなほどに透き通った橙の瞳。
胸の奥を去来する焦燥感の理由は明白だ。おそらく今、彼女に害が為されている。

「無事じゃねーと、ただじゃおかねー…」

そうぽつりと呟いて、獄寺は白い帽子を見つめた。
すると、がさり、と背後の茂みが音を立て、ひょこりと沢田綱吉が顔を出した。

「獄寺君?あ、いたいた」
「あ、す、すみません10代目」

はっとした獄寺は、すぐに立ち上がって、ひょいと帽子を木の枝にかけ直した。

「いなくなったから突然どうしたのかと思って…なんかあった?」

沢田綱吉は、苦笑いしながら獄寺に近寄った。
獄寺は慌てて「いや、その、アネキの技見たら、ちょっと催しちゃいまして」と下手くそな笑みを浮かべる。突如ひねり出した言い訳だが、あり得なくもない現実的なラインをついていた。

「ああ…そ、そっか、大丈夫?」
「はい、戻したらすっきりしました!ご心配おかけしました」

別に嘔吐したわけでもないのだが、そういうことにしておこう。
獄寺はいかにも元気いっぱいです、みたいな不自然なカラ元気を見せれば、沢田は「ならいいんだけど…」と獄寺に笑いかけた。

「じゃあ戻ろうか。先に進もう。」
「そうですね、ご心配おかけしてすみません!」
「全然だよ、無事で良かった」

沢田が投げた慮る言葉に感動した獄寺は、いつものように「10代目ェ」と涙目になった。それはいつも通りの反応ではあったが、一方で沢田は違和感を感じていた。

(あの帽子…)

視界の端には、木の枝に引っかかった帽子がある。
白くて、つばの大きな、女性用の帽子。
それは、先程の敵が持っていたもので、あれが理由で獄寺と敵は小さな諍いを起こしていた。きっと、あの帽子を探していたのだろうと、沢田は思った。

(……今は、何も聞かない方が良いよな)

仮にも今は戦闘中だし、なんとなく、触れてはいけないような気がした。
粗暴に見えて繊細な獄寺隼人という男が、何かを心配していて、かつそれを押し殺しているように、見えたから。


「10代目、行きましょう!」
「うん」


戦いは、まだまだ続く。






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