廿漆ノ陸

(……)


食欲や睡眠欲は人並みにある自覚はあった。性欲は全く分からなかったが、代わりに戦いへの欲望が果てしなくあった。
柊美冬のことを欲しいと思ったのは、物欲に近いと思っていた。手に入らないものを欲しがる、言うことを聞かないものほど屈服させたい、そんな子どもじみた気持ちであることを自覚していた。

だが。甘い香りと、柔らかな肌は、敢え無く雲雀恭弥の奥底を穿つ。表情を崩さなかった女の上気した頬と吐息は、彼の中の雄を浮かび上がらせた。
肌に舌を這わせて、まだ見ぬ服の下の肢体に触れて啼かせたいと、思ってしまった。
今までに決して感じたことのない欲望の名は、すぐに察しがついた。

肉欲。


「……っ」


眼下にいる柊美冬は、依然雲雀恭弥を睨み上げていた。髪は乱れ、デコルテを開けた彼女の首筋には、玉のような汗が光る。
雲雀がつけた赤黒い傷は、彼のものであることを主張していた。全てが目に毒だった。

どくり、と下半身に熱が集中していく。

このまま啼かせて、屈服させて、身も心も手に入れたい。そこに戦闘にも似た快楽があるということを、雲雀恭弥は薄らと知っている。
だが、それらが並盛中の風紀を乱す行為であることも知っている。散々高潔であるべしと部下に説いてきた彼にとって、それは一番にやってはならないことだ。雲雀恭弥は己が欲望に忠実ではあるが、並盛中を統べる者であることも自覚していた。

「……見回りに行ってくる」
「は?」

そう言って柊の上から退ける。
柊の顔は見なかった。見たら、すぐにでも熱が昂ってしまいそうだった。

「運ばれていった彼の穴埋めだよ。今日の分の仕事が終わったら、あとは帰っていいから。」
「……?はあ、わかりました。では遠慮なく。」
「じゃあね」

異様なほどの執着を見せていた雲雀が、呆気なく退いたことに、柊美冬は首を傾げた。だが、彼が気分屋であることは重々承知だった為、いつものことかと思いながらベッドの上から身を起こす。柊がボタンを留めている間にも、雲雀恭弥はさっさと姿を消してしまった。

「……相変わらず訳の分からない人ですね」

柊美冬にとってただの「雲雀恭弥のいつもの気まぐれ」でしかなかったその日の出来事は、その後大いなる禍根を残すことになる。







「おはようございます。……あれ?雲雀先輩は?」
「委員長なら既に見回りに出かけられた」
「朝っぱらから元気ですね…」

翌日から、雲雀恭弥は自ら町内の見回りに出るようになった。陣頭指揮を雲雀自らが執るということで、風紀委員達のボルテージは夏の日照りのように燃え上がってるらしい。残された草壁と柊は、夏祭りの後片付けや体育祭に向けた予算編成にのんびりと明け暮れることになった。

「…まだ外にいるんですか?雲雀先輩こそ熱中症になりそうですけれど」
「そうだな…」

雲雀恭弥は日がな外に出てバイクを乗り回していた。だが、細々と雲雀が現場を見て回るようになったため、熱中症で倒れるような風紀委員はいなくなった。適度な休憩を与えられた委員たちはより一層見回りに励むようになり、結果的に現場の士気は上がった。

その後、柊美冬は“家の事情”により、風紀委員会に姿を見せなくなった。

草壁哲也は、この状況に焦りをみせた。
きっとまた雲雀恭弥は荒れに荒れるに違いない、柊を家から引っ張り出してこいと言うに違いないと思いながら、おそるおそる雲雀恭弥に柊が来なくなった旨を進言したのだ。だが。


「放っておけばいいよ」


雲雀が発したのは、そんな気のない一言だった。
その後、夏休みが明けてしばらくしてから、雲雀恭弥はあっという間に柊美冬を解任したのだった。








淡い色の唇を嬲りたい。
芯の強い瞳に自分を映したい。
その身体を差し出させて、深いところを穿ちたい。

肉欲なんて知らないままでいたかった。
こんな醜い自分を見せることも、ぶつけることも、したくはなかった。
醜い想いは奥底から生まれては肚を這いずり回り、火を残していく。

まるで、引き摺り下ろされたかのような惨めな感覚だ、と雲雀恭弥は思っていた。
高みの見物をしていたはずだったのに、欲望を御するのは思うようには行かない。

案の定、柊美冬を見なくなってからというものの、安堵する日々が続いていた。風紀を乱すものを狩り尽くし、時に部下へ鉄拳制裁を下しながら業務に明け暮れるのは、雲雀恭弥が雲雀恭弥たりえる時間だった。


あれだけ強い態度で否定しておけば、きっともう姿も見せないだろう、と雲雀は思った。
訣別の際に決して気取られぬよう、言葉に棘を混ぜ、乱暴に扱った。聡い彼女はもしかしたら違和感を感じたかもしれないが、歯向かってくることもないだろう。何故なら彼女は、解放されたがっていたのだから。









ふと、脳裏にあの濃い赤のディンブラを思い出した。
夕陽がさしこむ応接室で、雲雀恭弥と柊美冬は向かい合って紅茶を飲んでいた。それは、いつかの記憶である。これは夢だと雲雀は思った。


カップを傾けた目の前の彼女は、口許を綻ばせてこう言った。


『雲雀先輩、大丈夫です』


その顔を、瞳をよく思い出せない。なんだか靄がかかっている。
何が大丈夫なのか、と雲雀恭弥は眉をひそめた時だ。



『大丈夫ですよ、だって、×××××××××××××××』



そう言って、柊美冬は笑った。








………

…………

……………




「…っ!!」



全身を駆け巡る強烈な痛みに襲われて、雲雀恭弥の意識は覚醒した。飛び起きようとするも、起き上がるどころかもがくことしか出来ない。
ズキズキと痛む躰に舌打ちすると、ふと、頭の下に柔らかな何かが敷かれていることに気が付いた。


「目、覚めました?」


は、と気が付けば、こちらを心配そうに見下ろす女の顔。腕は傷だらけで、頬はパンパンに腫れている。だが、瞳に宿る意志の強さは変わらない。その瞳の色は、雨上がりの夕焼けのような、澄んだ橙。



「…最悪の目覚めだよ」
「お察しします」



溜息交じりに雲雀が返事をすると、柊美冬は苦笑した。



それは、短いようでとっても長い、数日ぶりの再会だった。






×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -