廿漆ノ肆



“彼”の話をしよう。


ある朝、学校に遅刻した彼は、その異変に気が付いた。
登校している生徒は少なく、教室に流れる空気は沈痛なもの。
そして、愛する10代目は登校してこない。

適当な理由をつけて学校を出た彼は、異変を感じつつもまずは腹ごしらえにと並盛商店街へ向かった。

そこで鉢合わせたのは、10代目を狙う何者か。辛勝はしたものの、大怪我を負った彼は、愛する10代目こと沢田綱吉に連れられ、シャマルの治療を受ける羽目になった。

根が真面目な彼は、売られたケンカは買う性分だった。
治療後、無理をおして沢田綱吉らと一緒に敵の根城である黒曜ヘルシーランドに乗り込んだ彼は、同級生の戦いを見届け……何故か、お弁当を広げていた。





黒曜ヘルシーランド外苑。
沢田綱吉をはじめ、山本、獄寺、ビアンキ、そしてリボーンは、敵の本拠地で堂々と昼ご飯を食べようと準備を始めていた。山本が寿司折をと茶を配れば、獄寺の姉であるビアンキがしゃしゃり出てきてポイズンクッキングを披露するという、阿鼻驚嘆が繰り広げられている。

『緑黄色野虫のコールドスープ』という名の謎の液体からはもうもうと謎の煙が立ち込め、中では謎の蟲も蠢いている。飲んだら即死と思わせられる逸品に、獄寺と綱吉の腰は完全に引けていた。

これを飲まなければいけないのか、いや、飲んだら敵を倒す前に死ぬ。
そんなことを考えて唾を飲んでいた獄寺だが、突如、パァン!!といういい音を立てて、目の前の液体が破裂した。

「何なの!?このポイズン・クッキング」

悲鳴を上げたのは、青ざめた沢田綱吉である。
獄寺もてっきり姉の能力の仕業かと思ったが、ビアンキが「私じゃないわ」と一歩後ずさった。すると、目に見える異変が起こった。ポイズン・クッキングではないはずの寿司折でさえ、もこもこと膨れ上がっていく。


「伏せろ!!」


山本の合図で全員がその場を避けると同時に、ばぁん、という音を立てて弁当がまたしても爆発した。

それは、敵の攻撃だった。
周辺のそこかしこが次々と爆発していく中で、獄寺は爆発の直前に聴こえる“音”に気が付いた。爆発に耐えながらも聞こえる音を探る獄寺は、出処と思しき箇所にボムを投げつけた。



ドォン!



派手な音を立てて獄寺のボムが爆発する。
周囲は瓦礫の山と化し、立ち上がる煙の中から敵が正体を現した。赤い髪、すらりと長い脚にミニスカートの、獄寺と同じような年ごろの少女だった。


「ダッサイ武器」


愛らしい見た目に反して、その一言目はキツかった。
続けて綱吉たちをじろりと一瞥した少女は、マフィアのくせにみすぼらしい、とため息交じりに言い放った。明らかに値踏みされているとわかる視線に、獄寺のこめかみがぴくりと動く。

(てめぇだってただの制服だろうが!!)

モスグリーンの服は明らかに制服と呼ばれるものである。ただ、小洒落たブーツを履いたり、肌や髪もきっちりと整えられているあたり、彼女の美意識が高いことは窺い知れる。
獄寺こそ上から下まで値踏みするように彼女を見つめていると、ふと少女の傍らにある白に注がれた。それは、白くて大きな…やけに見覚えのある帽子。

(……似てんな)

ある初夏の出来事だ。
とある事件によって獄寺隼人の身体が退行してしまった際に、いろいろあって、獄寺がある女子生徒に渡した帽子に、それはそっくりだった。

ふと獄寺の脳裏を過ぎるのは、透明な橙だ。

普段は隠しているらしいあの透明な橙が笑った瞬間、何とも言えない気持ちになったのだ。胸の中がむず痒くなるような、歯軋りしたくなるような、妙な感覚。

(いや、何考えてんだ俺は)

仮にも敵の目の前である。
ぶるぶると頭を振って、浮ついた気持ちを振り切ろうと眼前鋭く目の前の少女を睨む…が、ちらちらと視界に入る白の帽子が気になってしまう。



「なーに?あんたステリ―ナの帽子に目ェつけるなんて、いい趣味してるじゃない」



少女は、獄寺の視線を感じてクスリと笑った。
手にしていた白い帽子を自身の赤い髪に乗せてにこりと笑えば、彼女の赤に白の帽子がそれはそれはよく映えた。


「ふふ。可愛いでしょ。ステリ―ナの春夏コレクションで日本限定品なのよ。中古なのが惜しいけれどね。」
「……」






愛らしさと毒性を併せ持った笑顔で、目の前の少女は獄寺に微笑みかけた。

だが、獄寺隼人にとって、その帽子が似合うと思える少女は、たった一人しかいない。

透明な橙色の瞳を持った、美冬という名の少女。








「似合わねーよ」
「………は?」
「テメーなんかにゃ、似合わねーっつってんだよ」

たっぷりの間ののち、赤髪の少女の顔からは笑顔が剥がれ落ちて行く。変わって剥き出しになるのは、憎悪と憤怒の表情だ。沢田綱吉の言葉を借りていえば、「あのひと、めちゃめちゃ怒ってんじゃん!!」である。


だが、般若を目の前にしているというこの状況で、獄寺の心は凪いでいた。
こんな非常事態なのに、脳裏に浮かぶのは、あの春の終わりの日のことだ。


『とっても綺麗な色してるね』


あれは薄暗い路地だったはずなのに。
透明な橙はきらきらと輝いて、獄寺のフローライトと絡み合った。優しい手がふわりと獄寺の頭を撫でて行ったその温もりは、甘くて苦い、胸の奥をわしづかみされるような気分にさせられた。

焼きが回ったな、と獄寺は思う。彼はこの時、自分の想いを自覚してしまった。
確かに目の前の彼女の方が美しくて可愛らしくて、あの帽子も似合っているのだろう。だが、獄寺にはどうしても、そうは思えないのだ。

理屈も何もぬきにして、あの帽子が似合うのは、彼にとってはただ一人だった。












そんな時だった。
目の前の女は何かに気が付いたのか、ニタリと厭らしい笑みを浮かべた。

「ああ、もしかしてアンタ、“あの子”の知り合い?」

あの子。
瞬時に、寒気が走る。それはいったい、誰のことを指しているのか?
女は、先程あの帽子を“中古”だと言った。


(……バカな)


もしそうだとして、何故こんなところに彼女がいるのか?
彼女は何があろうと図書室にこもって仕事をしているような性質だ。わざわざこんな場所に首を突っ込むようなことはしないはずだ。

……が。

逃げきれず風紀委員会に拉致されるほどどんくさく、コンタクトを落として途方に暮れるようなうっかり者だ。夏祭りではケンカに巻き込まれたのか意識を失った状態で雲雀に運ばれていった。
妙にトラブルを呼び寄せやすく、逃げ切れない女だということもまた、獄寺隼人は知っていた。

「……」

眉間に、急激に皺が寄る。
目の前の女は、それはそれは愉快そうに笑い声をあげた。
「あの子」とやらが、獄寺の予想通りの彼女だとすれば、それは最悪の事態である。

穏やかだったはずの腹底はぐるぐると渦を巻き始め、獄寺の喉からは、地を這うような低い声が唸りを上げる。

「オイ、持ち主はどうした」
「さあね。今頃八つ裂きにでもされてるんじゃないかしら」

すぐにでも手が出そうになるが、か細く深呼吸をする。
今ここで冷静さを欠くことは、何の得にもならない。

(落ち着け)

相手の揺さぶりにのってはいけない。こちらが動揺すれば、相手の思うつぼだ。今は目の前に己のボスである綱吉がいるし、決して無様な姿は見せられなかった。なにより、下手に動いて何かがあったら、

「……っ」
「ご、獄寺君?大丈夫?」

ごくり、と唾を飲み込む獄寺に、綱吉が異変を感じ取って声をかける。なんでもありません、という声だけ出るが、内心は踏み出そうにも踏み出せず、苛立ちが募った。
一方、目の前の少女は、やれやれと言わんばかりに肩をすくめる。



「あ〜…冴えない男見てると悲しくなっちゃう。やっぱり付き合うなら骸ちゃんがいいわ。男は金よね」


アハ、と浮かべたその笑みは、明らかに周囲のものを見下していた。カチンとはくるが、それでも獄寺は耐える。すると、少女は帽子を傍らに置き、手にしていたクラリネットを構える。それは攻撃への構えだった。


「まぁいいわ。私はあんたたちをあの世に送って、バッグと洋服買い漁るだけ」


愛らしい唇が、リードを震わせる。
木管楽器の美しい調べと共に、再び爆発が始まった。
近づけずにいる綱吉達をよそに、ビアンキが少女の前に立ち塞がった。



「貴女間違ってるわ。大事なのは金でなく、愛よ!」









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