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人の体は結構簡単に吹っ飛ぶものだな、と、頭のどこかで思った。
重力に引っ張られ、強かに、頭を打ち付ける。
勢いづいた身体はコンクリートの上を横に移動し、露出した部分はコンクリートによって傷つけられ、がりがりと皮膚を抉った。
「…受け身もとれないとは、可哀想に」
はあやれやれ嘆かわしいですね、と言わんばかりな、溜息交じりの声が聞こえる。
おいコラ誰のせいだ、せめて縄を解け。
そう言ってやりたかった。だが、声など出ない。代わりに漏れるのは、う、という呻き声のみで、美冬はただただ横たわることしか出来なかった。
強かに頭を打ち付けたせいか、視界が朧気だ
思考が揺れる
頭が、真っ白になる
自我が、途切れて行く
六道骸は、長い脚で美冬の右頬を蹴り飛ばした。
美冬の身体は真横に吹っ飛び、左半身のあちこちに擦過傷が出来上がっていた。脳震盪を起こしているようで、視界も思考も途切れ途切れなのだろう、彼女はどことも取れない中空を見つめ続けていた。
「ご自身の出自については余程念入りに“調整”されたのでしょう。あなたの仰る通り、どこまでも全てが本当でしょうし、故に完璧な嘘だとよく解りました。」
「……」
「逆に、ご両親のことやあの平凡な町への気持ちはどうやら“本物”のようだ。態度があまりにも生々しくて、嘘偽りは感じられませんでした。…お気づきですか?貴方はご自身がが思っている以上に、嘘が下手クソなんですよ。」
カツン。
一歩、六道骸が歩み寄る音だ。
「だから、僕は確信を得ました。貴方は僕の問いに対する答えを持っている」
カツン。
美冬の目の前で靴音が響く。
持ち得る力を振り絞って顔を動かせば、目の前には黒い革靴があった。
(……逃げなければ)
想いとは裏腹に、身体は動かない。
美冬は髪の毛を引っ張り上げられ、強制的に上半身を持ち上げられる。ただでさえ全身が悲鳴を上げているのに、ぎりぎりと頭皮が引きちぎられるような痛みに、美冬は呻くことしか出来ない。
「ぐ……」
「さあ、教えてもらいましょうか……おや?」
美冬の顔を覗き込んだ六道骸の双眸が、訝しげな色を浮かべた。
「随分と珍しい色をお持ちだったんですね」
「………っ」
まじまじと瞳を覗かれて、美冬の顔に緊張が走る。
彼女自身の視界に変化がなかったために気が付かなかったが、骸の言葉が指しているのは十中八九、彼女の橙色の瞳のことを指していた。
(しまった、コンタクトが…)
衝撃を受けた際に吹っ飛んだのだろう。経緯は判らないが、おそらくそういうことだ。
そして、ここまで瞳と瞳が近づいたことで美冬もようやく気が付いた。六道骸もまた、特異な色をもっていた。
絶望の青と、惨劇の赤。
「………あなた…だって、」
「それがなにか?」
指摘はされ慣れているのか、六道骸はあっけなく首肯した。
そんなことはどうでもいい、そう言っているのかのようだった。
「では、改めて。この町に巣食う、マフィア共の……ボンゴレ10代目の居場所を寄越しなさい」
それは最早、問いかけでさえなかった。
圧倒的な力の差を見せつけて、ボロボロにして、情報を吐き出させる。痛みになど慣れていない事務員を縛り上げるには良いやり方だ、と美冬も思う。
だが、美冬の答えは。
「……ノー、コメント、です」
命に代えてでも、マフィアには守るべき掟がある。
「おやおや、貴方まで“沈黙の掟(オメルタ)”ですか。彼といい困ったものだ、まったく」
「…ぐ、」
美冬とて、CEDEFの一員なのだ。屈する気などさらさらない。
精一杯の想いを込めて睨み返せば、六道骸は面白そうにクフフと笑みを漏らす。
「綺麗な瞳で睨んでも、恐ろしくも何ともありませんよ…仕方がありませんね」
髪を掴んでいた骸の手が呆気なくぱっと離された。
中空に放られた美冬の身体は、どさり、という音と共に、コンクリートに崩れ落ちる。
「もう一度、味わってもらうしかない、か」
美冬の視界に、黒の革靴が映る。
それは振り上げられて、彼女の顔面に迫ろうとしていた。
(……ああ)
何やってるんだろう、私。
泣きたい?
いや、ちがう。
妙な気分だった。
いったいどこから、いったいなにが、間違っていたんだろう。
身体は動かないが、ゆるゆると口角が上がっていく。
それは自嘲だった。
そうして、彼女の意思とは裏腹に、唇が勝手に動いた。
『あなたの欲しいものは手に入らないわ』
ただただ迫る靴の先を見ながら、美冬、のカタチを象ったものは、笑った。
『だって、私は、あなたがいい』
視界は途絶え、彼女の記憶は、暗転する。