廿陸ノ参

蒸し暑い車内に、薄ら香る煙草の匂い。
よくある、日本のタクシーの車内だ。

ラジオから聞こえる軽快なジングルとは裏腹に、乗客の少女二人を纏う空気は凍てついていた。




『あんたにはさあ、聞きたいことがあんのよ。だからまだ殺さないわ。』
『うちのムクロちゃんがね。』

ムクロちゃん――即ち、脱獄囚のムクロのことを指しているに違いない。M・Mの言葉から推察されるのは、ムクロはこのタクシーが行き着く先に潜伏し、ボンゴレについてを嗅ぎまわっているということである。

(……やられた)

迂闊としか言いようがなかった。まんまと罠にかかったのは自分だった。
現場に残る痕跡を探しに出たつもりだったが、逆張りされている可能性を考慮せずに行動してしまった。

(これがバジルであれば、すぐに逃げきれたのだろうけれど…)

潜入捜査もお手の物な戦闘員の幼馴染の姿が脳裏に浮かぶが、ないモノ(能力)はない。逃げることは出来ないが、幸いにもすぐに殺されることもなさそうだった。


美冬は困惑しつつも考えた。


M・Mは『アイツらの役目のはずなのに』と言った。すなわち、ボンゴレの情報を持っているものを襲撃し、情報を得るための遊撃部隊が別にいることになる。おそらく、一連の並中生襲撃事件の実働犯は彼等に違いない。

そういえば、ムクロの足取りを追っている際、ついたり離れたりしながらも2名の少年がムクロに付き従っているように見えた。ムクロと同い年くらいの、それぞれが全く印象の異なる少年たち。

ムクロ、少年2名、M・M。同時に脱獄を果たした囚人たちも、彼らの仲間としてカウントするべきだろう。


そこで彼女は、朝方に処理後、放置してしまった解析の結果を確認しなかったことを悔やんだ。ムクロの目的地が日本だと判明していれば、もう少し慎重になれたような、そんな気がした。



「………はあ」
「辛気臭いため息やめてよ。アンタみたいなセンスの欠片もない女を横に置いてる私の方が溜息つきたいわ。」


思わず零れた美冬のため息に、M・Mが苛立ちを見せる。


「だいたい、日本ってホント蒸し暑すぎ。この車、クーラーくらい無い訳?」
「すみませんね、クーラー壊れてるんですわ」


後部座席でふんぞり返って足を組むM・Mの毒づきに、運転手は苦笑いをしながらそう返した。は〜!?と憤慨した少女の勢いに負けた運転手から窓を開けて良いと言われ、M・Mは仕方なく手動で窓を開けた。

車内には風が取り込まれて、籠った熱気と煙草の香りが、次第に薄まっていく。


「はあ、やっとマシになったわね……ああ、そうだ」
「?」
「さっきの通信端末没収するから渡しなさい」


そう言って、M・Mは掌を美冬に差し出した。
美冬がぎくりと肩を揺らせば、「当たり前でしょ、なんでわざわざ敵にアジトの位置を教えないといけない訳?」とM・Mは呆れたように笑う。

(…何から何までお見通しか)

せめてCEDEFに衛星端末を使ってアジトの場所を知らせることが出来ればと思っていたが、相手の方が一枚上手だった。さすが脱獄後に入国まで果たしただけあって、頭はキレるらしい。美冬は渋々懐から端末を取り出すと、M・Mに手渡した。

「どうしようかしら、これ」

暫く考えあぐねた彼女はぽい、と窓からそれを投げ捨ててしまった。

走行中の車から捨てられた端末は、数秒も経たぬうちに、後続車のタイヤの下敷きになって粉々に砕け散る。ぱきり、という音も聞こえることなく、美冬の視界の端から消えていく。


「……」
「アンタ、さては“現場”の人間じゃないわね?」
「!」
「勘が足りてなさすぎ」


抉るようなM・Mの言葉に、美冬はぎりぎりと唇を噛む。
すると、前方から運転手が非難の声を上げた。

「ちょ、お客さん困るよ〜ポイ捨て禁止だって」
「うっさいわね、あんたは黙って運転してなさい!」

一見、ただのポイ捨てである。運転手は正義感を持って少女を正した……つもりだったが、相手はただの美少女ではない。極悪な脱獄囚であった。
M・Mは運転席の背部をダン!と蹴り上げ、運転手は「ひ!」と声を上げる。

「申し訳ありません、以後気を付けますね」

運転手が思っているよりもはるかに緊迫した状況のなか、美冬はこれ以上事を荒立てない為にも謝罪を口にした。ここで万が一運転手がM・Mを車から下ろせば、癇癪を起した彼女が運転手をどうするかわからない。


「ハン、何勝手に謝ってるわけ?」
「穏便に済ませたいだけです。余計な殺しはさせませんよ」
「いい子ぶっちゃって。ムカつく女ね。」


ぴきり、と青筋を立てるM・Mと、美冬は互いに横目で睨み合った。


やがて、二人を乗せたタクシーは、住宅街を走り、工場群を抜け、やがて黒々とした森へと進んで行く。道順から行先を察した美冬は、ぽつりとM・Mに問う。


「…行先は黒曜ヘルシーランドですか?」
「あら、知ってるの?」
「書類上で見かけた程度ですけれど。一応は。」


黒曜ヘルシーランドと言えば、この町の巨大な不良債権のひとつである。
倒産後、立地の悪さから買い手がつかずにそのまま廃墟化し、ますます買い手がつかなくなってしまったという物件だ。以前、風紀委員会で近隣の大きな建物を買い取るという話があり、目をつけていたが、並盛中からあまりにも離れていたため、すぐに候補から外された物件だった。


「たしかに、大きさも設備も、アジトにはもってこいかもしれませんね」
「私はやーよ。アジトにするならもっときれいな三ツ星ホテルが良かったわ。」
「まあ、住みたくはないですよね…」


基本的に、施設の名残で水道やガスなどの設備はそのまま残されていたはずだ。ただ、廃墟に住めるかと言えば、住む人間の心持次第だが。
やがて、そびえたつ廃墟の前で、タクシーは停車した。

タクシーから降りたM・Mは「こっちよ」とつかつか廃墟の中に入っていく。
がらんとした建物は、ところどころ屋根が朽ちていた。廃墟の闇と、秋空の澄んだ光のコントラストが眩しくて、上手く目を馴らすことが出来ない。カツカツという足音を空虚に響かせながら、美冬はM・Mの後を追った。


(この先には何が待ち受けているのだろう)


闇に向かって足を勧めながら、美冬は考える。

拷問でもされるのだろうか。それとも、なぐさみものにでもされるのか。

なんにしたって良い運命は待ち受けていなさそうである。



奥へ奥へと歩みを進めれば、塗り重ねられていくように、闇はいっそう濃く、深くなる。やがて辿り着いたのは、光など一切届かない、建物の最奥。ただただ何もない、がらんとした部屋だった。M・Mは明るい声で「ただいま、ムクロちゃん」と、闇に声を放つ。


(ムクロ、やはりここにいるのか)


戦慄する美冬を余所に、M・Mはすんすん、と鼻を鳴らしては顔を顰める。

「…って、客でも来てたの?なんか血生臭いけど」

確かに、鉄さびのような匂いが、美冬の鼻腔を擽った。
すると、M・Mの問いに、返事が返ってきた。

「今ちょうどお相手が終わったところですよ。おやおや、ずいぶん素敵な帽子を手に入れたようですね」
「フフン。いいでしょう。ステリ―ナの春夏限定コレクションよ」

人影は見えなかった。
闇の中からは、男の声が響く。
丁寧で、物腰が柔らかで、…性格の悪そうな声。


M・Mは、帽子のつばを持ちつつ、くるりと一回転してポーズをとった。濃緑のスカートが軽やかに揺れるさまはずいぶん愛らしく、まるでモデルのようである。

「おや可愛らしい…で、そちらは?」

それは、実に愉快そうな音だった。


「ムクロちゃんに、素敵なお土産。そうねえ、一千万でどうかしら」
「クフフ…土産というならタダで差し出すのが一般的では?」


カツン。

M・Mのものではない足音が響いた。
すると、何もないと思われていた部屋の奥、闇の中から、ぬるりと人影が現れた。


「やーよ。だいたい、骸ちゃんはそういうビジネスの仕方はしないでしょ」
「確かに。ですが、一千万の価値があるかどうかは、情報次第ですね」


それは、美冬がモニターの中で見つめ続けた少年であった。


「普通のお嬢さんのようですが?」
「それがどうやら、そうでもないみたいよ」


M・Mに背中を突き飛ばされ、よろよろと骸の前に身を差し出す羽目になった美冬は、その身を以て彼と対峙した。彼は、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。


「はじめまして、可愛らしいお嬢さん。六道骸と申します。以後お見知りおきを。」


優しげな口許。どこか奇抜ではあるが、洗練された空気。差し出された手。それはモニター越しに見た、人を魅了するための仮面と同じものだった。

何と返すべきか。

相手に合わせるのか、一瞬迷った美冬が出した答えは。


「残念ですが私は貴族の娘じゃないので、そのカオは通用しませんよ」


ぱきり、という音は聞こえなかっただろうか。
ムクロ、こと六道骸の仮面は真っ二つに割れ、中から現れた本体が、ニタリと唇を釣り上げた。それは、人を誑かし、各所で人を欺き、殺してきた、第一級の犯罪者の笑いだ。



「これはこれは。妙なモノを連れてきましたね。M・M。」

「でしょ?一千万、待ってるわよ」



じゃーね、と言って白い帽子とM・Mは姿を消し、闇に残されたのは美冬と骸の二人きり。


「では改めて、お名前をお伺いしましょうか、お嬢さん」


鉄さびのような香りが、つん、と鼻についた。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -