廿伍ノ弐

心ここにあらずの柊に、「美冬ちゃん、授業終わったよ、」と声をかけてくれたのは、前の席の友人である。

「…え、早くないですか」
「ちょ、美冬ちゃん聞いてた?!今日は午前授業になったでしょ?」
「………そうでしたっけ」
「あ〜〜〜もう、笹川君のことが心配だからって、美冬ちゃんがそんなになってもどうしようもないじゃん!」
「………め、面目ない」


緊急事態の連続に、教師の対応が追いつかず今日の授業は中止となった。
確かに、生徒が一気に数十名も入院したのだ、教員たちも情報収集やら見舞いやら保護者対応やらで、猫の手も借りたいといった感じなのだとか。

(この事態を、風紀委員会が傍観している…わけがないですよね)

おそらく雲雀恭弥のことである。
既に対応に動き出しているに違いない。
そう考えれば、朝から風紀委員たちが殺気立っていた理由も判ったし、服装指導の場に雲雀の姿がないことも納得できた。

(……いつもなら、真っ先に連れていかれてたところですね)

こんな異常事態ならば、柊美冬の手だって借りたいだろう。だが、実際は連れていかれるどころか、風紀委員たちに声をかけては避けられてしまった。

(ま、お役御免されたんだから、しょうがないですよね、うんうん)

何故か、胸の奥がじりじりと焦れつく。
だが、そんな痛みを注視している場合ではないと、柊は荷物を手にして席を立った。すると、柊の目の前にいた女子生徒は、じとりとした眼差しをこちらに向けてくる。


「……美冬ちゃん、まっすぐ帰んなよ?」
「えっ?」


柊の顔が引きつるのを見逃さなかった女子生徒は、その眼光を更に鋭くさせて追撃する。


「先生も言ってたでしょ、騒ぎが落ち着くまで自宅待機だって。……笹川君のところ行こうとか、やめときなよね。」
「ま、まさか!そんなことするわけないじゃないですか!」


帰りますよ、当たり前じゃないですか、だって危ないですもんね……それじゃ!
つらつらと科白を棒読みしながら、柊美冬は教室の入り口からフェイドアウトした。
訝し気に思ったクラスメイトたちが窓から正面玄関を見下ろせば、柊美冬は鈍足なりにも走って下校していくではないか。

「あれ絶対笹川ん所行くな」
「行くね」
「あの二人本当に付き合ってないんだよね?」
「らしーけど、時間の問題じゃない?」


すると誰かが、こんなことを言った。


「……美冬ちゃんさあ、嘘、下手になったよね」
「たしかに」











かくして、柊美冬はまっすぐに並盛病院へとやって来た。
柊は受付で笹川了平の病室番号を聞くと、すぐさま彼の病室に足を運ぶ。
院内は急患だらけで上へ下への大騒ぎで、外来には並中生とその家族や関係者、教員の姿が多数見受けられた。

(……なるほど、これは大事ですね)

怪我をしている面々の顔を見ては、頭の中の生徒名簿と照らし合わせながら歩く。どれも屈強な男子ばかりが狙われているといった印象だ。
そうして足早に病院の廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

「あれ?柊さん?」

聞き覚えのある声に足を止めて振り返ると、給湯室から笹川京子が花瓶を片手に飛び出してきた。

「ああ、やっぱり…!」

タタッと足早にこちらへ駆け寄ってきた京子は、「柊さん、もしかしてお兄ちゃんのお見舞いに来てくれたんですか?」と屈託のない笑みを浮かべた。柊が頷けば、京子の顔はぱっと明るい色に染まる。

「嬉しい!お兄ちゃんも喜ぶと思います。」
「…あの、笹川君の容体は?」
「大怪我してますけれど、でもピンピンしてます!」
「……(どっち?)」

京子の言葉に首を傾げていると、京子の頬は突然ぷくりと膨らんだ。

「もう、銭湯の煙突になんて登るからあんな怪我しちゃうんですよ……柊さんからもきつ〜く叱ってあげてくださいね!」
「……」
「柊さん?」
「わ、わかりました。お任せください。」

大怪我だというから心配してやって来てみたものの、京子の様子にすっかり拍子抜けをしてしまった。だいたい、京子に心配をかけたくないとはいえ、いったいどんな嘘をついているのだ。

(設定に無理がありますよ、ばかじゃないですか)

兄譲りのド天然の持ち主である京子はこの嘘を信じ切っているようだが、柊からすれば嘘だということはすぐにわかる。まさにこの兄にしてこの妹だ、身を引き締めていた緊迫がゆるゆると弛緩していくのを感じながら柊は京子と共に笹川の病室へと向かった。


すると、京子ははっと何かを思い出したかのように足を止めた。

「?どうしました?」
「あ…」

柊も足を止めて京子に問えば、京子ははたと柊の顔を見て大きな瞳をきらりと瞬かせた。

「あ、えっと、私、お菓子買ってこなきゃ!柊さん、私が戻ってくるまでお兄ちゃんの傍に居て貰って良いですか?」
「えっ!?急ですね!?」
「お母さんに買ってきてって言われてたんで…すみません、お願いします!」


そう言って京子は手にしていた花瓶を柊に押し付けると、くるりと踵を返してそそくさとその場を去って行く。どうぞごゆっくり、と意味深な笑顔と言葉を残して。


「えええ……」


柊美冬は花瓶を片手に途方に暮れた。
そして気が付けば、そこは笹川がいる病室の目の前だった。


この扉の奥に、怪我を負った笹川了平がいるという。


(……どんな顔すればいいんだろ)


これまで、同僚のバジルもまた、幾度となく大けがして入院してきたが、特に何も思うところはなく普通に見舞いに行けた。それは彼が家光に鍛えられているおかげで、ちょっとやそっとのことでは死なない、とわかっているからである。

だが、笹川了平はなんだかんだ一般人だ。
大怪我した一般人は、いったいどんな反応をするのか。しょんぼりしている?それとも泣いてる?ショックを受けている?
そして見舞う側はどんな顔をすればいいのか。優しく甘やかすべきなのか、労わるべきなのか、はたまた元気を出してと寄り添うべきなのか。


(ううん、わからない…)


とはいえ、ずっとここに突っ立っている訳にもいくまい。

「よし」

とりあえずは、様子を見てから対応を考えよう。
柊美冬は意を決して、病室の扉を開けた。









「ん…京子か?遅かったな」








ベッドの上にいたのは、全身を包帯で固められた、笹川了平だった。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -