紅狼に入学式が終わったことを知らせ、帰路につこうとしたまさにその瞬間。
「かい……五十嵐!」
 名前を呼ばれ、振り向いた先には、代表挨拶をしていたおとこが息を切らせて立っていた。
「……なんか用か」
「……っ、あの、これから時間ある? ちょっと……話がしたくて」
 都合がわるいことがあるとへらへらと笑ってごまかそうとする豊が、しっかりとこちらを見据えていた。それだけで彼方は彼の意識に変化があったことを悟り、自分でも気づかないうちにうなずいていた。
「えっと、じゃあ大学から出て……お昼ご飯が食べられるお店にいかない?」
「いいぜ」
「あの、安心してね。徒歩圏内にある、ふつうのお店だから」
 やたらと気を遣ってくる豊がおかしくて、つい笑ってしまう。
「ふつうじゃない店ってどんな店だよ」
「あ……や……うん、そうだよね。変なこと言ってごめん」
「大学の下見にきたときに見つけたところなんだけど」と豊が案内してくれたのは、女性客が多いカフェだった。とは言っても、ファンシーな雰囲気はなく男性でも入りやすそうではある。大学が本格的に始まればおとこの客も増えるのかもしれない。
 自炊ではあまり食べないものを注文したくて、コブサラダとペスカトーレとブレンドコーヒーを頼んだ。豊は「同じのでいいや」と言って、結局彼方が決めたものをふたつずつ注文してしまった。
「で、話ってなんだ」
「いきなりそれ? もうちょっとゆっくりしてからでも……」
「ほかに話題あんのか? おれ、とくにないんだけど」
 がくり、肩をおとしたおとこは口をもごもごさせたのち、「ごめん」と小さく謝罪を述べた。高校のころのことを謝っているのかとおもったが、どうやら違うらしい。
「代表挨拶さ……、たぶん、するべき人間はおれじゃなかった。親がさ……、面子を気にするひとたちだから……」
「そんなもん、べつにだれがしてもいいだろ」
「え、でも、『なんであいつがのうのうと挨拶してんだよ』とかおもわなかった?」
「や。めんどうが避けられてラッキー、としか」
「なんだ……そっかぁ……」
 心底ほっとした、という表情で眉をさげながら笑みを浮かべた豊に彼方はなんともいえない気分になる。
 深海豊とは、こんな人物だっただろうか。
 すくなくとも、自分が知る彼はこんなふうに笑いかけてはこなかった。どちらかというと敵意を向けられていたとおもうし、素直じゃなくてだらしないイメージもある。
 なにがきっかけで変わったのだろう。
「もしかして、話ってそれか?」
「え、うん。過去のことは……五十嵐が聞いてくれなさそうだから。おれはさ……、また一からやりなおしたいなって。いや、やりなおすって表現はおかしいか。五十嵐と、今度はちゃんと……友人、に。なりたいんだ」
 ゆうじん。
 おもわず復唱してしまう程度には意外な単語が、豊の口から飛び出したと感じた。
「今さら虫がよすぎるかもしれないけど……、チャンスがもらえるなら、おれ、がんばりたくて」
「……べつに、がんばる必要はないだろ」
「……え?」
「友達になるのに、なにをがんばるんだよ」
 彼には彼方をリコールしたという負い目があるのだろう。けれど、自分はそれを恨んでいないのだから、いらぬ気遣いはするだけむだというものだ。
「一緒に飯食って講義受けてれば、そんなんそのうちなってるもんだろ」
「……っ、一緒にお昼、食べてくれるの? 被った講義で隣の席座っても、いいの?」
「ほかの予定がなければな」
 ごくふつうのことを言ったつもりだったのだが、感極まったという様子で涙を零し始めた豊に内心彼方はぎょっとした。
「ご、ごめ、うれしくて……」
 慌てて滴を拭うおとこがなんとなく可愛く見え、微笑を浮かべる。
「おまえ、そんなやつだったのか」
「……っ、あの、その」
「前のおまえより、今のおまえのほうがずっといいとおもう。『おれは』な」
「あ、ありがとう……」
 赤くなったり青くなったり忙しいやつだな、と笑う彼方はこのとき弟ができたような心地がしていた。豊の心情など、まったく理解する気もないまま。
 注文したものが運ばれてきたあとは、てきとうに会話をしながら食事を開始した。
 前後左右、三百六十度どこからでも視線を感じたが、あの学園で過ごしてきたふたりにとってそれは日常の一部でしかなかったし、顔優先で選ばれる生徒会役員の元会長と元会計――ようするに、超絶美形がふたりということだ――が揃っているのだ。騒がれないほうがおかしい。悲鳴や歓声があがらないことに違和感を覚えるも、こちらが正しい世界だ。いずれ、慣れるだろう。
 豊との食事は、案外わるくなかった。静かに、緩やかに、手と口を動かして出されたものを胃に収納していく様は、うつくしい。彼方だって、きたないものや醜いものよりきれいなものを好む。高校のときのように変に突っかかってくることさえなければ、この先も問題なく友人づきあいができそうだと判断したところで、テーブルの上においておいたスマートフォンが振動した。連絡してきたのは、おそらく紅狼だろう。入学式が終わったのに自分が帰ってこないため、「なにしてるんだ」的な内容が書いてあるに違いない。
「わるい、食い終わったらそのまま解散でいいか」
「あ、うん」
 残っていた料理をすばやく平らげ、会計を済ませて店を出る。
「じゃ、また、大学で」
「おー」
 手を振る豊に手をあげて応えたのち、背を向けて彼方は駅に向かって大股で歩き出した。
 ランチのためにすこし移動したので、いつもとは違う駅を使うことにした。それでも、問題なくマンションには戻れる。
 駅の改札を抜け、ホームについてから返信をした。
「知り合いと飯食ってた、今から帰る。……でいいよな」
 その後はスマートフォンが震えることはなく、マンションまでのさほど長くはない道のりはあっという間に埋まっていった。


「ただいま」
「…………おー」
 扉をあけてそう言えば、なにか言いたげな紅狼がそれに応えながらちらりと顔を覗かせた。
「遅くなってわるかった。飯は? 食ったのか?」
「……さっき、カップラーメンで済ませた」
「そうか」
 金持ち校にいたからといって、そういったものに無縁というわけではない。寮や学内にある購買ではコンビニにあるような弁当やおにぎり、サンドイッチ等が買えたし、そこにカップラーメンも並んでいた。高校生活の終盤、自炊のために通っていたのでそのへんは熟知している。そのため、紅狼がカップラーメンを食べていても驚くことはなかった。

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