仕事場にいつもより少し遅れてきたパウリーは何故だか上機嫌だった。昨日の夜、あちらこちらを駆け回って人探しをしていたときには随分殺気立っていたというのに。……ああ、その目当ての男を見つけたのか。パウリーは大金を手に入れる算段がついたらしく、男を探していると言っていた。その男が見つかったというのなら機嫌もよくなるはずだ。たしか、二十代後半から三十くらいの身長の高い無表情の優男、だったか。 その特徴を聞いた時におれが初めに思い出したのは、今は“猟犬”と仇名されるほどになったガルムという海軍将校だった。整った容姿を持ち、ほんの少しも表情を変えない仕事人間。十代の頃にひと月ほど教育係として自分の就いた男で、何を教えられたわけでもないが着いて回るうちに、一緒に過ごすうちに、すこしだけ考え方が変わったのは事実だった。だがおれはガルムという男が嫌いだ。嫌い、と言ってしまうのは幼すぎる考えだとわかっていても好きにはなれなかった。実力を見誤って負けたときから好ましくなかったが、それ以上に表情の変わらない顔だとか感情の見えない声色だとか何を考えているのか読ませない丁寧な口調だとか、何もかもが気に食わなかったのをよく覚えている。 しかしガルムとは十数年前にひと月一緒にいただけで、その後会ったわけでもない。おれとはもう関係も何もない男だ。しかも政府にまで噂が届くほどの仕事人間であるガルムがパウリーの探している人物なわけもなかった。 「ああーッ!!」 「“なんだパウリーうるさいクルッポー”」 「飯……忘れた……!」 パウリーはどうやら昼飯を忘れたようで項垂れていた。馬鹿なやつだと思いながらも「“買ってくればいいッポー”」と返してやれば、パウリーはそんな金はないと憤慨した。おれが怒られる理由はどこにもない。腹が空いて苛立っているのだろうが、まったく迷惑な話だった。大体、ガレーラは儲かっていて安い金で雇われているわけでもないのに、ギャンブルに全てつぎ込むということ自体理解できない思考回路だ。 「くっそ……せっかくもらったのに」 「“もらった?”」 「そうだ、昨日の探してたやついたろ? 今朝そいつ見つけてそん時に昼食に、ってもらったんだよ……おれのサンドイッチ……!!」 正確に言えばそれはお前のサンドイッチではなく、その男のものだろう。おそらくパウリーがあまりにも哀れだったからサンドイッチを渡したのだろうに、せっかくの親切を無下にされてその男も哀れだ。「あー……」と気力をなくしたパウリーが唸る横で飯を食おうとしたら、物凄い視線が突き刺さる。だがおれがパウリーに飯をくれてやる理由はない。 「おーい、パウリー」 「あん?」 「入り口んとこに客じゃ。背の高い無表情の優男、昨日言ってた男じゃないかの?」 飯を買いに行くと出て行ったはずのカクがすぐに戻ってきてパウリーにそう言った。パウリーはわかりやすく目を見開いて勢いよく立ち上がる。驚いた、パウリーの探していた男と言うのはわざわざ忘れたものを届けに来るようなお人好しだったらしい。せっかくだから暇潰しにその男を見てみようと言う気になってカクと共にパウリーのあとに着いていくことにした。一緒に立ち上がったおれを見て、パウリーがすこし目を丸くする。 「なんだ、お前らもくんのか?」 「“お人好しに興味があるッポー”」 「あー、たしかにすげェお人好しだ……何考えてんのか若干わかんねェけど」 「本当にパウリーの言った通り無表情じゃしな。そういえばワシ、昨日も会うたわ」 「マジで?」 「マジじゃ。宿屋の場所を聞かれた」 「あー、旅行中って言ってたからそれだな」 軽い会話をしながら入り口に向かって歩いていると、前を向いたパウリーが一気に走り出した。先ほどまで無気力状態だった男とは思えない。パウリーが走って行く方向におれも視線を向けて、一瞬、息が止まりかけた。──ガルム? 十数年会っていない男の顔を正確に把握しているとは言い難かったが、よく似た男であることは確実だった。……いや、他人の空似に違いない。まさか、あのガルムがここにいるわけもないのだから。そう自分に言い聞かせてみても、心臓が少しうるさかった。 「ガルム!」 「昼食ないと困るんだろ? 届けに来た」 ……パウリーの発した名前とガルムが発した声で、それが事実だったことを思い知らされる。あのガルムとパウリーが話している男が同一人物だということを理解して、そこからの思考は早かった。どうしてここにいる? なんの任務だ。おれたちと同じ任務で違う方向からアプローチをかけていると言う可能性もありえるが、こちらになんの連絡も回ってきていないというのはおかしい。政府経由の任務でないのならば連絡が入ってこないのもわかるが、海軍は政府とは別に古代兵器を狙っているということか。いや、しかし、邪魔し合うような形になりかねない……どういうことだ? 妙な違和感を覚えながらも足を動かし、不自然にならぬ程度に考え始める。そんなおれの変化に気が付いたカクは小さな声で耳打ちした。 「どうしたルッチ」 「……“猟犬”ガルムだ」 「! あれが?」 カクが視線を向ける先では、感極まったパウリーに身体を叩かれているガルムの姿がある。とてもではないが噂に聞くような男には見えないだろう。けれどその姿と本質が一致しないことは嫌というほど理解させられていた。ガルムの唇が動く。「それから今日のことだが」。会話を盗み聞きしているうちにふと気にかかったことがあった。ガルムが誰にでも使っているはずの敬語が外れていて妙に親しげだということだ。それが違和感の正体か? しかしもしガルムが任務でパウリーに親しく接しているとすれば、仕事人間のガルムのことだ、そういうものだという納得もいく。……納得がいく、と考えながらも胸に引っかかりを感じて、ただじっとガルムのことを見た。ガルムは会話を早々に終えて、どこへともなく消えていく。パウリーが戻ってきて、あれがそうなのかと会話を繰り返し、ある程度の情報を理解することができた。 ヤガラレースで偶然隣に座った男が、偶然ヤガラ券を押し付けてきて、偶然そのヤガラ券が当たって、偶然朝見つけて、偶然すごく気のイイヤツですべて金をくれるというので待ち合わせをした。──どう考えたって出来すぎている。ほぼ任務と考えて間違いない。 「ほー、五千万ベリーも! そいつァすごい!」 「だろ? でもなァんか変なんだよな、あいつ。当たっても全然嬉しそうじゃなかったし、それどころかおれに押し付けてきたんだぜ?」 「はー、気前がいいのう。ワシにはよくわからんがその金を使い切りたかったんじゃあないか?」 「なんだそりゃ。だったら飯でも食ってぱーっと使えばいいじゃねェか」 「いやだから、ワシにもわからんて」 そんな会話が繰り広げられている横で、おれは一言も発せずにいる。頭の中には以前よりも成長した男の姿。 ガルムは、一度もこちらを見なかった。──にわかに湧き上がったのは苛立ちだ。そんな感情が無為だということも理解している。なのに、たまらなく苛立った。存在の否定でもされた気分だ。あんなやつに見られなかった程度で? 馬鹿らしい。馬鹿らしい。それなのに、自分を一切見ないその姿が焼き付いて離れない。 「“パウリー、せっかくの当たりならおれたちも飲みに連れてけクッルポー”」 忘れたと言うのなら、嫌というほど思い出させてやる。 |