ナマエがイゾウを大切に思っていたことなどは、エースの口からあっという間に白ひげの本隊に広がってしまった。そうでなくとも先ほどまで真っ青な顔をしていたイゾウが子どものようにべったりとナマエにくっついていれば、何かあったことなど口にされなくともわかるのだが。
 そんな二人の様子に古参の者たちはなんとも言えぬ表情を作っていたが、誰よりも表情を苦いものに変えていたのはナマエその人だった。これでもかと不機嫌に顔を歪め、イゾウを剥がしては歩き、またくっつかれては剥がしを繰り返し、そうして耐え難くなったのだろう。べったりとくっついていたイゾウの頭に拳骨を落とした。


「いい加減にしねェかクソガキ! 邪魔してんじゃあねェ!」

「……だって兄上、離したらご自分の船に戻られるでしょう」

「当たり前だろう。オヤジさんへの挨拶は済んでる、女に手を上げるやつらでもねェのなら客の相手をするのは女たちだけで十分だ」

「ならおれのそばにいてください」


 苦いものでも噛んだかのようにナマエは顔を歪めた。ナマエとてイゾウにとって自分が唯一であることくらいはわかっている。そしてひどく傷つけてきたこともだ。しかしだからといって、優しくそばにいてやるなどということができるわけもない。もはや今更、である。
 はあ、とナマエは深くため息をついて、イゾウを見下ろした。いつかイゾウを置いていったときのような疎ましげな視線に、イゾウの肩がびくりと震える。


「離せ」

「いや、です」

「イゾウ、離せ」

「ッ、嫌です!」


 振りほどかれてもめげずにナマエの服を掴む光景を、古参の幹部たちは特に嫌な顔をしてみていた。思い出すのだ。昔、ナマエが泣き喚くイゾウを置いていったあの光景を。じっとりと責めるような視線が他のクルーから向けられても、ナマエは毅然とした態度を崩さなかった。それもあのときと同じままだ。
 しかし、イゾウの目にうっすらと涙が浮かぶと、ナマエはその手をゆっくりとイゾウの顔へと持っていき──そしてがつりとこめかみへ叩きつけた。泣きそうに顔を歪めるイゾウを見下ろすナマエの目はとても冷たく、ナマエがイゾウのことを思っているなどまるで信じられないほどだ。


「お前はオヤジさんの隊を任されてる隊長なんだろうが。こんな衆目の前で他人に弱さを見せるんじゃねェ」

「やぁねぇもう、ボスったら」


 クルーたちの殺気と冷えきった空気の中、二人の間を割って入ったのは、ひとりの女の声だった。ころころと笑いながらナマエを見つめる目は温かく、きらびやかな顔には程遠い母のような優しい空気を持つ女である。若そうには見えなかったが、しかし老いているという雰囲気もない不思議な女だった。すこし首を傾げてため息をついた。


「素直に泣くなって言えばいいじゃないの」

「鳥肌が立つことを言うな気持ち悪ィ」


 本当に鳥肌を立てているナマエに、うふふ、と笑い、今度はイゾウを見て柔らかく笑った。視線はナマエを見る時と同様に温かいもので、イゾウは知らぬ相手からの優しげな目線に困惑する。


「ボスは確かに嘘はつかないけど、真正面から受け取らなくていいのよ。あなたは好かれてるんだからもっとポジティブに受け取って?」

「おれ、は、」


 好かれている、とイゾウは直接ナマエに言われたわけではない。すべて聞いた話だ。さきほどナマエの口から聞いたとはいえ、それもまた自分に向けられた言葉ではなかった。白ひげの言葉を信じるならナマエはイゾウを大切に思ってくれているのだろうし、白ひげのことを信じてはいるのだがどうしても不安は抜けなかった。


「心配する必要なんかないのよ。イゾウさんは、ボスのだぁいじな、可愛いかわいい、末弟なんだから。あの人更新される度にあなたの手配書ファイリングしてるわ」

「……え」

「しかも複数枚ずつ。保存用と観賞用ってやつねぇ」


 そうして女はナマエを見ながら猫のようにいたずらに笑った。イゾウがナマエを見ると、先程よりも一層機嫌が悪くなって女を睨んでいた。けれど、女の言葉を否定しなかった。違うなら違うと言えばそれで終わりなのに、ナマエはそうしなかった。すると何故だか、イゾウは今までのことをすっと思い出した。昔も、そしてさっきも、嘘でも本当でも都合の悪いことだろうにナマエは否定しなかったのである。
 女はもう一度笑って、それからその場を離れた。去り際、女はイゾウの耳に口を寄せて「ボス、寝起きは口が軽くなるわよ」と教えてくれた。それを確認できる日は、果たしてくるのだろうか。


「んだよ、やっぱイゾウのこと大好きなんじゃねェか! なんでひどいことばっかすんだよ、仲良くすりゃあいいだろ!!」

「そーだそーだ! 仲良くしてやれよ!」


 エースを皮切りに皆が声を上げてナマエを責め立てた。女たちは眉間に皺を寄せたままのナマエを見て穏やかに笑っている。クルーたちのからかうような野次にも似た声援に押されるように、イゾウはじっとナマエを見た。刻み込まれてしまったのではないかと思うほど明確な眉間の皺は微動だにしなかったが、ちらりとだけ視線を向けられて身のすくむ思いをした。


「お前は、おれと仲良くしたいのか?」


 けれど発せられた言葉は存外優しいものだった。予想もしていなかった言葉にうなずくと、ゆっくりと兄が顔を寄せてくる。舞台の上でもよく映えるその顔に目を囚われていると、ガッと力任せにイゾウの頭がつかまれた。


「そうかそうかァ、じゃあ稽古をつけてやるよ……失敗するごとに昔みたいにナカヨクしてやろうなァ」


 昔みたいに、仲良く。そう言ったナマエはニタリと笑っていた。これは昔、本当に昔、イゾウが胃を痛め他の家族に泣き付いていたあの家でよく見た笑顔だった。簡単に言うのならそう、いじめっ子の笑顔である。
 ナマエにされた仕打ちが頭の中をぐるぐると回りだし、イゾウの顔から血の気が引いていく。けれどもうナマエの手を離すわけにはいかなかった。ナマエの服を震える手でつかみながら、懇願する。


「あッちょ、ちょっと待ってください兄上……お、お手柔らかに、お手柔らかにお願いします、あの、本当に、虫だけは勘弁してください……」

「ほう、そうかァ、お前は虫が好きだったもんなァ」

「違います兄上それ思い違いです!」

「ああ、好き嫌いはよくねえなァ、ちょうど貰ったばかりのハチノコがある。ミス一回につき一匹な」

「ああああああ……!!」


 呻いたところでナマエが自分の考えを改めるような人ではないとわかっていたが、それでもイゾウは呻かずにはいられなかった。余計なことを言ってしまった自分の口を呪ったところでもはやどうにもならない。ナマエの嫌がらせはイゾウの嫌がることを的確についてくるのだ、なんとも恐ろしい兄である。けれどそうして昔のように自分の隣で笑ってくれているのだから、そんなことはどうでもいいのかもしれない。イゾウがふにゃりと笑ってしまうと、ナマエはまた眉間に皺を作った。

いたいけ

イゾウさんで花嵐の続編@ヒイロさん
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