ナマエが秘書官がわりの三大将付きメイドになってひと月と少し。可愛らしい見た目に目を奪われるものあれど、クザンのあとを小鳥のように着いてくるナマエに話しかけるものはガープやつると言った年長者しかいなかった。クザンしか気を許せるものがいないであろうナマエもまた然り、仕事や挨拶以外では誰に話しかけることもなく静かに暮らしていた。クザンの前だけではこどもらしい笑顔を見せることもあったが、それもまだぎこちのないものだった。


「クザンさん、あれ、どうしたんですか?」


 二人で食堂に来てナマエはクザンの服の袖を引いた。子どものようなそれにクザンの頬が緩む。ナマエの視線の先にあったのはざわついている一角だった。手元にはラーメン丼があり、中身が簡単に予測することができた。


「あれは味噌ラーメンだな」

「はあ……味噌ラーメンですか」

「ああ、超絶まずいラーメンだ」

「えっ」


 意味が分からないと言いたげだった声が驚き、まんまるの目がクザンを見上げている。ガラス玉のようなきらきらと光る瞳には理解できないといったような色が浮かんでいる。たしかにクザンにも理解できなかった。あれは相当まずいものだ。頼んだだけでざわつくくらいなのだから、その威力たるや誰もが知るところである。だがああして注文が出るのもまた事実なのである。


「まずいんですか」

「うん、結構まずいよ」

「……」


 それなのに食べるのか、とナマエの視線がそちらに向けられている。じいっとあまりにも見つめるものだから勘違いした男たちの何人かがどぎまぎとしていた。男とは大概馬鹿なものである。


「クザンさん、私、あれ頼んでみます」

「え!?」


 今度驚かされたのはクザンの方だった。あれだけまずいと言っているのに、どうしてそうなってしまったのだろう。そういう表情が出たのだろう。ナマエはクザンをまっすぐに見て、真顔でこう告げた。


「そこまでまずいと言われると食べてみたくなるのが人間というものです」

「いやまあわかるけどさ」


 かくいうクザンもあのまずい味噌ラーメンがどれほどまずいのかと思い、新兵になった頃にはあれを食べたという思い出がある。しかしそれは決していい思い出ではない。あまりのまずさに噴き出して、これ以上はいらないと残してしまったほどだ。そのあと何故か妙な気持ちが湧いてきて何度か挑戦したことは記憶に新しい。今ではすべて食べきれるほどになってしまったが、何故わざわざまずいラーメンを定期的に食べているのかと問われるとクザンにも答えることはできなかった。


「結構量多いぞ」

「大丈夫です、どんなにまずくとも完食してみせます」


 どこからその自信が湧いてくるのだろうか、とナマエを見つめてみたが当然答えなど見つかるわけもなかった。残してしまうことになるだろうがそのときは自分が食べてやればいいだろう、とまるで親のようなことを考えながら、クザンは今日の定食を注文した。同じようなメニューになりがちの独り身にはありがたいメニューである。
 クザンの横に並んでいたナマエが味噌ラーメンを注文すると辺りが一斉にざわついた。さきほど海兵が頼んでいた比ではない。カウンターの奥で注文を取っていた従業員も驚き、顔を青くさせてナマエを見ていた。


「あの、知らないかもしれないけど、っていうかぼくがこんなこと言っちゃまずいんだろうけど、味噌ラーメン、すっごい不味いですよ……?」


 普段ならこいつ馬鹿だなって顔をして味噌ラーメンを出す従業員が、心配そうにナマエを見ていた。そんな注意を促すのはナマエが美少女だからだろう。これだから美少女という生き物はずるい。
 けれどナマエの意思は既に固まっており、「ご心配には及びません」と改めて味噌ラーメンを注文した。それを無視するわけにもいかず、従業員は味噌ラーメンを厨房に頼んでいる。そうして出された噂の味噌ラーメンと話題の美少女メイドの組み合わせはかなり注目を集めるもので、ナマエと一緒にいるのがクザンだとしてもお構いなしに視線が飛んできた。
 席につき、ナマエは味噌ラーメンをまじまじと見つめた。一見、どこにでもある普通の味噌ラーメンだ。


「別に変な臭いがするわけでもないですね」

「まァ、そうだね」

「ではいただきます」


 手を合わせて、いつものように丁寧に頭を下げて、箸を手にとったナマエが味噌ラーメンを躊躇なく啜った。あれだけまずいまずいとクザンだけでなく従業員までもが教えたというのに、緊張のきの字も見当たらなかった。


「ごほっ!」

「あー……ほら言わんこっちゃない。水いる?」


 そしてナマエは盛大に噎せた。口の中にあったものを噴き出すようなことにはならなかっただけで十分すごいのだが、噴き出さなかっただけに苦しそうである。クザンからの提案にナマエはこくこくと頷いて、差し出された水を受け取って一気に流し込んだ。飲み込んだナマエはふうと息をつくと、とても真剣な顔をして言った。


「想像の斜め上を行く不味さでした。うっかり吐き出すかと」

「でしょ。ほら、おれが食ってあげるから」


 元よりそのつもりだったため、クザンはまだ自分の定食には手をつけていなかった。その定食を差し出そうとすると、ナマエは首を横に振った。


「いえ、完食します」

「えっ」


 その宣言に、クザンはひどく驚いた。クザンが初めて食べたとき、昼食中に減退した食欲が戻ってくることはなかったし、無理して食べようとはとても思えないほど不味かったのだ。そのときのクザンは二十歳かそこらだった。裕福な暮らしでもなかったためある程度のまずいものにも慣れていたクザンでさえすぐに諦めたというのに、十四才で甘やかされて育っているはずのナマエがまだ食べると宣言したことには驚かざるを得なかった。
 クザンが驚いている間にナマエは食事を再開させた。呻いたり、顔色を変えたりしながらも、懸命に味噌ラーメンを食い続けている。その光景に周りが見守るような視線を送り始めた。頑張れ、と言いたげな視線があちらこちらから届いている。ナマエは味噌ラーメンを食べることに一生懸命でそれどころではなさそうだったが、クザンもついつい食事を忘れてナマエの食べっぷりに見入ってしまった。
 ──数分後、からん、と蓮華がラーメン丼に当たって音を立てた。ナマエはフフフと何故か笑っている。


「ごちそう、さま、でした……!!」


 どこからともなく拍手が聞こえ始め、ナマエはハッとしてようやく周りから見られていたことに気がついた。クザンもつられるように拍手をしてみせると、ナマエは照れたようにふにゃりと笑った。その笑顔にやられたもの数名を横目に見ながら、クザンは息を吐いた。


「よく食べたな、本当。まずかったよね?」

「ええ、スープが信じられないくらい不味かったです……なんとも形容しがたい新しい不味さでした」


 食べ終わって気が抜けたのか、ナマエはグロッキーな表情で水を飲み、一息ついていた。それからクザンがまだ食事に手を付けていないことに気がついて、すみませんと謝った。自分を心配して食べられなかったのだとわかったからだろう。クザンはそれに気にするなと言葉を返して、少し冷めてしまった定食を口に含んだ。

想像を凌駕する

クザンさんとアイゼルネ主とののほほん話@匿名さん
リクエストありがとうございました!



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